いつまでも自白しないと、お前の妊娠中の妻は刑務所で出産することになるぞ。いいのか、えっ。お前の子どもたちは、児童養護施設送りだ。それで、いいのか。どうなんだ。黙ってちゃ分からんぞ。いい加減、調書にサインしろ!
足利事件の菅家さんを取り調べた際の録音テープ、大阪地検特捜部による証拠改ざん、大阪東署の警官による取り調べを録音したテープ(先週ある日の午後、突然メディアが報じましたが、その夜からは一切報道されていません。どうしてしまったのでしょう。裁判の際の証拠なのでそれまで公開できないのか、権力側からの圧力によるものなのか)・・・こうした一連の報道が続いていますので、上記の取り調べの言葉、日本でのものかと思ってしまいますが、実はこれ、フランスでの出来事です。
11日のTF1、夜8時のニュース番組が、無罪になった元被告が取り調べに当たった警官を訴えた、と伝えていました。詳しく知りたいとフランスの新聞記事を探したところ、11日の『ル・フィガロ』(電子版)が紹介してくれていました。
“Il poursuit un policier pour des aveux extorques”(自白強要の罪で警官を訴える)という見出しの記事。「義理の妹を強姦した罪で訴えられ、その後無罪になった元被告が取り調べを担当した警官を訴えた。非常にまれな出来事だ」という概略紹介で書き始められています。
元被告の名は、パトリック・ルヴヌール(Patrick Leveneur)氏。TF1の映像から判断するに、移民とかではなく、ごく一般的な白人男性です。名前からもそう思われますね。1997年3月11日、当時妊娠8カ月だった妻とともに、住んでいたマルセイユの警察署に呼び出された。取り調べにあたったのは、未成年者補導係の警官たち。取り調べの容疑は、義理の妹への暴行。身に覚えのないルヴヌール氏は、当然否認します。すると、冒頭にあるような、罵詈雑言、言ってみれば言葉による脅迫を受けることになりました。テレビのインタビューでは、屈辱的な扱いを受けたと言っていました。
子どもたちを送りつけてやると警官が叫んだ施設は、DDASS(Direction departementale des Affaires sanitaires et sociales)。日本でいえば児童養護施設にあたるのでしょうが、“les enfants de la DDASS”(養護施設の子どもたち)という表現があるように、フランス人にとっては、差別の対象になってしまうようです。なお、妻が同時に取り調べを受けたのは、共謀の嫌疑だったのでしょうね。
いくら無実を訴えても聞き入れてもらえない。挙句に、妻は刑務所で出産、子供は“les enfants de la DDASS”になってしまう。頭が真っ白になったルヴヌール氏は、心ならずも罪を認めてしまった・・・
予審判事の取り調べには、一貫して無実を訴えましたが、4か月の拘留が認められてしまった。第2審の控訴院でも、無実を訴え続けました。そして、1999年の初め、判決が出ました・・・検察が提出した調書は信頼性に欠ける。ようやく、無実を勝ち取ることができました。
2年近くの取り調べ、拘留、裁判・・・すっかり疲れ切ってしまったルヴヌール氏。警察の対応に嫌気がさしたのでしょう。また、日本的に考えるならば、いくら無実になっても、一度犯人扱いされてしまうと、周囲からは犯罪者を見るような視線が。程度の差こそあれ、フランスでも、そうした視線を感じてしまうのでしょうか、マルセイユを離れ、今ではパリ近郊、ヴァル・ド・マルヌ(le Val-de Marne)県に住んで、運転手をしています。
ところで、義理の妹はどうしてルヴヌール氏を訴えたのでしょうか。結婚したばかりだったそうですが、その夫から処女でなかったことを強くなじられ、言い逃れのため暴行されたことにしてしまった。その虚偽の暴行の当事者にされてしまったのが、ルヴヌール氏だったわけです。義理の妹は、2004年、誣告罪で訴えられました。
法制度のしっかり整備されているように思えるフランスで、現在問題視されている日本での取り調べと同じように、自白強要がある。これだけでも驚きなのですが、現代のフランスで、処女性が重要視されている。これまた、ビックリです。
そして今回、ルヴヌール氏は取り調べに当たった警官を相手取って、慰謝料請求の訴えを起こしました。ルヴヌール氏の分が20万ユーロ、奥さんの分が10万ユーロ。ルヴヌール氏は、自分と同じような状況に二度と誰も巻き込まれないことを願っていると言っています。ルヴヌール氏の弁護士は、金額の多寡は問題ではない。ルヴヌール夫妻に起きたことは誰にでも起こりうることで、そのことを明るみに出すことに今回の訴訟の意義はある。今後同じことが繰り返されないためにも、取り調べには常に弁護士が同席できるように制度を改正してほしい、と述べています。
日本では、取り調べの可視化が呼びかけられていますが、フランスでは、弁護士同席の上での取り調べが求められている。解決のための方法は異なりますが、同じ問題を抱えているようですね。権力は腐敗すると言われます。権力の一部である警察や検察での取り調べにおいても、自白を偏重するあまり、推定無罪の原則を忘れた、「権力」を笠に着た取り調べが横行している・・・国の違いを問わない、共通した問題になっているようです。
足利事件の菅家さんを取り調べた際の録音テープ、大阪地検特捜部による証拠改ざん、大阪東署の警官による取り調べを録音したテープ(先週ある日の午後、突然メディアが報じましたが、その夜からは一切報道されていません。どうしてしまったのでしょう。裁判の際の証拠なのでそれまで公開できないのか、権力側からの圧力によるものなのか)・・・こうした一連の報道が続いていますので、上記の取り調べの言葉、日本でのものかと思ってしまいますが、実はこれ、フランスでの出来事です。
11日のTF1、夜8時のニュース番組が、無罪になった元被告が取り調べに当たった警官を訴えた、と伝えていました。詳しく知りたいとフランスの新聞記事を探したところ、11日の『ル・フィガロ』(電子版)が紹介してくれていました。
“Il poursuit un policier pour des aveux extorques”(自白強要の罪で警官を訴える)という見出しの記事。「義理の妹を強姦した罪で訴えられ、その後無罪になった元被告が取り調べを担当した警官を訴えた。非常にまれな出来事だ」という概略紹介で書き始められています。
元被告の名は、パトリック・ルヴヌール(Patrick Leveneur)氏。TF1の映像から判断するに、移民とかではなく、ごく一般的な白人男性です。名前からもそう思われますね。1997年3月11日、当時妊娠8カ月だった妻とともに、住んでいたマルセイユの警察署に呼び出された。取り調べにあたったのは、未成年者補導係の警官たち。取り調べの容疑は、義理の妹への暴行。身に覚えのないルヴヌール氏は、当然否認します。すると、冒頭にあるような、罵詈雑言、言ってみれば言葉による脅迫を受けることになりました。テレビのインタビューでは、屈辱的な扱いを受けたと言っていました。
子どもたちを送りつけてやると警官が叫んだ施設は、DDASS(Direction departementale des Affaires sanitaires et sociales)。日本でいえば児童養護施設にあたるのでしょうが、“les enfants de la DDASS”(養護施設の子どもたち)という表現があるように、フランス人にとっては、差別の対象になってしまうようです。なお、妻が同時に取り調べを受けたのは、共謀の嫌疑だったのでしょうね。
いくら無実を訴えても聞き入れてもらえない。挙句に、妻は刑務所で出産、子供は“les enfants de la DDASS”になってしまう。頭が真っ白になったルヴヌール氏は、心ならずも罪を認めてしまった・・・
予審判事の取り調べには、一貫して無実を訴えましたが、4か月の拘留が認められてしまった。第2審の控訴院でも、無実を訴え続けました。そして、1999年の初め、判決が出ました・・・検察が提出した調書は信頼性に欠ける。ようやく、無実を勝ち取ることができました。
2年近くの取り調べ、拘留、裁判・・・すっかり疲れ切ってしまったルヴヌール氏。警察の対応に嫌気がさしたのでしょう。また、日本的に考えるならば、いくら無実になっても、一度犯人扱いされてしまうと、周囲からは犯罪者を見るような視線が。程度の差こそあれ、フランスでも、そうした視線を感じてしまうのでしょうか、マルセイユを離れ、今ではパリ近郊、ヴァル・ド・マルヌ(le Val-de Marne)県に住んで、運転手をしています。
ところで、義理の妹はどうしてルヴヌール氏を訴えたのでしょうか。結婚したばかりだったそうですが、その夫から処女でなかったことを強くなじられ、言い逃れのため暴行されたことにしてしまった。その虚偽の暴行の当事者にされてしまったのが、ルヴヌール氏だったわけです。義理の妹は、2004年、誣告罪で訴えられました。
法制度のしっかり整備されているように思えるフランスで、現在問題視されている日本での取り調べと同じように、自白強要がある。これだけでも驚きなのですが、現代のフランスで、処女性が重要視されている。これまた、ビックリです。
そして今回、ルヴヌール氏は取り調べに当たった警官を相手取って、慰謝料請求の訴えを起こしました。ルヴヌール氏の分が20万ユーロ、奥さんの分が10万ユーロ。ルヴヌール氏は、自分と同じような状況に二度と誰も巻き込まれないことを願っていると言っています。ルヴヌール氏の弁護士は、金額の多寡は問題ではない。ルヴヌール夫妻に起きたことは誰にでも起こりうることで、そのことを明るみに出すことに今回の訴訟の意義はある。今後同じことが繰り返されないためにも、取り調べには常に弁護士が同席できるように制度を改正してほしい、と述べています。
日本では、取り調べの可視化が呼びかけられていますが、フランスでは、弁護士同席の上での取り調べが求められている。解決のための方法は異なりますが、同じ問題を抱えているようですね。権力は腐敗すると言われます。権力の一部である警察や検察での取り調べにおいても、自白を偏重するあまり、推定無罪の原則を忘れた、「権力」を笠に着た取り調べが横行している・・・国の違いを問わない、共通した問題になっているようです。