緑の街の水先案内人

都城市で緑の街の水先案内人として移る日々を写真と日記で綴ります。

小串棚田で見た光景

2012年04月01日 17時31分37秒 | 農業
4月1日(日)   

 朝から天気も爽やか、それに四月の第一日曜日となりますと、春のドライブ、目指す先は大隅半島。目的地の一つに肝付町小串の棚田見物があります。太平洋に面した地域は気候も温暖で、数十年前から早期水稲が定着して三月は早々と田植えシーズンになります。都城盆地が6月中旬に田植えが始まるのに比較しますと、約三ヶ月も早くてすっかり稲作の早期栽培が定着しています。


自然石を上手に使って配水がなされています

 そんな大隅半島の過疎化と農地放棄がどれほど進行しているか、水田作付けからも観察対象になります。まして素人考えですが、過疎地の棚田は放棄農地にもっともなりやすい耕作地でもあります。棚田の研究と言いますか、観察を続けます事は水田稲作の歴史にも通じそうですので、どうしても、棚田民の末裔を自称しますと、自然に棚田へと足が向いてしまいます。


田の一枚一枚に丁寧な田植えがなされてます

 この時期は海岸に面した急傾斜地の棚田はいかなる状態に有るか?肝付町小串地域を観察地にしました。その先の肝付町大浦地区まで足を伸ばせば、専門家並みになりそうですが、今回は日帰りでもあり、別件の目的地も有りますので、小串地区だけに止めます。ここは太平洋戦争末期に志布志湾攻撃の米軍を迎え撃つ人間魚雷回転の臨時攻撃基地が設営されたところでもあります。又、江戸時代の古文書にも小串村として登場したと記憶します。


山から流れ出る自然水の豊かなことは驚くばかり

 自宅から小串までマイカーで一時間十五分ほどの距離、国道四四八号線上の海抜百十一米の地点から海へと集落の道を下ります。途中の狭い棚田は大半が収穫を終えた昨秋よりそのままの状態です。ようやく、海岸線へ降りる農道の終点が見えてきます。目にしますものはトラクターと数人の田植え人です。どうやら、小串棚田は最も海に近い田から田植えが始まっております。


海へ面した棚田には歴史を感じます

 海に近い分だけ田の面積広くて、十アールほどの田圃も数枚有ります。なるほど田植えを下から上へと上げて行きますと、何が便利か?用水の配分が十分であります。田植えを終えていない田へ配水をしなくて済みます。その分だけ田植えがスムーズに行われます。しかし、数日来の梅で急斜面の小川を滝の如く水が流れています。


車の多さにびっくりして

 山間の棚田とは、まして、海に面した棚田とは用水の確保が比較的に容易で有る事が想像できます。また、ゴウゴウと流れる谷川の流れを眺めますと、棚田の歴史が古い事へと想いが走ります。この分ですと、今月半ば過ぎには小串棚田は大半が田植えを終えそうであります。現地へ出向きますと意外な発見が有るものです。今回は海に面した山間の棚田とは、用水の確保が潤沢である事、もちろん、比較しますのは五〇年前の平地水田とです。


農業法人のトラクターかな?

 これからは筆者の空想も交えますが、棚田が日本から消える事が有るだろうか?無い。根拠は米ほど日本人に適した主食は無いからです。まして、水源に汚染がない山間の棚田で収穫される米とは、上等米です。日本の稲作は都城盆地ですら二千四百年の歴史が確認されており、これからの大災害でも見舞われない限り、棚田を含めた稲作は気が遠くなるほど続くでしょう。


何ともこのような光景に出会いますと心豊かになります