highdy の気まぐれブログ

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亡き親父の日記が面白い

2023年11月27日 | 日記



忘れていたことも思い出し
 highdy親父は2011年
(平成23年)の年末に他界していますが、寡黙ながら器用貧乏と言われるほどとても小まめな人でした。発想力highdy 勝るとも劣らない豊かな人間だったようです。
幼少より尋常高等小学校、青年学校、海軍工機学校と常に成績は優秀であったことが、残存する成績表が同期の方々や親族の証言を明らかに裏付けています。
その親父は highdy が中学生になる前からお袋の亡くなる2005年(
平成17年)後も暫く、約50年にわたり手帳に日記をつけていたことが亡くなってから判りました。
毎日数行ですが、仕事に関する大きなイベントや家族の日常行動などを垣間見ることのできるもの資料で、その性格が表われているようです。


歴代内閣の顔ぶれや勤め先の決算公告、給与明細がすべて残っています。

 highdy数えられるだけで約30回、らしきものを含めると40回以上のお見合いをしていますが、すっかり忘れていたものまで記録に残っています。
忘れていたことを思い出しつつ、時間のある時に懐かしみながら整理を続けています。

若いからできた行動
 記録によれば、或る日東京への出張から深夜24時に帰宅。
(当時新幹線は新大阪までで、宇部から東京へ行くときは特急彗星乗継ぎ割引により新幹線特急券が半額でした。)
翌日 夜22時46分頃宇部駅(山口県)から急行「阿蘇」に親子3人で乗車、
1日目 朝7時25分には京都駅に着き、レンタカーを借りて京都見物、
 清水寺・八坂神社・銀閣寺
(東山慈照寺)・金閣寺(鹿苑寺)などを観光、同日は駅前の法華クラブ(現存)に宿泊。
2日目 レンタカーで奈良まで足を延ばし、法隆寺、東大寺の盧舎那
(ルシャナ)(通称大仏)などを観光しています。
その翌日 親父が highdy を土産物持参のため会社まで送ってくれており、前日は夜行で帰りそのまますぐに出勤したようです。
さらにその夜は、1週間前に見合いをした女性のお宅にもお土産を届けに出かけています。
 当時の親父は会社を定年
(55歳)退職し、関連の中小企業に勤め始めた頃で、highdy も就職後間もない23歳になろうとする時期でもあり親子とも若いからできた行動です。
あと1か月もすれば79歳になりますが、この程度のことはいまでも平気でやる highdy ですがネ

僅かな記録で多くが蘇り・・・
 28歳の時まで地方の中小企業に勤めていましたが、とても出張が多かったのに夜はバスの本数が少なく、当時自宅から車で25分もかかる山陽本線宇部駅まで何度も車で送迎してくれていました。
 何処に出張に行った、デート
(今は死語かな?)をする女性宅に何時に向かったとか、何処に観光に連れて行った、何時に帰ってきた。
世話(仲介)役の誰と誰が来た、忘れていた女性のフルネームなどの記録もあります。
週に少なくとも3~4日はお袋と買い物に出かけていたようですが、どこの美容院に連れって行った、highdy お袋の服(当時は今のような「吊るし」は殆どなく、良いものは半数以上が仕立ての注文服で、靴も誂えものが多かった時代です。)を何処にいつ注文したなど。
  highdy東京の大手企業に転職してからも、海外に出張している様子や何を土産に送ってもらったなどまで書かれています。
僅かな手掛かりで、忘れていた数々の出来事を思い出して楽しいです。一人息子だったので口に出さなくても細かなことまで気になって、メモをとっていたのでしょう。

その頃は、そんなに優しい親父とは思いませんでした。親父に感謝です。
でも、老人介護のエピソードにも書いている通り、誠心誠意に徹底した最期を看取ったので悔いはありません。いまはさらに感謝です。




本日もご来訪いただきありがとうございました。

 
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