ふりかえれば、フランス。

かつて住んでいたフランス。日本とは似ても似つかぬ国ですが、この国を鏡に日本を見ると、あら不思議、いろいろと見えてきます。

若き中国人ブロガ―、“Diaoyu”を語る。

2010-10-01 20:18:22 | 政治
“Diaoyu”って、何・・・漢字で書くと、すぐ分かります。Diaoyuとは、釣(Diao)魚(Yu)。そう、魚釣島のことなんですね。尖閣諸島沖で海上保安庁の監視船と中国のトロール漁船が衝突した際の様子を撮影したビデオの扱いをめぐっては、国会でいろいろと遣り取りが継続しているようですが、全体的には一応、少し鎮静化してきてはいますね。

日本のメディアを通して紹介される中国の対応は、外務省の女性報道官が発表する公式見解だったり、反日デモだったりしますが、「80后」と呼ばれる1980年以降生まれの若い中国人たちの意見を9月22日のル・モンド(電子版)が紹介しています。

「80后」を代表して取り上げられているのは、作家、レーサーにして人気ブロガ―の韓寒(Han Han)氏。1982年9月23日生まれですから、28歳になったばかりですね。『三重門』(日本でのタイトルは『上海ビート』)は203万部を超えるベストセラー。ブログはすでに4億5,000万回のアクセスがあるそうです。

国を統治する人々に冷めた、皮肉のこもった眼差しを向ける韓氏にとって、今回の領土問題は、大きな関心事ではないそうです。なぜなら、若者たちの愛国的な高揚感はいつも検閲によって押さえつけられるか、当局に都合のいいように利用されてしまうからだ・・・

韓氏は9月13日、魚釣島を守れと掲示板に書こうとしたところ、違法な内容を含んでいるという理由で、書き込むことができなかった。そこで、尖閣諸島と書き込んだところ、驚くべきことに、問題なく書きこめてしまった! 

こうした対応に、韓氏は政府の偽善を見てしまうそうです。政府の忍耐には限度があり、怒りが限界を超えて激しく非難を始めた際には、国民も同じように非難してもいい。しかし、いったん政府が矛を収めるや、国民はそのことに関するいかなる非難も行うことはできでなくなる。もしそうした時期に非難の行動に出てしまうと、罰せられることになる。政府はまるで将棋をやっているようなもので、「歩」の一つにすぎない国民一人一人は指し手の意向を無視して勝手に動くわけにはいかないのだ・・・

9月18日、日本に抗議するデモが予定されていましたが、50名ほどの規模に警察によって規制されてしまいました。韓氏はそこで、もう一度、政府を皮肉る書き込みを試みました。香港の週刊誌『亜洲週刊』によると、韓氏の文章は書き込んでわずか50分後には削除されてしまった!

ル・モンドによれば、韓氏の文章はいつも隠喩と寓話に満ちている。例えば、魚釣島を守るために中国政府が行ったことは、日本の駐中国大使を5回も、そのうちの1回は真夜中に、まるでコール・ガールならぬコール・ボーイを呼ぶかのように、呼び出すことだけだった。

また、デモに参加することについては・・・よそ者が向かってくるようなふりを少しでも見せたら、まるで虐待されるかの如く激しく吠えるよう躾けられた犬になったようなものだ。また、領土問題については・・・中国の庶民には解決できない問題だ。なぜなら、中国では土地の私有は禁止されており、国民は政府の借家人にすぎないのだから。

そして、魚釣島をめぐる領土問題は・・・屋根から落ちた一枚の瓦が原因で隣家と喧嘩を続けている家主のようなものだ。かといって、その瓦を拾いに行く勇気もない。借家人である国民に何ができるのであろうか。土地も持たない国民が家主のために戦う必要があるのだろうか。尊厳を与えられていない国民が、政府の権威のために戦う必要があるのだろうか。

さらに続けて・・・魚釣島に関する反日デモや、聖火リレーの問題に起因する反仏デモに、私も参加したい。ただし、条件がある。強制立ち退きに抗して焼身自殺した唐福珍(Tang Fuzhen)や当局の気に入らない作品を発表したというだけで8月に投獄されたジャーナリスト・Xie Zhaopingを支援するデモに参加できるならば、という条件だ。しかし、唐さんやXieさんを支援するデモができるくらいなら、魚釣島や聖火リレーの問題がそもそも生じることもないだろうし、まして、唐さんの悲劇やXieさんの投獄も起きるはずがない。

国内問題に関して、静かにデモを行うことすら認められていない国では、国外の問題に関するデモにはいかなる価値も見出せない。単なる集団ダンスにすぎない・・・

こんなふうに、「80后」のトップ・ランナー、韓氏は語っているそうです。考えたことを自由に言えない、思ったままに行動する自由がない国に暮らす人々。それでも、勇気を持って発言をしている人たちがいる・・・しかし、日本に暮らす私たちには、その自由があるはずです。自分でしっかり考え、その意見を堂々と発言する自由! 

国として、自国の考えをしっかりと述べ、国家の主権、国民の平和と繁栄を守っていく・・・そのためには、まずは、一人ひとりが自分の意見をはっきり言うことから始めたいものです。何しろ、国民の集合体が国家であり、政治は国民を映し出す鏡とも、国民は自らにふさわしい政治しか持てない、とも言いますから。国民一人一人が変わらないと、国は変わらない。上司のご機嫌や世間様の風向きを気にせず、堂々と自分の考えを述べる。お互いに述べた後で冷静な話し合いを行い、結論を導き出していく。せっかくの言論の自由、活用しない手はありません。

何事も商売、商売と、揉み手で、卑屈な笑いを浮かべながら他国と相対するのは、いい加減に止めたいものですね。だから、「商を持って政を制す」と高圧的な態度に出られてしまうわけです。主義主張をはっきりとさせてから、交渉へ。例えば、GDP第2位の経済大国となった中国に3位に転落した国が支援を続けるのは、いかがなものか。しかも、中国への支援の多い国は、日本、ドイツ、フランス、イギリスという順。日本は最大の支援国。日本以外の国々では、世界第2位の経済大国を支援することはもはや納税者である自国民に容認されないだろうと、支援プロジェクトの削減や規模の縮小を検討し始めたとか。こうした件も、しっかり交渉カードに使ってやっているのでしょうか。何事も、事なかれ主義で、言いたいこともじっと我慢しているのでしょうか。その挙句に、暴発してしまうのでしょうか・・・暴発しないためにも、言いたいことはしっかりと、冷静に言いたいものです、個人でも、その集合体である国家でも。