平和エッセイ

スピリチュアルな視点から平和について考える

パール博士と東京裁判

2007年08月16日 | Weblog
8月15日に北海道に来ました。この日は釧路で35度になるという猛暑日で、首都圏そのままの暑さでした。しかし、今日16日は雨が降り、気温も30度以下に下がりました。寒暖の差が激しいですが、このまま涼しい日が続くことを期待します。

8月14日にNHKで東京裁判の判事を務めたインドのパール博士の番組を見ました。

東京裁判というのは、第二次世界大戦の終結後、東京で開かれた「極東国際軍事裁判」の通称です。これは、ナチス・ドイツを裁くために開かれたニュルンベルク裁判とセットで開かれた国際軍事法廷でした。

東京裁判には様々な問題があり、日本人はこの裁判をどのように受けとめるべきか、一致した見解をもっていません。

東京裁判の最大の問題は、戦争の勝者が敗者を裁いたという点にありました。勝者はまず強かったから戦争に勝ったのであって、必ずしも正しかったから勝ったのではありません。一寸の虫にも五分の魂といいますが、敗戦国側にも戦争をせざるをえなかった事情がありました。戦勝国側の主張がそのまま正義ではありません。ところが、東京裁判では勝者が法の名、正義の名において敗者を裁いたのです。

東京裁判の判事団は、イギリス、オーストラリア、オランダ、アメリカ、中国、フィリピンなど、戦勝国、あるいは日本によって被害をこうむった国々の出身者によって構成されていました。つまり、事件の当事者の一方が判事になったわけで、これではとうてい公正な裁判などありえないことは、誰にでもすぐにわかります。もし正義の名において公正な裁判をするのであれば、日本人や、戦争に関係のなかった国々出身の裁判官も選ばなければならなかったはずです。

ニュルンベルク裁判では、戦勝国側の裁判官と並んで、ドイツ人の裁判官も裁きの場に加わりました。ナチスのホロコーストは、ドイツ人から見ても犯罪として裁くしかない行為であったのです。

もし日本の戦争がナチスのホロコーストと同じ犯罪であるというのであれば、日本人の裁判官も判事団に加えればよかったはずです。

日本軍が戦争中に「戦争犯罪」の名に値するいくつかの残虐行為を行なったことは事実だろうと思います。もしそれらを犯罪として裁くのであれば、戦勝国側の同種の行為に対しても同じ基準が当てはめられてこそ、それははじめて普遍的な正義となります。たとえば、広島・長崎に対する原爆投下は、ナチスのホロコーストに匹敵する非戦闘員に対する無差別虐殺であり、これが戦争犯罪でなければ、戦争犯罪などというものは存在しません。

日本人を判事団に加えれば、必ず原爆投下の問題が議論になったはずです。それを避けるために、アメリカは日本人を判事団に加えなかったのです。この史上まれな戦争犯罪を行なったアメリカの大統領も軍人も処罰・処刑されませんでした。

この一事を見ても、東京裁判が、裁判に名を借りた勝者の復讐劇であり、インチキ裁判であったことがよくわかります。

東京裁判の欺瞞性に勇気をもって異議を唱えたのがインドのパール博士でした。

インドはイギリスの植民地であり、インドの裁判官はもともと戦勝国側の一員として選ばれたのです。それは、東京裁判を国際的な軍事法廷としての体裁を整えるための選出にすぎませんでした。ところが、イギリスの植民地支配に苦しんだインド人であるパール博士は、イギリスら欧米諸国の欺瞞を見抜いたのです。

法律家としてのパール博士が東京裁判を批判したのは、「裁判憲章の<平和に対する罪>、<人道に対する罪>は事後法であり、国際法上、日本を有罪であるとする根拠自体が成立しない」という判断によるものです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB

第二次世界大戦が開始された当時、「平和に対する罪」と「人道に対する罪」という概念は存在しませんでした。これは、ニュルンベルク裁判でナチスを裁くために作られた新しい概念です。

事後法というのは、そういう罪の概念がなかったのに、出来事のあとから、ある行為を罪とする法律を作ることです。いわば、ゲームの途中でルールを変更するようなもので、それまでのゲームでは手を使うことは問題なかったのに、途中から手を使うのは犯則だ、と言うようなものです。

「平和に対する罪」と「人道に対する罪」というのはこういう内容です。

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〈平和に対する罪〉とは,〈侵略戦争を,または国際条約,協定,誓約に違反する戦争を計画し,準備し,開始し,実行したこと,またはこれらの行為を達成するための共同の計画や謀議に参加したこと〉であり,その責任は国家機関の地位にある者であっても個人に負わされる。〈人道に対する罪〉とは,〈犯罪の行われた国の国内法に違反すると否とにかかわらず,これらの裁判所のいずれかの犯罪の遂行としてまたはこれに関連して行われるところの,戦前または戦争中における,あらゆる一般住民に対して犯された殺人,殲滅(せんめつ),奴隷化,強制的移送およびその他の非人道的行為,もしくは政治的・人種的または宗教的理由に基づく迫害〉である。ここにいう〈人道に対する罪〉は,戦争中のみならず戦争前の行為(とくに迫害)を含み,その国籍を問わず一般住民に対する行為によるものであるが,自国民に対する犯罪行為や迫害を主たる対象としている。
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平凡社大百科事典より

NHKの番組でも述べられていましたが、〈平和に対する罪〉の「共同謀議」というのはイギリスの法概念で、国際的な認知をうけた概念ではありませんでした。ましてや、ナチスに対してはこれが当てはまるとしても、いわば行き当たりばったりに戦争を拡大していった日本に対してはとうてい適用不可能な概念でした。

〈人道に対する罪〉に含まれる「一般住民に対して犯された殺人,殲滅」ということであれば、原爆の使用がまさにそれに妥当します。原爆という「人道に対する罪」を不問にしたことは、この裁判の正当性を根底からくつがえしました。

パール博士は、親日家であったから東京裁判を批判したのではなく、純法理論的に批判したのであり、彼の批判は現在でも反駁不能です。最初、戦勝国側判事として日本を裁こうとしていたオランダのレーリンク判事も、パール博士の正しさを認めざるをえなくなりました。

パール博士はガンジーを尊敬する敬虔なヒンズー教徒でした。その根底にあるのは、ガンジーと同じ非暴力平和主義でした。そういう立場からすれば、戦争そのものが許されない行為でした。ですから、パール博士は日本を全面的に弁護したのではなく、日本の戦争犯罪を厳しく批判もしています。ただし、「バターン死の行進」や「南京虐殺」について日本を断罪するパール博士の判断は、当時の戦勝国側の証言に基づくところが大きく、必ずしも公平なものとは思えません。

日本を裁くことができるものが存在するとしたら、東京裁判のような勝者の裁きではなく、絶対的な平和を求める神の視点のみであり、それは同時に戦勝国側をも裁かずにはいないのです。日本が東京裁判を受け入れたということは、戦勝国側の歴史観や論理を受け入れたということではなく、神の立場に立って、明治以降の軍国主義の歴史を否定し、平和主義を国是としたということ意味するのです。

東京裁判は、侵略戦争は犯罪である、として日本を裁いた裁判でした。事後法によるこの裁きは不当でしたが、侵略戦争が犯罪である、という法概念がいったん確立した以上、今後はこの法で裁くことは事後法にはなりません。しかし、その後、朝鮮戦争、チベット侵略、中東戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争など、数多くの戦争が起こされましたが、毛沢東にせよ、金日成にせよ、アメリカ大統領にせよ、戦争指導者が戦争犯罪人として国際法廷で裁かれたことはありません。セルビアのミロシェビッチが唯一の例外だと思いますが、それはセルビアが戦争に負けた弱小国であったからであって、勝者あるいは強国の指導者が法と正義の名において裁かれたことは一度もありません。

神の裁きを受け入れた日本は、世界で唯一、戦争を犯罪として否定する権利を有している国なのです。