∞ヘロン「水野氏ルーツ採訪記」

  ―― 水野氏史研究ノート ――

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B-1 >法性山 福壽禪寺

2006-11-05 15:47:34 | B-1 >水野太郎左衛門系




法性山 福壽禪寺
  岐阜県加茂郡八百津町錦織517-6    Visit :2006-10-31 11:20

●法性山 福寿寺(ほうしょうざん ふくじゅじ=通称)
 臨済宗妙心寺派
 本尊:釋迦如来
 開創:夢窓國師疎石(*1)
 開山:剛岳禅師

[由緒]――当山史料から編集
 正中二年(1325)以前の時代、禅の名僧である夢窓國師疎石が、慈徳庵と号し庵を結んで観心修行(*2)に励んだ所が、当寺のそもそもの始まりとするものである。
    しはらくも吾隠家の山櫻
      花も浮世の風をのがれよ
これは国師の自詠であるが、ここに詠まれている隠居所がこの慈徳庵である。
国師が行化(*3)して後、寺は一度は烏有(*4)の状態となったものの、二百年後の天文三年(1534)、瑞林寺二代剛岳和尚が、寺を修造建立し、木造釋迦如来像を本尊として安置し開山となった。しかしながら、当地は寺と村との間に水路があり、出水の時は必ず道を断たれて寺役檀用の法務を欠く事態も何度か有り、代々の住職の悩みの種となっていた。さらには豊臣秀吉の時代になると木曽川水運が大きく発達し、寺門の下に綱場(*5)が開かれて五木珍材の一大港となり、役所もすぐ近くに設けられたことで、役人を敬遠し人々の参詣の足も遠退き勝ちとなった。これらのことから、止む無く寺を村の中央に移したが、ここもまた周囲は民家に接しており、僧坊としての静寂な雰囲気も乱され適地とはいえなかった。寛文年間(1661-1673)に至って、漸く村の西南境の閑静な現在地に移転が叶い安堵することが出来た。
 正徳四年(1714)、第四代住持の鼎山は、尾張國鋳物師、第五代水野太郎左衛門政長に 依頼し喚鐘を新鋳した。
 その後は、当地に移転してから三百数十年、開基以来四百七十余年に渡り、村人達の崇敬を集め精神の拠り所となってきた。
 当寺は、南西の背後を緑豊かな山に懐かれ、東北に集落を望み、境内には優しげな眼差をした慈母観世音菩薩像が祀られている。

●update 2011.0326
鐘銘に陰刻されている、「正徳四年(1714)」は、確かに「甲午」で相違なく、また陰刻された鋳物師名は「藤原政良」と明瞭に読め、第五代水野太郎左衛門政良である。しかし、政良は、寛永十三年(1636)に家督を相続し、宝永二年(1705)に没している。「正徳四年」に当主であったのは、宝永三年(1706)に家督相続し、寛保三年(1743)に没した、第七代水野太郎左衛門政貞である。
 このことから、「甲午」は六十年ごとの周期で回ってくることから、第五代水野太郎左衛門政良の当主の時代は、承應三年(1654)となるが、これは彫り間違える可能性は極めて低いと思われる。そうすると、「藤原政良」については、第五代が名乗っていたが、第七代も家督相続八年後の「正徳四年(1714)」には、「藤原政良」を名乗っており、その後「政貞」と名を改めたのであろうか。
 いずれにせよ、確かなことは判断できないことから、便宜上、当面「(第七代)水野太郎左衛門政良(政貞カ)」と記載することにしたい。



[註]
*1=道号夢窓、法諱疎石、建治元年(1275)~感應二年(1351)。 鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗禅僧。奈良東大寺で受戒。建仁寺で禅宗を学ぶ。その後美濃国など各地の寺庵に滞在。正中二年(1325)、後醍醐天皇の要望により上洛、南禅寺住持となる。このことから、当山の開創は、正中二年(1325)以前と推察される。
*2=かんじんしゅぎょう。自己の心の本性を観察し、その真実を明らかにするため仏道に励むこと。
*3=ぎょうけ。修行と教化。
*4=うゆう。何もかもすっかり無くなってしまうこと。
*5=つなば。川の要所に丈夫な綱を張り渡して、流送される木材を堰き止め、集める場所。



●正徳四年(1714)第五代水野太郎左衛門政長作 喚鐘

銘文
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奉 寄 附 觀 音 講 連 衆
濃 州 可 兒 郡 錦 織 邑
    法 性 山  壽 禅 寺
        現 住 鼎 山 識
正 徳 四 甲午 小 春 吉 辰
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尾 州 名 護 屋 之 住
   大 鐘 師
      水 野 太 郎 左 衛 門
            藤 原 政 良
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☆旅硯青鷺日記
 ゆったりと流れる木曽川を眼下左手に見て、福壽禪寺さんに向かいましたが、約七万分の一の地図では、当寺の所在が解らず左岸沿いにある喫茶店で道をお尋ねすると、ご親切に道まで出てくださり、南の山手の方を指差しながら丁寧にご案内いただきました。
お陰様で迷うことなく当山に辿り着くことができました。ありがとうございました。
 当寺は穏やかな真昼の日差しを一杯に浴びて、実にのどかな風景の中にありました。
お庫裏で訪問の主旨をお話しすると、ご住職様は直ぐに本堂へ廻るようにと云われ、脚立もご用意いただき撮影させていただきました。法要のご準備でお忙しい中お茶でお持てなしいただき、この先の道中までもお気遣いいただきました。ご親切に感謝申し上げます。


水野太郎左衛門家系譜http://blog.goo.ne.jp/heron_goo/e/42f77dfdd91dfcd69ef3357f3d0bfd06







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