久し振りに、日本語の研究をしてみることに。
highdy も言語学者ではないので、あまり深く研究もできておらず、自分でもうっかり誤用して慌てて修正することもある。ブログの投稿も数日経って慌てて修正することは度々で、誠にお恥ずかしい次第である。
忘備録と備忘録はどちらが正しい?
本来は「備忘録」が正しく、「忘備録」は間違いである。
本来は「備忘録」が正しく、「忘備録」は間違いである。
どちらも現代では同じ意味に解釈され混同されており、辞書によっては「備忘録を忘備録ともいう」と記述されていることもある。
日本における二字熟語(和製漢語の造語法)は、ある一定のルールにより構成されており、目的語+動詞(例:備忘録)であったり、その逆の動詞+目的語(例:読書、作曲)のケースがある。その意味では必ずしも忘備録が間違いとは言い切れないが、一般的には備忘録の方が正しい。
日本における二字熟語(和製漢語の造語法)は、ある一定のルールにより構成されており、目的語+動詞(例:備忘録)であったり、その逆の動詞+目的語(例:読書、作曲)のケースがある。その意味では必ずしも忘備録が間違いとは言い切れないが、一般的には備忘録の方が正しい。
言葉は生きており、時代ともに間違いと思われていたものでも常用されて、あたかも正しい日本語のように使われている場合も多い。
とりわけ紛らわしいもの例として、「全然」がある。
例えば、「全然大丈夫です!」などと、本来は「全然」の後に打消しの言い方や否定的な意味の表現を伴って「ーー足りない、ーー読めない、ーー聞こえない」などと使われるものであった。(が正しい! highdy の時代)
highdy の時代の教育指導要領は上記の通りで、「全然大丈夫です」では笑い者にされていた。同世代の方は現代でも、8割程度は否定表現を伴って使っておられる。
しかし、いまの若い世代では、 日本に入ってきた当初の用法(字義的にはこちらが正しい)で、「完全に、全面的に、非常に、問題なく」などといった意味で、否定表現を伴わずに使っている。しかも、文部科学省までも問い合わせに対しては、後者の「肯定的な表現で使うこともある」という回答があるそうだから、間違いとは断言しづらい。
例えば、「全然大丈夫です!」などと、本来は「全然」の後に打消しの言い方や否定的な意味の表現を伴って「ーー足りない、ーー読めない、ーー聞こえない」などと使われるものであった。(が正しい! highdy の時代)
highdy の時代の教育指導要領は上記の通りで、「全然大丈夫です」では笑い者にされていた。同世代の方は現代でも、8割程度は否定表現を伴って使っておられる。
しかし、いまの若い世代では、 日本に入ってきた当初の用法(字義的にはこちらが正しい)で、「完全に、全面的に、非常に、問題なく」などといった意味で、否定表現を伴わずに使っている。しかも、文部科学省までも問い合わせに対しては、後者の「肯定的な表現で使うこともある」という回答があるそうだから、間違いとは断言しづらい。
うる覚えとうろ覚えは?
これには諸説あって、「うる覚え」は地方(茨城県だったかな?)の訛(なま)りだという人もいれば、発音しやすいからとか、語呂が良いからという説もある。
が、これにはしっかり理由があり、「うろ覚え」が正しい。
「うろ」とは、「空、虚、洞」などの字が当てられる。つまり、内部が「空」であるところ、例えば、木の「うろ」のように古い大木の幹に空いた「洞」(ほこら)のような部分を指している。
また、「胡乱」(うろん:確かでない怪しいこと)を意味したり、「胡散」(うさん:偽物っぽいこと)臭い様子などを示すことから「うろ覚え」は、不確かなことを意味している。「胡散」は怪しい、疑わしいという意味を持つが、断定できない場合には「臭い」をつけて曖昧にしている。
よって「うろ覚え」も曖昧でアテにならないことを意味している。
オマケのお話
文中に出た「茨城県」の読みも良く問題になる話で、多くの方々が間違って読んでいる。highdy も以前はそうであった。
こちらに短い記事と動画あるので、正解を確認して頂きたい。
いばらき、は正しいのですが、茨城の土地のなまりだと「い」と「え」がほぼ逆に聞こえるので、地元民に発音させると「えばらきけん」みたいになります。笑
ちなみに上野は「ういの」です。
いつもご訪問ありがとうございます。
なるほど、それは楽しい愉快なお話ですね。
私は山口県の出身ですが、友人・知人に新潟県の方が多く、新潟でも本来「い」と「え」の区別が無くて(曖昧で)似たようなお話になるようですね。
日本は長い島国ですから、鹿児島や青森のお年寄りとお話をすると、聞き取れなくて外国語を聞いているような経験をしたことがあります。
我が家でも「全然」の問題は厳しい評価(?)をして自分たちでは「全然」の後につづくのは必ず否定的な言葉であるという本来の使い方を徹底しています。
言葉にも時代と共に変化したり使い方が変わってくることを認めざるをえないものもあるようですが、この「全然」を肯定的な意味で使うことにはやはり抵抗がありますね。
芸能人や政治家なども多用するからでしょうか・・
さすがにアナウンサーが使っている場面の記憶はありませんが・・・
それから「姑息」ということばも本来の意味の「一時的な間に合わせ」や「その場しのぎの手段や方法」ということではあまり使われず、「卑怯でずるがしこい」 などの 誤った意味で使われることが多いですね。
正しい使い方のほうが怪しまれたりして・・・
先日、やはり言葉の使い方について気を使われているブログ友へのコメントにも書いたのですが、あの安倍晋三が得意げに話していた「間髪を入れず」の言い方なども多くの人たちが間違っていますね。
本来はその意味から「かん、はつをいれず」と言うべきところを「かんぱつをいれず」と発音される方が多いことを感じています。
危機一髪との意味と取り違え「ぱつ」と読んでいるのかもしれませんね。
そのうちに麻生太郎が発言した「未曾有」の問題も正しい「みぞう」が使われず麻生方式(?)の「みぞうゆう」でも間違いではないなどと言うことになったら日本語の崩壊(?)にも繋がりかねないのでは?・・などと思ったりもしています。
国を代表する安倍元総理、麻生失言王(失礼!)元総理すらこの体(てい)たらくですから、若い世代の誤用が多くて日本の国語力のレベルを嘆く人が多いわけです。
私もそうですが、パソコンやスマホの発達により、読めても書けない字があります。しかし、前のお二人はその読みもできないのですから、情けないです。
昔から我が国は識字率の高さは世界に誇れるものでしたが、現代は怪しくなってきています。大臣クラス程度はしっかりした国語力を持ち、失言のないように心がけてもらいたいものです。
仰るように、誤用が一般化して、「かん、はつをいれず」が将来「間違い」として扱われるようになってしまうと大変困りますね。
文部科学省も世代が変り、だんだん怪しくなってきています。