曲がり角の向こうに・・・

毎日の暮らしの中でフと心に留まった人やもの、そして風景を描きとめています。 

さて、と・・・

2022-08-19 | あれこれ

ご無沙汰いたしました~~

自分でもよく分からないまま

パソコンを開く気にならずにおりました

8月に入ってからの体調不良は

夫の新盆の棚経の日が迫ってくるというのに

ずっと続いていて

(まっくら観音様にお参りしたというのに・・・

食欲もなく水を飲んでももどしてしまう状況になり

お盆のお供え物を載せるまこもは1週間ほど前に買ってきておいたものの

買い物にも出られなくなり遂にご近所の友人達にSOS

果物やお花やその他必要なものを見繕って買ってきてもらいました

盆提灯は葬儀場の担当者が

届けてくれてきちんとセットして下さったので

なんとか無事にお坊さんをお迎えしお経をあげて頂きました~~

夫もホッとしたことでしょう・・・?

夕方の棚経でしたので

寿司会席を予約していたのですがそれもキャンセルし

涼しくなってからあらためて皆さんと楽しむことに致しました

 

これまでの経験から極度のストレスと疲労が重なると出てくる症状と同じなのですが

今回は自分でもどうしてこうなったのか分かりません

初めて迎える新盆がそんなにストレスだったとは思えないし・・・

やはりこの猛暑で暑気当たりになったのでしょうか・・・・?

 

10秒でエネルギーチャージとかのゼリー状の補水液やスポーツドリンクなども買ってきてくれたり

美味しいお粥を作って届けてくれたり・・・

本当に友人達にはお世話になりました🙏

お陰さまで2、3日前から胃の存在を感じることがなく過ごしています

 

その間 詩人の高田敏子さんの

お嬢さんの書いた著書「母の手」(詩人・高田敏子との日々)を

新たな驚きをもって読み終えました

温かで優しい詩に惹かれて

ブログにも何回も引用させていただきましたが

その詩を支えていた高田敏子さんの

心の姿勢に触れて背筋がシャンとするような感動をおぼえました

「詩を書く上で、一番必要なことは?」と

主宰する詩の会でよく繰り返されるこの問いに対して

「なんでも好きになること、謙虚な心でものを見ること」と答え

「詩はどうしてできるのか」、「詩の作り方を教えてくれ」と聞かれると

返事に困るのだが「何にでも興味を持つこと。 育児も台所も、掃除も好きになること。

悲しみも苦しみも、それに興味を持って積極的に生きる姿勢、そこから詩も生まれる」

更に続けて

「詩は料理や洋裁のように決められた材料や作り方があるわけではない。 

材料を探すのも自分、書き方を考えるのも自分。その自分がはっきり出るところが

詩のよさ、味わいのよさになるので、人に教わるというものではなく、

教えられるというものでもない。

大切なのは材料を自分で探せる人になることだろう。

人の探した材料をもらってもそれは人真似ということになるから

書く意味もないことになる。 

材料を探せる人になるには、何でも好きになることではないかと私は思う。

たとえば、マッチ棒一本でもそれが好きになった時、

何かしら話しかけたい気持ちが生まれる。 そのものをていねいに大切に

見ることもするだろう。

身辺のもの一つ一つに『大好きよ』と言ってみると、

そのものが急に生き生きと見える。

どんな言葉が生まれるか試してみて下さい」

更に

「詩はその好きなものへの呼びかけであり、

呼びかけから得たものが詩になるのだが、その言葉を探すのが

楽しくもあり、辛くもなる時間になってくる。

スイスの古い詩人・マイヤーの詩に

『喜びと悲しみは二人きょうだい 切りはなすことはできない』というのがあるが

悲しさ、苦しさも積極的に受け止め、人生の味を知ることによって

詩の内容もふかくなってゆく」

 

食事を作りたくない・・・お掃除が大変・・・などなど

アレコレボヤいていた私への強烈なアッパーカットでした・・・

 

さて、と・・・これからどうする・・・

実は8月12日にブログ開設1,500日を迎えました

夫の介護の日々の中で少しでもガス抜きになったら・・・と思って

ブログに向かってきましたが

今や介護卒業し新盆も終わりました

ブログで出会った素晴らしいブロ友達に心から感謝しております・・・

 

もう少し自分の心のままに過ごしているうちに

なにか掴めるかもしれません

それまでしばらくブログはお休みに

させて頂こうと思います

 

今日は秋の風を感じられる日です

皆様もくれぐれもお身体お大切にお過ごしください

 

 

トルコの目玉のお守り

禍から身を守って頂けますように・・・

 

 

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