ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

君よ知るや南の国、が大変だ!

2010-11-10 20:02:39 | 政治
子どもの頃によく読んだ『君よ知るや南の国』。「少年少女世界の名作文学」のドイツ篇に収められていました。ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』の中のミニヨンが登場する部分ですが、森鴎外の訳詩集『於母影』に収められている『ミニヨンの歌』でも有名ですね。

レモンの木は花さきくらき林の中に
こがね色したる柑子は枝もたわゝにみのり
青く晴れし空よりしづやかに風吹き
ミルテの木はしづかにラウレルの木は高く
くもにそびえて立てる国をしるやかなたへ
君と共にゆかまし

南の国は、言うまでもなくアルプスの南、イタリアです。ゲーテ自身、1786年から2年間、イタリア滞在を堪能し、30年後には『イタリア紀行』にまとめています。しかし、1790年からの2度目のイタリア滞在は、数カ月でイタリアに幻滅し、ドイツに帰ってしまいました。何にうんざりしてしまったのでしょうか・・・

イタリアは、今日でも世界中から多くの人々を集める人気の観光地ですが、時々、ちょっと驚くようなことが起こります。今、どんな「大変だ!」がマスコミを賑わせているのでしょうか。2題、ご紹介します。

まずは、1日の『ル・モンド』(電子版)が伝えている記事ですが、その「大変だ」の中心にいるのはベルルスコーニ首相。毎度お騒がせの首相に、またまたスキャンダルです。

パーティで知り合った17歳のモロッコ人少女が、窃盗容疑で警察の事情聴取を受けるや、自ら警察署長に電話。取り調べに不適切な介入を行ったのではないかと、物議を醸しています。これで何度目でしょうか、首相のセックス・スキャンダル。しかも未成年者を巻き込んだものも多い。しかも今回は、あろうことか、「美しい少女が好きなことは同性愛よりましだ」と発言し、同性愛者や人権団体からも顰蹙を買う始末。

こうしたイタリア首相に、『ル・モンド』は閣僚評議会議長(首相)の役割をいつまで傷つけ続けるのだろうか、国民の支持はいつまで得られるのだろうか、と疑問を呈しています。

シルヴィオ・ベルルスコーニ(Silvio Berlusconi)が首相の座に就くのは、現在3度目。まずは、1994年5月から翌95年1月まで。次いで、2001年6月から6年5月まで。そして、2008年5月以降。しかし、ベルルスコーニは首相の権力やその体制を、成功した企業家としての活動の延長くらいにしか考えていない。偉大さだとか、国のシンボル、国民の代表などということは全く念頭になく、自らの楽しみ、ビジネス、利害しか考慮に入れていない。

自らをイタリア魂の具現者、イタリア人の悪癖を映し出す鏡だと認識し、「女性が好きだし、楽しむこと、サービスをすることも大好きだ」と述べるとともに、必ず「皆さんと同じように」と付け加える。今までのところ、こうした言い分は国民に受け入れられているが、しかしあまりにも度重なるスキャンダルに、首相の尊厳についての疑念が生じ始めている。

経済危機の深刻さを理解していない程度なら許してやろう。2008年の選挙公約のごくわずかしか実行していないことも大目に見よう。しかし、他のことは、やはりまずい。問題だ。侵害されているのは首相個人のイメージだけではない。イタリア自体のイメージが傷つけられているのだ。

無分別な行動をイタリア国民の伝統とし、過度な放蕩趣味をその国民性に帰すやり方は、「ベルルスコーニのイメージ=イタリア」という認識となり、末期ローマ帝国のような一種退廃的なにおいを発するベルルスコーニ流政治はイタリアにとって決して名誉なことではない。

最近、体制を威厳あるものに戻そうと企業経営者たちが呼びかけているが、これは権力内の単なる小競り合いではない。イタリア製品を海外に輸出する企業家たちは、ビジネスを始める前にまず、ベルルスコーニの言動について説明したり、正当化しなくてはならない。そんなことにもううんざりしてしまっているのだ。企業家たちの、政治を変えたいという声は本物だ。

ベルルスコーニと距離を置き始めたのは産業界だけではない。ローマ法王ベネディクト16世は、「ゴミはナポリの通りだけでなく、人々の良心の中にある」とイタリア人の覚醒を促し、ベルルスコーニ首相と連立を組んでいたフィーニ下院議長のグループは、すでに道を踏み外し、漂流していると首相を非難、実質的な政権離脱声明を出している。しかし、強い野党がいない現状で、イタリアのイメージを救うべく、ベルルスコーニに辞任を突き付けられるのは、国民しかいない・・・

ということで、ベルルスコーニ政権の今後が不透明になってきています。民放4局のうちの3局を配下に置き、イタリア・メディアの70%を支配していると言われるベルルスコーニ首相。それでも、好ましくないイメージが拡散しています。その眉をひそめさせる言動が、イタリア人全体のイメージになるのは、さすがにまずいという声がようやく上がってきたようです。いつまで政権維持ができるのでしょうか。イタリア政治、またまた不安定になりそうで、大変だ!

もうひとつのイタリア版「大変だ」は、2日の『ル・モンド』(電子版)が伝えています。ミニスカートが禁止された町がある・・・

ナポリに近い、地中海に面した町、カステッレッマーレ(Castellemmare)がその舞台です。この町のボッビオ(Luigi Bobbio)町長が元将軍の治安担当助役とともに、新たな規則を導入した。その規則とは・・・短すぎるミニスカート、胸元の開きすぎたシャツ、腰パンの着用禁止、町中の公園での日光浴や浜辺から離れた場所を上半身裸で歩くことの禁止、他人を罵ったり、粗野な言葉を投げつけたりすることの禁止。こうした禁止事項に抵触した場合、25ユーロ(約2,800円)から500ユーロ(約57,000円)の罰金とする。

規制の目的は、都市景観を守ること。観光客や住民のやりたい放題は町にとって良くない。暑さとともに始まる服装の退廃を事前に防ぐために、2011年の夏へ向けて、このタイミングで規制を導入したそうだ。

すでに、こうした規制に対する反対運動が起きている。消費者保護団体は、ここはナポリの郊外なのか、それともテヘランの郊外なのか、と問いかけ、女性団体は、ミニスカートで役場前に座り込み、反対の意思を表明している。

しかし、信念に凝り固まった町長は、町を正しい道に戻すという意思を明確にしている。また、スカートの短かさについては、警官が定規でいちいち計るのではなく、目で確認して判断すると言っているが、基準が明確ではない。

このような規制が行われるようになった背景は、2008年の夏に、ベルルスコーニ内閣が秩序の維持を市長村長の任務にしたことだ。この決定以後、風変わりな条例があちこちで誕生している。例えば、地方の伝統的料理に悪影響を与えるからとケバブ(中近東などで食べられる肉類をローストした料理、特に串焼き)を禁止したり、バールなど公共の場に十字架を掲げることを義務化したり、自然を破壊するという理由で庭に置く焼き物(les nains de jardins)を禁止したり、新婚カップルに撒く米をバラの花びらに変更させたり・・・

どうも、イタリアを旅行する際にはローカル・ルールに気をつけないと、罰金になってしまいそうで、これも「大変だ!」 さすがに、大きな町にはないのでしょうが、より豊かな自然を求めて、エコツーリズモとかアグリツーリズモとかで小さな町に行く際には、注意が必要ですね。

ということで、何かと大変なイタリア。でも、だからこそ、イタリア人は愛すべき人たちだと思うか、やっぱり、イタリア人はね~、と思うか、判断は分かれるところですが、いずれにせよ、イタリア、日本の常識では推し量れない面白い国ではあります。