緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

想い出は何を伝える!

2012年04月16日 19時05分48秒 | 人物
4月16日(月)  

 先週ほど、本日は仕事で走り回る案件が少なくて済み、気分的に緊張感がやや薄れて、桜が散ったとは言え四月の香りが何とはなく体に伝わってきます。その先には、先週土曜日の光景、カメラに納めた日田市三隈川の風景が浮かんできます。写真の場面を思い浮かべながら六三年前までに遡ってみる事にします。昔物語です。市内見物の途中で、温泉入浴した亀山亭ホテル、湯上がり後にお話しのホテル関係者、年齢も同じくらいで、うなずき具合から同じ戦後体験をされたようで、時間帯が夜であれば話が弾み、心の中で仕舞い込んだ当時の世情や疑問点を、お尋ねする機会でもありましたが。


北帰行前のヒドリカモ、住み心地が良いのか、動く様子は無さそう

 自分の記憶に残る場面が現存して、一緒に語り部までご存命ですので、記憶の中に入る前から心が満たされてしまいます。幼子が日田市で多感な三年間を家族と一緒に生活して、成長したのですから、それなりに振り返り心の中で纏め仕上げるものがありそうです。旅とは思い掛けないものを頂くもので、出合うものの印象が深いと人生の区切り目を見る思いでもあります。


記憶にそっくりそのまま残る水辺への出口

 旅の風に吹かれる松尾芭蕉の心境が、高校古文で学んだ「奥の細道」を介して伝わってきます。日田市には江戸期より脈々と継承されて来た俳句の歴史があります。今も流れは続いているとみます。飢饉の時も当然の事ながら有ったでしょうが、天領と言う言葉が人々の口に上るには、それなりの文化の香りが醸し出されるようになったと見ます。そして、舞台装置とは何であろうか?少年期の気分になります。


歴史が有りそうな亀山公園

 仕事の合間に、或いは休暇の中で過去との出会いが有りますと、何となく悟った気分が湧き上がるのでしょうか。これも本人次第か。過去との対話、その様な場面は最高の贈り物、天の悪戯かもしくはプレゼント。三隈川の風景をカメラに納めて、引き出して眺めますと治水治山と言う言葉が蘇ります。三隈川に堰を設けて水深を増して、水面の安定を計り、鵜飼いや花火を楽しんだ往時の人々。三味線や太鼓の音も響くようになり、旅館街や花街も出現しますし、祇園山車が夏祭りに花を添えていつしか祭りの中心になります。日田市の歴史を紐解きますと、中心は三隈川の活用、当然の事ながら治水へと繋がるように感じます。


右の公園の高さと左の人家の石積みを眺めて、思い出すは、居住した三年間にも水害が発生してました

 記憶が正しいと戦中戦後に一時途絶えた屋形船も一九四七年には復活して、物資の無い時期に用いたのは鉄舟と呼ばれた旧日本陸軍の小舟でした。屋形船が復活しますと鵜飼いも始まります。夜の三隈川で繰り広げられる伝統芸能、夜のショーでもあります。夏ともなれば、明かりを求めて雲霞の如く、空飛ぶ小さな虫、自然とは背中合わせの水辺。一九五三年には大水害に見舞われたと、短い時間の中で教えて頂いたご婦人。


三隈川の屋形船

 こうして写真を眺めて往時を思い浮かべますと、心地良い部分だけが残っており、引っ越しと言う区切り目が有りましただけに、そのまま封印されて、忘却の彼方へ飛んで行きました想い出も多くありますが、それでも日田市への想いは心深くに沈殿してしまいました。その様な記憶を持つ事は、幼児期の想い出だけに、何とも言葉で言い表せないものがあります。


花火は三隈川歴史の中でもすっかり馴染んでいます