ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

同性婚、フランス下院で否決される。

2011-06-15 21:10:59 | 社会
同性による結婚、現在ヨーロッパで認められている国は、オランダ、ベルギー、スペイン、ノルウェー、スウェーデン、ポルトガル、アイスランドの7カ国。北欧、南欧、カトリックの多い国、プロテスタントの多い国、それぞれ混淆しており、特に共通の特徴はないようです。このリストの8番目にフランスも加わるべきだという社会党提案が、国民議会(下院)に提出されましたが、14日の採択の結果、否決されました。

各党の思惑は、そして各政治家の意見は・・・14日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

国民議会は14日、賛成222、反対293で、同性カップルに結婚の扉を開けようという社会党の提案を否決した。否決結果を受けて、社会党は下院スポークス・パーソン、ルルー(Bruno Le Roux)が、来年社会党が大統領選で勝利したなら、同性婚は優先的な改革案に含まれることになるだろう、というメッセージを発している。

「この案件は将来、政権にとって取り組むべき課題だ。社会党が行うべき最優先課題のひとつに、同性婚は当然含まれることになる」とルルー議員は語っている。

1999年に異性・同性を問わず婚外同棲者に一定の権利を認める“Pacs”(pacte civil de solidarité)を成立させたフランスは、同性愛者に対する施策で最先端を走っていたが、今ではヨーロッパ内で遅れを取っている。何しろ、同性婚を認めている国が7カ国に上っているのだ。今回の提案であるホモカップルに結婚という選択の自由を与えることは、同性夫婦を認めることであり、同性愛者が両親として子どもを育てることを認めることではない、と社会党議員のパトリック・ブローシュ(Patrick Bloche)が投票前に力説したが、実を結ばなかった。

ブローシュ議員の説得は多数派である与党を納得させるには至らなかった。「結婚を認めれば、次には同性カップルが両親となる養子縁組を認めることになる」と、与党・UMPのディファンバシェール議員(Michel Diefenbacher)が反対理由を説明している。9日に行われた国会審議のおり、メルシエ法相(Michel Mercier)は政府としても反対だと、次のように述べた。「結婚はもはや、結びつきと親子関係の唯一のカタチではないとはいえ、今でも一つの社会制度だ。そして、結婚、パックス、同棲など結びつきの多様性ゆえに、それぞれの居場所と特徴を守ることが望ましいのではないか。」

各政党の対応を見てみると、新中道(Nouveau Centre)では、多くが反対に回った。「我々は家族とその価値を大切にしたい。結婚と親子関係の課題を分けて扱うことはできないと考えている」と、ジャルデ議員(Olivier Jardé)は語り、さらに、多くの政策課題があり、この課題に取り組む十分な時間がなかったと賛成しなかった背景を説明している。一方同じ中道右派でも、急進党(Parti radical)ではジャン=ルイ・ボルロー(Jean-Louis Borloo)など多くの議員が賛成票を投じた。

与党・UMPでは、フランク・リステール(Franck Riester)、アンリエット・マルチネス(Henriette Martinez)など数人を除いて社会党案に反対した。

「ホモカップルの権利を改善することが彼らの結婚を認めることを通してでないと達成できないとは必ずしも思っていない。それで反対したのだが、特に同性夫婦と同性の両親が子どもを育てることとの関係に同意できない理由があった。ホモカップルの権利であれば、遺産贈与など他に解決しやすい課題もある」と、UMP下院幹事長のクリスティアン・ジャコブ(Christian Jacob)は語っている。

「パックスは今や下級市民のための法的下級カテゴリーとなっている」と、14日、エコロジー党の下院議員、ノエル・マメール(Noël Mamère)は語っている。国会議員とフランス国民との乖離を非難しつつ、同性婚は避けられないものだと続けたマメール議員は、実際、市長を兼ねる地元・ジロンド県ベーグル市(Bègles)の市役所で、2005年6月(Wikipédiaによれば2004年6月5日)にフランスで初めて同性カップルの結婚式を執り行い、祝福をしている(しかし、最終的には最高裁で無効が確定しています)。「国民が選択したのであり、社会も変わった。権利の平等が求められているのだ」と、ノエル・マメールは最後に語っている。

・・・ということで、再婚カップル家庭、離婚後の片親家庭、シングルマザーなどさまざまなカタチのあるフランス社会。いずれにも社会的連帯が示されていますが、ホモカップルにはパックス(pacs)までで、その先の結婚までは認めたくない。なぜなら、結婚を認めれば、その先にはホモカップルが養子をとって育てるということになりかねないからだ。そんな意見が多いようです。

両親が同性である家庭が子どもの成長にどのような影響を与えるのでしょうか。いびつな人格形成を行うのでしょうか。何らかの研究結果があるのでしょうか。それとも、単に受け入れ難いという、個人的思い入れに過ぎないのでしょうか。

他人と異なること、よく言えば「個性」を大切にするフランス社会ですが、それでもホモカップルの結婚と養子縁組は認めたくないようです。どうしても「ウイ」と言えない理由があるのでしょうね。価値観、倫理観、伝統、慣習、宗教・・・フランスですら、社会的一般概念と異なって生きるのは必ずしも容易ではないようです。

ただ、それでも、党議拘束というものはないようで、党の多数派と異なる投票行動をする議員がいます。小異を捨てて大同につくが「党」なのかもしれません。投票行動が異なったことによる党員資格停止、なんていう制度はあるのでしょうか・・・
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うるさい奴は、つまみ出せ!

2011-06-14 21:37:32 | 政治
DSKが逮捕されても、それにぶつけるようにカーラ・ブルーニ=サルコジの妊娠を公表しても、それでも社会党候補の後塵を拝しているサルコジ大統領への支持率。このままでは来年の大統領選挙に勝てないのではないかという声が、与党・UMPの中からも漏れ始めています。

わずか4年前には、フランスの新しい時代を切り開いてくれる開拓者として、絶大な人気を誇っていたものですが、そのテーマとして掲げた「過去との決別」も、自分と与党にとって都合のいい決別であることが見えてきたからでしょうか、何を言っても支持率の回復に繋がりません。時々、外交で点数を稼ぐことはあっても、長続きしません。やはり、国民にとっては自分の生活が大事。

しかも、その国民との直接の触れ合いの場で、暴言を吐いてしまうことも何度かありました。農業見本市(le Salon de l’agriculture)での、「お前こそ、さっさと失せやがれ」(Casse toi alors pauvre con.)発言など、未だに記憶に新鮮に残っています。

そうした国民への直接の罵詈雑言、やはりまずいと思ったのか、言葉にすることは止めたようです。しかし、怒りを笑顔でごまかす術は身につけていないようで、別の方法で、対処するようにしたようです。どのような方法なのか・・・古いですが、5月8日の『ル・モンド』(電子版)が伝えていました。

5月8日、ブルターニュ地方のポール・ルイ(Port-Louis)でサルコジ大統領がスピーチを行っている際に、大統領の政治を非難し妨害した男が警備担当者によって会場から排除された。1945年5月8日の連合国側勝利から66回目の終戦記念日に大統領が式典での演説を始めるや、その男は叫び声を上げた。「あなたの政治は国民を愚弄するもので、自由、平等、友愛に死をもたらすものだ!」

彼は集まった数百人の人々に聞こえるよう大きな声で、同じフレーズを何度も叫んだ。人々の中の何人かは、もう十分だと叫ぶのを止めるように言い返した。彼はすぐに6人ほどの警備担当者によって会場から排除された。大統領府によると、混乱を引き起こしたのは隣町、ランステール(Lanester)の市議会議員ヴラディミール・ビゼ=スファニ(Vladimir Bizet-Sefani)で、共産党所属であり、労働組合CGTの活動家でもあるという。

この事件は大統領のスピーチやその後の住民との触れ合いを妨げることはなかった。その後、同行していたフィヨン首相(Fraçois Fillon)、ロンゲ国防相(Gérard Longuet)、アコワイエ下院議長(Bernard Accoyer)、ラルシェール上院議長(Gérard Larcher)とともにパリへ戻った。

スピーチの中で、サルコジ大統領は第二次世界大戦において示されたブルターニュ人の類まれなる忍耐力と抵抗の強さを称賛し、ポール・ルイ城砦でドイツ軍によって処刑された69人のレジスタンスへ哀悼の意を表した。ブルターニュへ赴く前に、大統領は恒例に従って、シャンゼリゼのド・ゴール将軍の像の足元に献花を行った。

・・・ということで、警備担当者に排除させるようにしたようです。邪魔者は、つまみ出せ。

大統領の言う「過去との決別」が、「自由・平等・友愛」というフランスの伝統をないがしろにしているように思えるのかもしれません。また、大統領の成り上がり的、派手派手な生活スタイルが、購買力低下や失業に苦しむ国民には、とても受け入れられないのだと思います。国民を愚弄する政治、自由・平等・友愛の価値を失わせる政治・・・

翻って、われらが政治。国民の生活が第一、という民主党のかつてのスローガンはどうなったのでしょうか。与党の失政を追及する野党としては優秀であっても、進むべき国家像を明確にし、政策立案を行い、実施する与党としては、初めての立場とは言え、修行が足らなかったのかもしれません。準備不足。それでいて、その自覚がなく、尊大な態度で政治主導を叫び続けてしまった。その結果は・・・

現場で優秀だったサラリーマンが、必ずしも優秀な経営者とはなれないように、野党として優秀だった政治家が、首相や閣僚として優秀とは限らない。野球でも、名選手、必ずしも名監督ならず、と言いますよね。サッカーでも、モーリーニョやベンゲルなど、プレーヤーとしての実績はほとんどなくても、監督としての実績でビッグチームを率いている名監督は多くいます。プレーヤーとしての能力と、マネジメント能力は別と考えるべきなのではないかと思います。

この点、日本以外の多くの国々では、欧米だけでなくアジア諸国も含めて、管理職は管理職としての教育を十分に受けます。企業や官庁に入っても、いきなり管理職としてそのキャリアをスタートさせます。その資質や能力は、あくまで管理職として判断されます。従って、管理職として、あるいはリーダーとして優秀な人がトップまで登りつめます。

一方、日本では現場で優秀なことが大きな評価ポイント。管理職に就任しての第一声が、現場が元気に働けるような職場づくりを目指します、あるいは、現場に一番近い社長を目指します。もちろん、日本式とその他の国々のスタイル、どちらが良い悪いということではなく、違いがあるということなのですが、日本でも、せめて政治の世界くらい、立派なリーダーが出現してほしいものです。しかし、社会全体が現場第一主義で、神輿は軽い方がいい、トップは、良きに計らえ、くらいの度量があった方がいい、ということでは、なかなか優秀なリーダーは出現しそうにありません。

やはり、現場が頑張るしかないようです。しかし、その現場を最近ないがしろにしつつあるような気がします。現場の労働力をコストと判断し、非正規社員によってそのコストを削減している。その結果、せっかくの技術も引き継ぐべき若手社員が少なくなってしまっている。現場からの改善提案も減少してしまった。

力強いリーダーが望むべくもなく、その上で現場の力が衰退してしまったら・・・日はまた昇るのでしょうか。せめて、現場に活力を。工場の海外移転などと言わず、日本の力を生かす方向で考えられないものでしょうか。日本は、現場頼みであることを、もう一度肝に銘じたいものですが、自分だけは立派なリーダーだと思っているトップが今、多いのでしょうか・・・
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DSKを訴えた客室係に、辣腕弁護士が加勢!

2011-06-13 20:13:43 | 政治
後任のIMF専務理事は、ラガルド経済・財務・産業相(Christine Lagarde)でほぼ決まりのようですが、今、DSK(Dominique Strauss-Kahn)はどうしているのでしょうか。トライベッカの豪邸に住んでいますが、24時間監視付き。しかも、どこへ行くにも、警察とメディアが付いてくる生活。出かけるのも億劫になるのか、先日は中華料理の出前をしてもらっていたようですが、それさえもメディアで紹介されてしまっています。「衆人」環視のもとでの生活、早くも「囚人」になったような気分なのでしょうか。

ところで、「被害者」の客室係は法廷対応にために、弁護士の援助を求めました。最終的に彼女の代理人となった弁護士は、名うての凄腕。さて、どのような弁護士なのでしょうか・・・7日の『ル・モンド』(電子版)が伝えていました。

DSKを訴えた客室係の女性は、ジェフリー・シャピーロ弁護士(Jeffrey Shapiro)と相談した結果、ケネス・トンプソン弁護士(Kenneth Thompson)に担当してもらうことになったようで、トンプソン弁護士は6日の罪状認否の公聴会の後でメディアの前にさっそうと登場した。

客室係の女性はまだ公衆の前に顔も声も出していないが、彼女のことをトンプソン弁護士は、気取らず、働き者で、事件がトラウマになっているが、自らの尊厳を守りたいと望んでいると紹介している。トンプソン弁護士は続けて、「我々は彼女の権利を守り、彼女を代弁し、検察とともに任務を遂行していく」と、百人ほども集まった記者たちを前に語った。

トンプソン弁護士は、被害者である依頼人のために巨額の賠償金を獲得する術に秀でた腕利き弁護士として有名であり、彼の弁護士事務所、“Thompson, Wigdor&Gilly”(トンプソン・ウィジャー&ジリー)は、経営者や他の富裕層に対して数百万ドルもの賠償請求を行う個人依頼主を担当する弁護士事務所として名を馳せている。

弁護士事務所のサイトでは、依頼主にとっての素晴らしい結果が誇らしげに紹介されている。例えば、性的差別を受けたとして訴えたシティ・グループの従業員、クレーンが倒れてマンハッタンにある建物が損壊したとして訴えた人など。特にトンプソン弁護士の業績としては、セクハラ事件で800万ドル(約6億4,000万円)の支払い命令を勝ち取ったこと、ヘロイン密売容疑者の無罪を勝ち取ったこと、そして皮肉にも、複数の強姦罪に問われた容疑者の無罪を勝ち得たことなどが記載されている。

トンプソン弁護士はまだ、今後の方針などについては何も語っていないが、彼の登場で、状況に新たな不透明感が加わった。もしDSKが民事で訴えられたなら、その請求額は間違いなく数百万ドルに上るだろうと、トンプソン弁護士のかつてのパートナー、エリック・ロスタイン弁護士(Eric Rothstein)は語っている。

一方、検察はDSKを刑事訴追しているのだが、もし刑事裁判の判決が下る前に客室係側が民事訴訟を起こすと、検察にとって状況は不利になるかもしれない。というのも、DSKの弁護を引き受けているブラフマン弁護士(Benjamin Brafman)は必ずや、客室係が損害賠償を起こしたということは、彼女の狙いは金であり、強姦は彼女の作り話だと陪審員に訴えるに違いないからだ。ロスタイン弁護士は、それはまずい、陪審員はその訴えを考慮に入れてしまいかねない、と予想している。従って、検察サイドは、刑事裁判が終わるまでトンプソン弁護士が行動を起こさないよう願っている。

トンプソン弁護士にはまた、自重すべき別の理由がある。もしDSKが刑事で有罪になれば、民事で勝訴することは容易になるからだ。しかし、話はそう単純ではない。被害者が民事訴訟を起こせるのは、事件から1年間だけ、DSKの件では5月14日からということになる。被告が刑事訴訟で有罪になれば、その期間が延長されるのだが。しかし、DSKの弁護を引き受けたブラフマン弁護士が依頼人、つまりDSKの無罪を確信していることを繰り返し述べており、先の見通しは不透明なままだ。

・・・ということで、民事訴訟になると、マイケル・ジャクソンなどセレブの弁護を引き受け、無罪を勝ち取ってきたニューヨークで最もタフな弁護士と言われるブラフマン弁護士と、上記のように巨額の賠償金を勝ち取るなど辣腕ぶりに定評のあるトンプソン弁護士の対決になるようです。壮絶な戦いになりそうですね。

その両者、いわゆる、マイノリティです。ブラフマン弁護士は名前から分かるように、ユダヤ人。ホロコーストを生き延びたユダヤ人移民の両親のもとに生まれ、苦学して検事に、そして弁護士に。一方のトンプソン弁護士は、アフリカ系。二人とも、頭の切れと弁舌と押しの強さで司法の階段を上ってきたようです。

そして、彼らの顧客も。DSKはユダヤ人、客室係はアフリカ出身。図らずも、ユダヤ対アフリカ系の戦いになってしまったようです。マイノリティ同士で戦ってどうするんだ、戦うべき相手は別にいる、とも思えてしまいますが、法廷での勝負、そんなことは言ってられないのでしょうね。

“brahman”とブラフマン弁護士の名前の“f”を“h”に換えれば、ヒンドゥの宇宙の根源原理である「ブラフマン」。サンスクリットで「力」を意味する語だけに、ブラフマン&DSKが強そうですが、強姦ではなく合意の上だったという主張にするのではないかという報道がなされたこともあり、その力もどこまで信じられるものやら・・・

『ル・モンド』の言う通りで、不透明な状況で、だからこそ、興味深く、メディアのフォローもどこまでも続くのでしょうね。判決や、いかに。
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大統領選へ・・・世論の動向と激化する駆け引き。

2011-06-12 20:34:10 | 政治
“l’affaire de DSK”(ドミンク・ストロス=カン事件)が、社会党にどう影響しているのか・・・来年の大統領選へ向けての各種世論調査が行われていますが、事件から少し時間が経ったところで、週刊誌“Marianne”の依頼で調査会社“Harris Interactive”が行った投票意向調査の結果を10日の『ル・モンド』(電子版)が紹介しています。

社会党候補への支持率がアップしている! という結果になっています。DSK事件は社会党にとって逆風にならないどころか、社会党支持者の団結を強固なものにしたかのようです。
(6月3~5日に1,449人の有権者を対象にネット上で行った調査。第1回投票での投票意向の増減は4月19・20日に行った前回調査との比較です。)

●社会党候補がフランソワ・オランド(François Hollande:前第一書記)の場合
<第1回投票>
フランソワ・オランド:27%(+5)
ニコラ・サルコジ:23%(+4)
マリーヌ・ルペン:21%(-2)
<決選投票>
フランソワ・オランド:60%
ニコラ・サルコジ:40%

●社会党候補がマルティーヌ・オブリー(Martine Aubry:現第一書記)の場合
<第1回投票>
マルティーヌ・オブリー:25%(+4)
ニコラ・サルコジ:24%(+4)
マリーヌ・ルペン:22%(-1)
<決選投票>
マルティーヌ・オブリー:58%
ニコラ・サルコジ:42%

●社会党候補がセゴレーヌ・ロワイヤル(Ségolène Royal)の場合
<第1回投票>
ニコラ・サルコジ:26%(+7)
マリーヌ・ルペン:22%(±0)
セゴレーヌ・ロワイヤル:17%(+2)
<決選投票>
ニコラ・サルコジ:63%
マリーヌ・ルペン:37%

また、来年の大統領選後、ニコラ・サルコジが大統領職に留まることを望まない回答者が70%に達していますが、しかし57%がサルコジ大統領は再選されるだろうと見ているという矛盾する結果が出ています。自分としては代わってほしいのだが、結局は再選されるのではないか、という意見が多いということなのでしょう。

この調査結果は、フランソワ・オランドが候補者になった場合、社会党による政権交代の可能性が最も高くなると語っています。そのフランソワ・オランドに思わぬ援軍が現れました。その人の名は・・・ジャック・シラク(Jacques Chirac)。そう、前大統領です。社会党ではありません。現政権与党・UMP(Union pour un mouvement populaire:国民運動連合)を2002年11月に設立した本人です。そのシラク前大統領が、どうして社会党のフランソワ・オランド支持を打ち出したのでしょうか・・・11日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

11日、ジャック・シラクは、アラン・ジュペ(Alain Juppé:現外相、1995年から97年に首相、1976年以来ジャック・シラクの側近、現在ボルドー市長も兼任、1945年8月15日生まれ)が来年の大統領選に立候補しない場合、フランソワ・オランドに投票すると語ったが、その発言を受けてフランソワ・オランドは、ジャック・シラクを取り込もうとしたのではないかという憶測を必死で打ち消そうとした。

この日、ジャック・シラクは彼の名を冠した美術館(Musée du Président-Jacques-Chirac:大統領在任中に受け取った品々を展示するために2000年、リムザン地域圏Sarran市に建てられた美術館。この市を含むCorrèze県がシラクの選挙区であり、妻のベルナデットは1979年以来コレーズ県議会議員であり、夫婦はこの地にある16世紀に建てられたChâteau de Bityを1969年以降保有しています)を訪問したが、それにコレーズ県議会議長を兼ねるフランソワ・オランドが同行した。美術館でシラク前大統領は、「フランソワ・オランドに投票する、もしジュペが立候補しなければだが。何しろジュペが好きなのでね」と語った。オランドが二人の上に多くのマイクが突き出されていることを指摘すると、ダメを押すかのように、「間違いなくオランドに投票する」と繰り返した。

記者に取り囲まれたオランドは、前大統領の発言はお世辞だと述べている。「お世辞であり、コレーズの友人たちへのリップサービスだ」と語り、このような場所で影響力の大きな発言があるわけはないと強調した。来年の大統領選でニコラ・サルコジには投票しないという決意にも聞こえるシラク発言についてテレビ局の取材を受けた社会党国会議員のジャン=マリ・ルガン(Jean-Marie Le Guen:下院議員、パリ副市長、25年来のDSK側近)は、「シラク発言は2012年の選挙でサルコジ再選を望まない多くのフランス国民の気持ちを代弁している」と語った。

ジャック・シラクは、過去にも幾度となくフランソワ・オランドへの共感を表明している。著書“Le Temps présidentiel”の中でも、スカーフを被っての公立学校への登校を禁じた2004年の法律に対するフランソワ・オランドの反対を例に、彼の政治家としての行動を高く評価している。

11日、フランソワ・オランドは自分がジャック・シラクにとって容赦のない反対者だったと念を押し、「それでもライシテ(脱宗教)やイラク戦争に対して同じ意見になったとしても不思議ではない。また、今回のお世辞も文字どおりに受け取るだけであり、前大統領の文章も自分への励ましとしてではなく、記録として受け入れている」と語っている。

美術館を訪問した際の両人の和気藹々とした雰囲気を指摘されると、「自分には県議会議長として美術館を維持し、運営していく義務がある。シラク夫妻は、この美術館でクオリティの高い展覧会を開くのに多大な貢献をしている。そのことに感謝しており、夫妻は知性あふれる対応、一緒になすべきことへの理解を示してくれている。自分と前大統領の美術館訪問にはそれ以上の意味はない」と答えている。

その後、フランソワ・オランドは、「自分とシラク前大統領の間には感謝と共感と尊敬の念があるだけであり、それ以上のものではない」と付け加えた。

・・・ということで、DSKに代わって、現時点では、社会党の最有力候補となったフランソワ・オランドとシラク前大統領の接近が報じられています。与党・UMPの創設者と野党・社会党の中心人物。その笑顔を陰にあるものは何なのでしょうか。

シラク前大統領とサルコジ大統領との関係は、1995年の大統領選挙で、ニコラ・サルコジがジャック・シラクではなく同じ右派のエドゥアール・バラデュール(Eduard Balladur)を担いで以来、上手くいっていません。ニコラ・サルコジの剛腕が必要だったため閣僚と使ってきましたが、自分の後継には特に日本で人気のドミニク・ドヴィルパン(Dominique de Villepin)を考えていました。しかし、ニコラ・サルコジが後継競争に勝利してしまった。にこやかに引き継ぎはしましたが、内心はどうだったのでしょうか。

敵の敵は味方・・・子飼いのドミンク・ドヴィルパンには今回も勝利の目がないため、反サルコジでジャック・シラクがフランソワ・オランドに手を差し伸べたのでしょうか。あるいは、社会党の公認候補選びへ向けて、ジャック・シラクの支援によって右派からも票を獲得できる候補としてのイメージ付けを行い、公認を確実なものにしたいフランソワ・オランドが、コレーズ県ルートでジャック・シラクに接近したのでしょうか。それともエナルク(énarque:ENA卒業者)同士で、異質なサルコジ大統領が断絶を叫んできたフランス伝統への回帰を狙っているのでしょうか。

しかし、今日の敵は明日の友、とも言いますが、今日の友は明日の敵、にもなります。来春まで、まだまだ様々な駆け引きが行われそうな、フランス政界です。
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フランスの今にはびこる女性差別を糾弾する!

2011-06-10 21:25:45 | 社会
フランスでは女性の活躍が目立っています。DSKの後任としてIMF専務理事のポストにつきそうなのは、ラガルド経済・財務・産業大臣(Christine Lagarde)ですし、大震災の後、サルコジ大統領とともにやって来た原子力複合企業アレバ(Areva)のCEOはアンヌ・ローヴェルジョン(Anne Lauvergeon)、フランスの経団連、MEDEF(Mouvement des entreprises de France)の会長はロランス・パリゾ(Laurance Parisot)と、いずれも女性。また日本人を黄色いアリ(fourmis jaunes)呼ばわりしたエディット・クレソン(Edith Cresson)がすでに女性首相になっています(在任期間は、1991年5月~1992年4月)。

ですから、さすが女性に優しい、白馬に乗った王子様の住む国フランス、と思えそうなのですが、どうも実際は違うようです。

“L’affaire DSK”(ドミニク・ストロス=カン事件)以降、あからさまな女性蔑視的発言が、それも政治家など影響力のある人たちから、発せられています。もちろん、発しているのは男性・・・男性が女性を見下している。

例えば、『小間使いの日記』(“Le Journal d’une femme de chambre”)。オクターヴ・ミラボー(Octave Mirabeau)作の小説(1900年刊)ですが、過去にジャン・ルノワールやルイス・ブニュエルなどによって映画化されています。この作品にあるように、小間使いは「性」も含めて主の所有物。19世紀末においても、こうした状況だったようです。だからこそ、DSKの事件がアメリカではなくフランスで起きていれば、大した問題にならなかったのに、と言われるわけです。しかも、この作品のタイトルにある“femme de chambre”、小間使いだけでなく、ホテルの客室係にも使われるフランス語ですから、DSKがフランス系ホテルで思わずフランス風にふるまってしまったのではないか、とも思えてしまうわけです(陰謀にはめられた、という説もまだ生きていますが)。

しかし、被害者と同じ女性から見れば、許されるべき事件ではありません。それなのに、DSKを擁護する、あるいは被害者を揶揄する意見が男性側から発せられている。これでは、黙っていられない。というわけで、フェミニズム団体を中心に10ほどの団体に所属する女性1,000人以上が共同でメッセージを公表しました。署名した人たちの中には、作家・キャスター(France3)のオードリー・ピュルヴァール(Audrey Pulvar)、作家のアニー・エルノー(Annie Ernaux:『ある女』、『場所』、『シンプルな情熱』など)、パリ市議会議員のクレマンティーヌ・オタン(Clémentine Autain)、雑誌“ELLE”の編集者であるマリ=フランソワーズ・コロンバニ(Marie-Françoise Colombani)などが名を連ねています。

さて、どのようなメッセージを発表したのでしょうか。5月21日の『ル・モンド』(電子版)が伝えていました。

ここ1週間ほど、公人によって発せられる女性蔑視の発言の連続に私たちの耳も聾せられるほどだ。それらの発言は、テレビで、ラジオで、職場で、ソーシャルネットワーク上で繰り返されている。大したことではない、とか、小間使いの尻を追いかけただけだろう、女性を愛することはいけないことなのか、あるいは女性の外見や服装と男性の女性に対する態度の因果関係などさまざまな意見が述べられており、女性差別に関する詞華集さえ編纂できそうなほどだ。

私たち女性及び一部の男性は、怒っている。激怒している。憤慨しているのだ。

5月14日にニューヨークで起きたことの詳細は知らないが、それ以来フランスで起きていることは良く知っている。女性差別者や反動的な人たち、特にエリートと言われる男性たちの間に素早い反応が一気に盛り上がった。

あけすけな女性差別の言葉を公にすることが決して非難されないというこの国の状況が如実に示されている。他のどんな差別に対してもこれほどの寛大さは認められていない。

男性からの女性に対する差別的な言辞は、強姦のもつ重大さを軽減しよう、強姦を羽目を外した程度のことだというある程度受け入れられやすい曖昧な状況に定位させようと狙っているようだ。男性たちは現在の、そして将来の犠牲者たちに、訴えるなよ、というメッセージを送っている。もう一度言おう、強姦、そして強姦未遂は重大な犯罪なのだ。

男性たちの言葉は、女性に対する暴行がどの程度までいくと許されないかを示している。この社会の指導的立場にいるエリートたちにとっては、そのことが特に心配な点だ。フランスでは社会階層や年齢に関係なく、毎年75,000人の女性が強姦されている。犠牲者の唯一の共通項は、女性であることであり、強姦魔の唯一の共通項は、男であることだ。

そして、男性たちの発言は、性的自由と女性への暴行との間に我慢のできない混同をもたらしている。暴行、強姦、強姦未遂、セクハラ・・・これらは、女性の体を自由に扱おうという男性の意思の表れなのだ。次のような言い換えは危険で不誠実なことなのだが、男性は女性と男性の解放が行き過ぎないようにブレーキをかける道徳的秩序の回復を支持しているという声を立て始める。

公人たる者が長年慣れ親しんだステレオタイプな言説を吹聴することはすべての女性に対する侮蔑であり、人間としての尊厳を求め、男女平等を日常的に進めようとしている女性、そして男性に対する侮辱である。

・・・ということで、今日もまた、署名メッセージです。言論人を中心とした女性たちの憤り。それも、DSK本人ではなく、DSKの行為を擁護する、同じようなことを行ってきた、あるいは今も行っている男たちへの怒り。女性に対する性的暴行に寛大な態度を示すフランス社会への憤慨。特に社会的エリート層が抱く、下層階級の女性には何をしても殆ど許されるという思い上がりとその伝統に対する憤怒。

上流階級が互いに助け合う社会。だから、庶民階級出身の女性が裁判に訴えたところで勝ち目はないということなのでしょうか。階級社会。

一方、そこまでは露骨に階級を前面に押し出すことのないアメリカ社会。そこには、さまざまな理由から、耳目を集める事件の被害者を支援する腕利きの弁護士がいます。大西洋を挟んで、違いも多いようです。

郷に入れば、郷に従え。“When in Rome, do as the Romans do.”“A Rome, il faut vivre comme à Rome.”ということなのかもしれませんが、それにしても、フランスの階級社会、特権階級の勝手気ままさ、根強いものがあるようです。
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スカーフを被った女性への攻撃をやめよう!

2011-06-09 21:22:16 | 社会
ある署名記事。署名と言ってもジャーナリストによるものではなく、学者や政治家など、同じ問題意識を持った人たちが共同文書に署名し、新聞紙上に載せています。立場を超えて、考えを同じくする人たちが、共通のメッセージを発する。フランスで時々見かけます。

6月2日の『ル・モンド』(電子版)に出ていた署名記事に加わったのは、
・Jean Baubérot(ジャン・ボベロ、社会学者)
・Esther Benbassa(エステール・バンバッサ、歴史家)
・Christine Delphy(クリスティーヌ・デルフィ、社会学者)
・Eric Fassin(エリック・ファサン、社会学者)
・Eric Favey(エリック・ファヴェイ、教育連盟全国書記次長)
・Nacira Guénif(ナシラ・ゲニフ、社会学者)
・Jacques Rancière(ジャック・ランシエール、哲学者)
・Joël Roman(ジョエル・ロマン、哲学者)
・Françcoise Vergès(フランソワーズ・ヴェルジェス、政治学者)
・Olivier Besancenot(オリヴィエ・ブザンスノ、反資本主義新党員)
・Alima Boumedienne-Thiéry(アリマ・ブムディエンヌ・ティエリ、上院議員、エコロジー緑の党)
・Patrick Braouezec(パトリック・ブラウゼック、社会・環境の交代を求める連盟員[FASE])
・Cécile Duflot(セシル・デュフロ、ヨーロッパ・エコロジー緑の党報道官)
・Ilham Moussaïd(イラム・ムサイッド、正義を求め人種主義・排除・暴力に反対して行動する会[AJCREV]リーダー)
・Christine Poupin(反資本主義新党報道官)
・Ismahane Chouder(イスマアン・ショデール、平等のためのフェミニズム連合[CFPE]書記)
・Collectif Mamans(平等母親連合[MTE])

錚々たる顔ぶれですし、面白い組み合わせであるとも見えます。『フランスにおける脱宗教(ライシテ)の歴史』でお馴染み、ライシテ研究の第一人者ジャン・ボベロ、「ジェンダーフリー」概念を最初に提唱したクリスティーヌ・デルフィ、社会学者にしてアメリカ学者のエリック・ファサン、「論理的叛乱」を率いたジャック・ランシエール、エルネスト・ルナンの名著『国民とは何か』の序にあたる『二つの国民概念』を書いたジョエル・ロマン、2007年の大統領選候補であったオリヴィエ・ブザンスノ、緑の党で全国書記を務めていたセシル・デュフロ・・・こうした組合せから見えてくるテーマは・・・宗教(イスラム)、女性、そしてそれらに加えられる現政権からの差別。と、くれば、スカーフを被ったイスラム女性、そして最近ではブルカ、ニカブなど全身を覆う服の着用問題になります。

そのようなテーマについて、上記のメンバーは何を、どう訴えているのでしょうか。

イスラム教徒の児童生徒がスカーフを被って公立学校へ登校することを禁じた「2004年3月15日の法律」の成立以来、排除の動きが繰り返されている。それも児童生徒だけでなく、母親たちに対しても、下校する子どもを迎えに来た時であろうと、学校での集会に参加した時であろうと、スカーフを被っていれば排除が加えられている。

スカーフ禁止法は児童生徒の母親には適用されないという“Halde”(Haute Autorité de lutte contre les discriminations et pour l’égalité:反差別・平等高等機関)の勧告にも拘らず、国民教育相のリュック・シャテル(Luc Chatel)はスカーフを被った母親に対する新たな差別を政令によって制度化しようという意図を公表した。彼の提案は与党UMP(国民運動連合)の2012年要綱に他の26の提案とともに採用されている。他の提案にはスカーフを被った女性の就職に差別をもうけることを、それも民間企業においてさえ、合法化しようという案まで含まれており、危惧される内容だ。

これらの提案は、非難と排除の論理に従っており、「1905年の法律」(教会と国家の分離に関する法律:Loi de séparation des Eglises et de l’Etat)とフェリー法(1882年:初等公立学校から宗教教育を排除)、ゴブレ法(1886年:公立学校の教師から聖職者を排除)によって制定されたライシテ(la laïcité:脱宗教)の原則に完全に背いている。

我々はこうしたライシテの変節に反対する。実際、ライシテの原則に対する攻撃が連綿と続いている。反スカーフ法、反ニカブ法、国民のアイデンティティ論争、街頭での祈りやミナレット、ハラール食品(イスラム法に則った食品)の提供に対する非難、羊の喉を掻き切ることに対するサルコジ大統領からの罵り、イスラム教徒が多すぎるというゲアン内相(Claude Guéant)の非難、「ライシテに関する論争」と名を変えた「イスラムに関する論争」、公共サービスを受ける人すべてにスカーフ着用を禁ずべしという提案・・・

我々はこうした攻撃や禁止措置の論理に反対する。それらは、スカーフを被った女性をまるでペスト患者であるかのように指し示し、子どもたちの目に母親がまるで失格者であるかのように見せつけ、キッチンに籠っていろというメッセージを彼女たちに送ろうとしている。

公立学校はその入学者を選別してはならず、しかもそこは出会いの場であって、排除の場ではなく、差異の権利を擁護する場であり、他者を軽蔑する場ではない。我々は、ライシテ、個人の自由、待遇の平等の原則を遵守する立場にある。民主国家はその市民にどのような格好をしろと強制すべきではない。そして、差別されているのはまたしてもイスラム教徒であり、女性である。こうした理由から、我々は今後、女性であろうと男性であろうと、スカーフを被っていようがいまいが、基本的権利を守るために差別される人々と連帯をしていく。スカーフを被った女性が生き、働き、子どもの教育現場で他の父兄と同じように希望する方法で参加できる基本的権利を守っていきたい。

2012年を待つまでもなく、シャテル案を安全に断念することを要求する。そして違法な排除を即刻やめるよう要供する。

・・・ということで、イスラム教徒など異なる人々への不寛容が広がっているフランス社会。フランスの叡智が警鐘を鳴らすとともに、連帯を呼び掛けています。

こうした意見の公表に多くの学者が加わることは、やはり「アンガージュマン」の伝統なのでしょうか。しかも、特に哲学者、思想家と言われる人たちの積極的な参加がいつもながら目を引きます。さすが、哲学の国、なのでしょうか。テレビのニュース番組でも、哲学者の意見が重要視されることも多くあります。一方、我らが国で哲学と言えば、「哲学の道」が観光名所になっているのをまず思い浮かべるのが一般的なのではないでしょうか。哲学は、縁遠い存在で、浮世離れをしている・・・

しかし、その叡智は、一般の国民が見逃しがちな点をしっかり透視している場合も多いのではないでしょうか。国難のときにあっては、多くの国民の知恵を結集することが大切なのだと思います。研ぎ澄まされた叡智、積み重ねられた知恵の出番です。そして、私たちも、哲学・思想の分野からの声に真摯に耳を傾けるべきなのではないでしょうか。新たな国家観の求められる今日、国家観を模索、形成するには哲学、思想が不可欠なのではないかと思います。実利的知恵だけでは乗り越えられないこともある・・・
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マリーヌ・ルペン、二重国籍の廃止を訴える!

2011-06-04 21:49:58 | 社会
先日のペルー戦は、さびしい内容だったザック・ジャパン。3-4-3とか4-3-2-1とか、システム論が喧しい報道になってはいますが、プレーするのは選手。システムに縛られ過ぎず、持っている才能を十分に発揮してほしいものです。次のチェコ戦では、スターティング・メンバーも変わることでしょうが、ぜひ、攻撃的で、見ていて楽しいサッカーを再び見せてほしいと願っています。

ということで、まずはサッカーの話題から。1995年に出された「ボスマン判決」により、EU加盟国の国籍を持つサッカー選手は、契約満了時、EU域内にある他のクラブへ自由に移籍することができること、また外国籍選手扱いを受けないことが保障されるようになりました。外国人枠が決められている多くの国のリーグ加盟チームにとっては、うれしい判決でした。しかし、それでも外国人選手、特に南米出身の選手が外国人枠を超えてしまうチームもあり、なんとかできないものかと知恵を絞った結果、増えたのが二重国籍選手。

何年かその国でプレーし、納税を行えば、二重国籍が取得しやすくなったり、家系を遡って欧州からの移民がいるとEU加盟国の国籍が取りやすくなったりしています。例えば、カカはブラジルとイタリア、ロベルト・カルロスはブラジルとスペインの二重国籍を持っています。二重国籍をとれば、EU出身選手扱いされますから、本人にとってもチームにとっても、大きなメリットとなります。

しかし、そのためには、本国および二つ目の国籍を取得しようと思う国が、ともに多重国籍を認めていなければなりません。多重国籍を認めている国は、次のようになっている。

「アメリカ合衆国、ロシア、カナダ、メキシコ、コロンビア、ブラジル、ペルー、チリ、パラグアイ、ウルグアイ、イギリス、アイルランド、フランス、イタリア、スイス、ポルトガル、フィンランド、イスラエル、トルコ、ナイジェリア、モロッコ、南アフリカ共和国、コートジボワール、オーストラリア、ニュージーランド、台湾、フィリピンなどであるが、原則としては認めないが例外として認める場合や、条件付の場合など状況は各国において様々である。」(「ウィキペディア」)

フランスもリストに入っています。フランスでは南米出身選手というよりは、アフリカ出身選手の二重国籍が多く、しかもそれが最近問題になりました。せっかく、ジュニアの優秀な選手を集めてトレーニング・センターで育成しても、成長した暁には本人あるいは親の出身国の代表チームに入ってしまう。フランス代表に選ばれるよりは簡単ということですね。それでは何のために特別に育成しているのか分からない。ということで、エリート養成所・クレールフォンテーヌ(l’institut national du football de Clairefontaine:INF)への二重国籍選手の入校に制限を設けようということが話し合われたというすっぱ抜きがあり、これはアフリカやアラブ出身の選手に対する人種差別ではないかと、大問題になりました。

4月末からの騒ぎでしたが、こうした動きにもう一枚、役者が加わりました。極右、国民戦線(FN)のマリーヌ・ルペン党首(Marine Le pen)です。もちろん、サッカーに深入りするのではなく、二重国籍に関する極右政党からのメッセージ、つまり二重国籍を廃止しようという提案を、全国会議員に送付しました。どのような内容なのでしょうか・・・1日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

最近の世論調査では、若干支持率が低下しているマリーヌ・ルペンだが、再び極右政党ならではのポジションに立ち返ろうとしている。彼女は、577人の下院議員に書簡を送った。フランス・サッカー連盟の人種枠問題から数週間、二重国籍に終止符を打つために法律を改正すべきだというメッセージを届けるためだ。マリーヌ・ルペンによれば、二重国籍は移民やその家庭出身者のフランス社会への同化を妨げているのだそうだ。

「複数国への帰属は、ひとつの社会という認識の受容を弱めており、今日ますます心配されるような状況になって来ている。しかもそのことにより、国家としての行動の基盤が蝕まれている」と、FN党首は嘆いている。

「フランスがかつてないほどその必要に迫られている共和国としての団結への侵害、つまり移民家庭出身者の同化に強烈なブレーキをかけている主要な要因のひとつが二重国籍問題に含まれているということをどうして見逃すことができようか。二重国籍者の急激な増加にフランス人が次第に気付くようになり、国会ももはや無視できなくなっている」と、続ける。

「もしフランスに、リビア国民と同数のフランス・リビア二重国籍者がいたなら、フランスはリビア問題に介入できただろうか。」

「フランスとアルジェリアの二重国籍を持つフランス市民が引き裂かれるような思いをしているにもかかわらず、NATOの軍事部門に復帰したフランスがアルジェリア領内に介入するという一触即発の状況が起こり得ないとどうして言えようか。国際状況はことほど左様に不安定なものであり、こうした仮定がばかげたことであるとは決めつけられない。」

「アルジェリアでは1991年以来の内戦で10万人の死者があったが、このことを別にしても、チュニジアやエジプト、リビアにあった以上の自由がアルジェリアにあるわけではない。」祖国へのフランスの介入という状況に立ち至った二重国籍者は、いずれかの国への帰属を選ばざるを得ないのだと、マリーヌ・ルペンは述べている。

国籍問題に関する議会チームの報告者である与党UMPの下院議員、クロード・ゴアスゲン(Claude Goasguen)は、二重国籍者数に上限を設けるか、二重国籍者の政治的権利に制限を設けることが必要だと述べ、左翼から強烈に批判された。

・・・ということで、二重国籍者のためを思って、と言いながら、実は二重国籍者を排除しようとしているようです。異質を排除する動き、異質なものへの不寛容が、世界を覆いつつあるような気がします。何となく閉塞感のある、先の見えない状況に、人びとは苛立ってきているのでしょうか。

亡命者なども受け入れ、さまざまに異なる人々が作ってきたフランス、特にパリの魅力。それをフランス人自らが捨て去ろうとしているようで、残念です。

ところで、日本で二重国籍はどのような扱いになっているのでしょうか。

「日本では国籍単一の原則から1984年の国籍法改正で20歳に達する以前に日本国籍とは別の国籍を持つ資格がある多重国籍の状態になった場合は22歳に達するまで、20歳に達した後に多重国籍となった場合は多重国籍となった時から2年以内に国籍の選択をすべき期限とされている。」(「ウィキペディア」)

幸か不幸か、日本では二重国籍は大きな問題にはならないようです。その分、二重国籍ということ自体、理解しにくいものにはなっていますが。
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世紀の酷暑・・・フランスを干ばつ・水不足・森林火災が襲う。

2011-06-02 21:42:03 | 社会
日本ではかなり早い梅雨入りとなりました。さわやかな五月晴れが少なく、六月に入ってもいきなりの梅雨寒。統計によれば、早く梅雨入りした年には、冷夏や集中豪雨が起きやすいとか。今年の夏はどうなるのでしょうか。冷夏のお陰でクールビズは今の騒ぎほど必要でなくなるかもしれませんが、今までが冷やし過ぎ。節電は、今年限りにせず、継続したいものです。

冷夏で心配なのは、被災地、東北地方への影響です。冷夏と言えば、「やませ」。冷たく湿気を含んだ北東の風が吹き、農作物に多大な影響を及ぼします。宮沢賢治の『雨ニモマケズ』にも、

サムサノナツハオロオロアルキ

とあります。せっかく復興へ向けて歩き始めたところへ、やませの襲来では、頑張る気持ちも失せてしまいかねません。支援と連帯の輪、これからも必要です。

このように、日本では冷夏が心配されていますが、異常気象続きの、われらが宇宙船「地球号」。フランスでは異常に暑い春だったそうです。既に干ばつ、水不足、そして森林火災まで発生しています。

暑い春から、暑い夏へ・・・フランスは今年、1976年や2003年のような猛暑になるのでしょうか。記憶に新しい2003年には、独居の高齢者を中心に熱中症などで15,000人ほどの方々が亡くなりました。パリの8月の平均気温が18度程度のところに、その年は30.8度。猛暑、酷暑でした。暑さ対策のない住まいにバカンスが重なり、的確な対応ができず、大きな被害になってしまったわけです。その後、フランス政府は“Plan Canicule”(猛暑対策)を策定し、2006年の暑い夏には大きな被害を出さずに済みました。

と、もう夏の心配までしてしまいましたが、その前に現実。今フランスはどのような状況で、政府の対応はどうなのでしょうか・・・5月31日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

フランス政府は5月31日、農業災害補償国家基金(fonds national de garantie des calamités agricoles)を活用し、干ばつの被害を受けた事業者に対する補償を行う手続きに着手したと、ルメール農相(Bruno Le Maire)が公表した。

農相は、この発表に先立ち、農業団体や農産品加工業、家畜関連運送業などの代表者と会談を行った。「フランスの農民にとって、状況は深刻だ。迅速、大規模な対応を行うことにした。干ばつはすでにフランス全土に影響を及ぼしていると見られる」と農相は記者会見で語っている。

農業災害補償実施に関する最初の発令は7月12日以降に出されることになり、補償金の支払いは9月15日からになる予定だ。補償金の総額は数億ユーロ(数百億円)になる。8,000万から1億ユーロ程度で済むだろうという見方は甘いものになるだろう。このように農相は具体的な内容にも触れているが、猛暑に襲われた1976年に導入した干ばつ税(impôt sécheresse)に関してはその導入の可能性を排除した。

農相はまた、クレディ・アグリコル(Crédit agricole:農業信用組合に端を発する民間ユニバーサルバンク)が農家への融資として7億ユーロ(約800億円)を準備するこを決めたことも公表した。最初の支援は、畜産農家へ飼料を運ぶ陸上輸送に対してなされることになり、またワラを輸送するためのロジスティック対策も実施に移された。また補償対象を飼料の輸送、取り扱い、貯蔵へと広げることも認められた。

気象庁によれば、今年は、少なくとも1900年以降で最も暑い春となった。半数以上の県が、節水を求める県令の対象となっている。

・・・ということで、さすが農業大国、干ばつ対策はまず農家や農畜産業界に対して行われるようです。農業従事者の「票」が大切だ、ということもあるのでしょうが、国の基本は国民が食べること、従って農畜産業をしっかり守るべきだ、という考えもあるのでしょう。

この春の平均気温は、平年よりも2.6℃も高く、一方降水量は平年の50%ほどだったとも言われています。1900年以降最も暑かった春だそうですから、これは世紀の酷暑。このまま暑さが続けば、どれほどの被害になるのでしょうか。

一方、われらが日本では日照不足や冷夏の影響、あるいは集中豪雨などが心配されます。震災や原発問題からの復興と同時になってしまいますが、日本の政治は対応できるのでしょうか。内閣不信任案は否決されましたが、総理の辞任時期をめぐってさっそく齟齬が生じています。文書では退陣については一切言及されておらず、口頭でも公の場では辞任とは一言も言っていない訳ですから、本当に退任する気があるのでしょうか。それとも意図した齟齬で、端から退陣などする気がないのか。前総理が騙されただけなのでしょうか。政治の世界では、一寸先は闇と言います。しかし、このままでは、日本の一寸先が闇になってしまいそう・・・
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大腸菌による食中毒で死者増える・・・犯人は誰だ?

2011-06-01 21:23:49 | 社会
あのユッケ騒動は、どうなったのでしょうか。腸管出血性大腸菌O157による食中毒で、死者まで出ました。原因究明と再発防止策は、どこまで進んでいるのでしょうか。土下座までしていた焼き肉店チェーンの社長はどうしているのでしょうか。さまざまな分野で、熱しやすく冷めやすい社会ゆえ、もう話題にも上らなくなってしまいました。相変わらずユッケは食されているのでしょうか。

O157とは種類が違いますが、O104という腸管出血性大腸菌が、今、ヨーロッパ、特にドイツを中心に猛威を振るっています。すでに、欧州全体で死者16人。こちらも原因は「生食」と今のところ言われていますが、同じ生でも「肉」ではなく「野菜」。それも「キュウリ」が怪しいと言われていました・・・しかし、新たな動きもあるようです。食中毒に関し、ユーラシアの西側では、どのような対応がなされようとしているのでしょうか。5月31日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。

ドイツ政府は31日、ヨーロッパで16名もの死者を出している食中毒の原因がスペイン産のキュウリにあると言われていたことに初めて疑いの念を差し挟んだ。スペイン産のキュウリ2本を使っての最初の実験で、千人以上もの患者を発症させた腸管出血性大腸菌(E. coli entéro-hémorragique:ECEH)とは別の株(種類)が見つかった、とハンブルグ市保健所が発表したのだ。

別のスペイン産キュウリ2本を使った実験の結果はまだ公表されていない。「中毒の原因はまだ確定されていない」と、ハンブルグ市の公衆衛生担当者は語っている。しかし、ハンブルグ市が、最初にスペイン産のキュウリに疑いをかけたのだった。スペイン政府は、自国の生産者を必死にかばい、いい加減な方法でスペインの生産者に責任をかぶせようとしているとドイツ政府を非難している。

31日、ドイツにあるミュンスター大学(Münster)の研究者たちは、生の野菜を食べた際に一緒に摂取してしまったと思われる大腸菌に毒された患者を素早く認定する方法を開発したと公表した。この大腸菌による食中毒で、ドイツだけですでに14名が死亡している。「分子生物学の手法により、ごく少量の大腸菌があれば病原体がどのタイプの菌かを数時間で判別できるようになった」と、ミュンスター大学の発表したコミュニケは語っている。研究者のリーダーであるHelge Karch教授が、31日の午後、記者会見を行うことになっている。

今回の中毒は前例のない広がりを見せている。「このような大規模な食中毒は見たことがない。通常であれば、年間1,000件ほどの食中毒があるだけなのに、今回はわずか10日で1,200人もが発症した」と、Lüdenscheid市(ドイツ西部)の腎臓専門医は語っている。伝染病予防の公衆衛生を担当しているRobert Koch研究所(結核菌を発見し、1905年にノーベル賞医学生理学賞を受賞したRobert Kochの名に因んだ研究所です)は、おそらく新たな死者が出るだろうと語っている。

フランス政府はすでに、ドイツとスペインの政府に対して、腸管出血性大腸菌について透明性をもって公表するよう要求した。厚生大臣のグザビエ・ベルトラン(Xavier Bertrand:正式には、労働・雇用・厚生大臣です)は、テレビ局“France2”の番組で、詳細が判明していない段階で、この件についてコメントすることは躊躇せざるを得ないと語った。当初は、スペイン産キュウリ犯人説が有力だったが、それほど断定的でないことが分かってきた。

「ドイツ政府は当初、断固とした態度だったが、今では呈される疑問が増えて来ている。原因が何かを一刻も早く究明してほしい。最新の情報、そして透明性のある情報公開がドイツ政府にもスペイン政府にも求められる」と厚相は続けた。

今回の食中毒を引き起こしている大腸菌の株(種類)は、まだ特定されていない。野菜が生産地で汚染されたのか、輸送段階でなのか、ドイツ国内での流通でなのか、それもまだ分かっていない。フランス国内では3件の発症が報告されているが、いずれもドイツから帰ってきた人たちだ。

イギリスやデンマークでも発症例が報告されており、スウェーデンでは36例に上っている。血液、腎臓、そして重篤な場合には神経系統にまで影響を及ぼす症候群に罹った患者のすべてがドイツに滞在していた人たちだ。

・・・ということで、原因はまだ解明されていないようですが、当初「スペイン産キュウリ」犯人説が流れてしまったため、スペイン産の野菜すべてが疑われ輸出できなくなり、せっかく収穫した野菜をスペインの農家は廃棄処分にしています。他の国々の消費者は、スペイン産に限らず野菜を生で食べることを控えています。特に、キュウリ、トマト、野菜サラダの摂取を控えるようにという呼びかけもあるようですし、キノコ類を除いて野菜はいっさい食べていない、とインタビューに答えている消費者もいます。

風評被害・・・もし原因がスペイン産の野菜でなかった場合、スペインの農業が被った被害はどうなるのでしょうか。EU内の農業補助金などで解決するのか、あるいはスペイン産キュウリ説を言い始めたドイツとスペインの二国間交渉で解決するのでしょうか。かなりの金額になるのではないかと思われます。

福島原発に関する風評被害も大きくなっています。それも日本国内だけではなく、他の国々も巻き込んで、それも多くの産業に被害が及んでいます。「人の口に戸は立てられぬ」、「世間の口に戸は立てられぬ」・・・流言飛語に惑わされてはいけない、真相を突き止めてからにすべきだ、と断固として言いたいものですし、日本政府も影響を受けていないもの、安全なものをはっきりと国内外に向けてPRすべきです。そう思うのですが、しかしもし今ヨーロッパにいたとして、スペイン産キュウリを食べられるかと自問すれば、答えはノー。「転ばぬ先の杖」、「我が身大事」。「風評被害」も立場が違えば、同じ一人の人間ですら意見が異なってくるようです。私だけでしょうか・・・

風評被害に対処するには、透明性のある情報公開、一日も早い原因究明、再発防止策の策定、そして安全宣言が大切なようです。特に、真実を包み隠さず公開することがいらぬ風評被害から身を守るためにも大切なのだと思います。
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