∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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C-1 >宇宙山乾坤院

2005-05-29 16:29:38 | C-1 >小河氏系水野
宇宙山乾坤院(うちゅうざん けんこんいん)
   愛知県知多郡東浦町大字緒川字沙弥田4      Visit :2005-05-11 13:00

宇宙山乾坤院ホームページの略記には――
「 当山は、室町時代中期の文明7年(1475)に緒川城の守護を目的に初代城主水野貞守公の寄進によって、川僧慧済が開山した。以来、代々水野家の菩提寺であり、江戸時代を通じて尾張徳川家より禄を下されるなど、厚い庇護を受けてきた。四代目水野忠政公の息女で、徳川家康の生母である於大の方(伝通院)からも、三里四方の山林を寄進されたと伝わっている。明応9年(1500)から明治7年までは輪番制度をとっていたが、以降は今日に至るまで独住制を継承。現在は直門六十一ケ寺、門葉寺院総数五百余ケ寺を有する曹洞宗の中本山をいただいている。明治初頭の廃仏毀釈、第二次世界大戦、伊勢湾台風の大被害から復興を果たし、今日、境内は二万坪におよび、松・杉の森を背景にした七堂伽藍(文化財)は整然として古格を表し、清浄境の趣を呈している。また禅寺の根源となる座禅道場や寺院に隣接する於大公園は一般に開放され、多くの人々に親しまれている。」――と書かれている。

 因みに、乾(戌亥)は西北、坤(未申)は南西の方角をそれぞれ表わす。今から500年余前の創建時、緒川城からみて、当山がその方角の中間に位置したため、この名がついたとい伝えられている。また「乾坤」が壮大な天地をも意味することから、山号を「宇宙山」とした由来があり、当院の本堂前には、天空を指さす石像が置かれている。
また、写真の総門は、緒川城の大手門を移築したものである。


以下に『東浦町誌』からの抜書を記す――
「当院所蔵の『血脉衆』は、乾坤院二世逆翁宗順が戒名を付与した人の戒名を記した帳簿であり、水野氏の法名と実名が記されている最初の資料である。この中には、水野氏とはっきりしているもの以外にも「常貞 常滑(とこなめ)郷」「貞全 今村殿母儀」「誠栄 サクマ平右衛門 尾張 御貴所(ごきそ)」「貞安 大夫女」等があり、この中には、水野一族や親族関係であったものが含まれている可能性が高いと考えられる。なぜなら、帳簿を見るとき、様々な俗縁関係にあるものがまとまって授戒していることが確認できるからである。水野氏の存在とその周辺の武士たちを知る最も古い確実な史料である。」

「寛文十年(1670)二月、岡崎城主水野忠善が緒川村乾坤院に曾祖父忠政の御霊屋(堅雄堂)を本堂左手上方に建立した。忠政の娘が徳川家康の生母となった縁故もあって、その子孫は譜代の名門として幕府の要職につくことが多かった。幕末まで続いた大名家だけでも五家あり、幕府老中となった人物も多い。この忠政を水野氏中興の祖として祀り、子孫への加護を願ったものである。乾坤院では、将軍の側近として権勢を誇る水野一族の菩提所として、度々の年忌法要に各家々から代参が派遣され賑わった。

小河水野系図
http://blog.goo.ne.jp/heron_goo/e/694986f5283c9212e7114538de019f95


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