老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

「できる」「できない」を考える (6)

2022-02-28 05:04:09 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」


1827 手を当てる

ベッド上で寝ている要介護老人を手を使わないで起こして下さい

「質問の意味がわからない」、と戸惑った人もおられるのではないか。

簡単なことです。
老人に近づき「起きれますか」、と言葉をかける。
老人は「起きれる」「手を貸してもらえば起きれる」「起きれない」など、いろんな言葉が返ってくる。

介護に慣れてくると、言葉をかけずに起こしてしまう介護員がいる。
介護は言葉かけから始まる。
ベッドに寝ている老人、と思い込み、すぐ手を出してしまったり、
早く「介護」を終えよう)時間がない)、ということから言葉もかけずに介助してしまう。

要介護老人の場合、「起き上がり」の介助を行うとき
「座位」がとれるよう連続して介助していく。

元気な人(体力がある人)は、両足を伸ばした状態で起き上がりを行う。
筋力の衰えた老人は自力で起き上がるのは容易ではない。

介護者は老人の背に手を当て、力を入れ起こす。
最初は起こすとき、介護者は十の力で起こす。つまり、全介助で起こす。
介護者がいつも十の力で起こすと、老人は「起こしくれる」と思ってしまい、いつまでたっても起きれない。
ここからが大切。

起こすとき介護者は、背中に手を当てた力を少しづつ抜いていく。
最初に起こしたときよりも、介護者 の手の力が半分くらいで起きれたとき、
「凄いね、だんだん自分の力で起き上がりが出来ているよ。自分で起きるよう頑張っているから助かるよ」、と褒めると
「そうか」
老人の表情は違ってくる。

全介助で起こすより、半介助で起きれるようになると、、老人も介護者も「楽」になる。

半分くらい力で起きあがれるようになると、
端座位(ベッドの端に座ること)、「座る」の基本動作へ繋げて、介助ができるようになる。

「起き上がり」ながら、連続して「座る」といった動作に結びつける。

そのことは次回に記していきたい。

わかりにくい文章ですいません。ハッキリしないところは、コメント頂ければ助かります
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熱が出たとき・・・・

2022-02-27 15:01:42 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
f

1826 手当て

頭や身体が熱い感じがし、身体がだるい、と感じても
乳幼児や認知症老人は、訴えることができない。
身体の異変を感じても、言葉を使い話せない。

母親や介護者は、「なんだか、目の淵など顔が薄ピンク色に見えたりして、熱があるのかな」、と思い
額に手のひら(掌)をあててみる。
額から掌に熱さが伝わり「なんだか、熱がありそうだね。大丈夫!」
「いま、体温計を持ってくるからね」、と言葉をかける。

観察していて、熱がありそうだ、と思い、急いで体温計を取りに行き、
体温計で測る。それは、間違いではない。

昔、子ども心に、母親が額に手のひらを当て、「熱があるね」、と
手のひらで感じ、心配してくれたことが嬉しかった。

要介護老人も同じくである。
手を握られ、握り返したり、背中をさすったり、軽くたたいたりするだけで
ひとは励まされたり癒されたりする。
手の温もり、言葉はなくても思いは伝わる。
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「できる」「できない」を考える (5)

2022-02-27 06:21:44 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」


完熟 いちご🍓

1825 起き上がりが「できない」

人間は、ジッとしていられない生き物である。
寝たきり老人になっても 介護用ベッドの上でゴソゴソと躰を動かしたほうがいい。
躰も手足も動かさずに、天井を見ながらジッと寝ていたのでは、良くないことが起こる。
床ずれ(褥瘡、じょくそう)ができ、手足は拘縮したりして躰が硬くなる。

要介護の認定を受けると、基本動作の大切さを改めて感じる。

人間の基本動作(介護事業所で働く介護員は要必読)は
「寝返り」「起き上がり」「座位保持」「立ち上がり」「立つ」「歩く」の6過程がある。
(上記の基本動作は介護用ベッドで行なう)

「寝返り」
寝返りが自力で、できなくなると、要介護5の目安になる。
天井を見るだけの世界になり、エアマット(床ずれ防止用具貸与)が必要になる。
気配りの介護が一層求められる。

左右に寝返りができると精神的に大きく違う。
枕元を上げ右を向くと、外の景色が目に映り、季節の風を感じる。
歩くことができない人にとって、風景を見ると様々なことを思い浮かぶ。

「起き上がり」
基本動作のなかで容易にできないのが、「起き上がり」である。
脳血管障害後遺症により、手足に麻痺があるとさらに起き上がりが大変になる。

若いひとならば、仰向けの状態から、布団のうえでヒョイと起き上がれる。
老いを嵩ねてくると、横に向き布団に手をつき、加重をかけながら、起き上がりを行なう。

ここで、質問!
ベッド上で寝ている要介護老人を手を使わないで起こしてください。







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殺す理由がないのに相手国の兵士を殺す

2022-02-26 16:06:48 | 阿呆者



1824 火の粉

殺す理由がないのに相手国の兵士を殺す
殺された兵士にも家族はいる
残された遺族は
悲嘆にくれ
戦争ほど残酷、悲惨で醜いものはない

老人、子ども、女性たちが犠牲になり
住むところも食べるものも飲み水もなくなる

いつの時代も戦争を起こした支配者は安全なところにいる

戦争の火の粉は
飛び広がり
アジアで戦争が起こるとも限らない

戦争はいらない
静かな平和を欲する


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「できる」「できない」 を考える (4)

2022-02-26 04:11:31 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1823 胎内から歩くまでのプロセス





にんげんは、この地上に二本足で立ち、歩きそして手を使うことで
大きな自由を獲得した。

若い親やジイババになった祖父母は
赤ん坊が「仰向け」から「寝返り」ができると歓喜の声を上げる。
「寝返り」ができるようになると
小さな人間(赤ん坊)は、顎あげ、次に胸をあげ辺りを見まわす。

入院し大きな手術施行し寝返りもできずにいる患者、自力で寝返りができない要介護5の老人は、
目に映るものは天井だけ。
それが、寝返りができ、胸をあげ、首を回し部屋の風景を眺め見る。
物を立体的な関係で捉えるようになる。

寝返りができた力は、うつ伏せから手、腕そして足を使い「四つ這い」をすると、
小さな人間はの行動(世界)は大きく広がる。
興味津々な物が目に映り、「あれは、何だろう」、と早くそこへ行きたくて
「高這い」になる。

図「運動発達の順序」を見ると
小さな人間は、目安として9ヵ月になると家具(椅子)につかまっていられる(つかまり立ち)ができる。
10ヵ月には「這い這い」ができる、と説明している。
しかし、なかには「這い這い」ができ、次に這い這いから椅子の座面に手をつき「立ち上がり」の動作を行うこともあり、
発達の順序が逆になることもある。

老いてくると体力や筋力が落ち、床(畳)から容易に立ちあがれなくなる。
床から立ち上がらせるとき、介護者は決して老人の両手を握り引っ張り上げてはならない。
老人の全体重を持ち上げることになり、肩が外れてしまう恐れがある。
介護者も引っ張りあげるのは大変。
介護は力ずくで行うものではない。

小さな人間が行ったように
這い這いから椅子の座面に手を乗せ、加重し手を押し上げ、立ち上がり、立つ。

床よりも椅子(介護用ベッド)に座り、介助バー(移動バー或いは支援バー、とも呼ばれている。介護保険、福祉貸与サービス)につかまると更に容易に立ち上がりができ、安定した立位保持ができる。

担当させて頂いている85才のババ様(要介護5)は、
両足の筋力は萎え立つことも歩くことができない。
「歩けない」から車イスに乗せて移動する、という考えになりやすい。
青空の家デイサービスは、ホールからトイレや洗面所までの移動は四つ這いにより行わせている。
(四つ這いを終えた後は、手指を拭き、消毒液により消毒している)

自宅では一人暮らし生活をしている。
毎日朝夕ヘルパーが支援に訪れる。
自宅のなかは四つ這いで移動している。
自宅で四つ這いで移動しているのに、デイサービスで車イスを使用すると
四つ這いの機会を減らすことで
彼女の両手両足の筋力は落ちてしまい
寝たきりの誘因、要因の引きがねとなってしまう。

いま老人が持っている力を使うあるいは引き出すことにより
生活のなかで「できる」ことを行なわせていくことが、生きる力につながっていく。














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傷む、悼む

2022-02-25 18:01:05 | 阿呆者


1822 死んだ男の残したものは

谷川俊太郎が書いた詩

死んだ男が残したものは、
ひとりの妻とひとりの子ども
他には何も残さなかった
墓石ひとつ残さなかった

森山良子が歌った

ウクライナに戦争が起き
戦禍のなかでいつも惨劇に遇っている
罪もない市民がミサイルで殺された
同じ地球の片隅に住み
何もできない自分

ふと、谷川俊太郎さんの詩『死んだ男の残したもの』を思い出した
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「できる」「できない」を考える (3)

2022-02-25 05:12:52 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」


昔開拓部落だった家をほうもんしたとき軒下の氷柱を発見。

1821 白と黒の中間

「できた」「できない」
「できない」よりは「できた」方がいい。

「できる」ことに拘り過ぎると
「できなくなった」ときの落差は大きい。

老人はチョットしたことで
それが引きがねとなり「寝込み」
歩けなくなり、生きることに諦めてしまいがちになる。

人間は「できる」「できない」の二つに結論づけようとする。

話は横道に逸れるが
昔の映画は白黒だった。
画面を見ると色は白色と黒色だけではない。
灰色があった。
灰色の存在により
光や影の風景が作られることで
立体感を醸し出していた。

カラー映画よりも
時には白黒映画の方が味があり
昔の風景を懐かしく思うことがある。

物事には白か、黒かの二色だけでなく
色の組み合わせにより
見方を変えることができる。

大正、昭和(戦前、戦後)生まれの男のなかには
令和の時代になっても
妻は夫に従うもの、という考えから抜けきれずにいる。

老いた夫が床に伏せたとき
老いた妻は子育てのように
かいがいしく世話(面倒、介護)をしてしまう。

本人が「できる」ことまで世話を焼き
いつのまにか「出来ていた(できる)ことが「できなく」なってしまう。
夫は自分でやれば「できる」のに
俺はもうだめだ、と思い込み甘え、老いた妻にもたれかかる。
威張っていた前の姿は何処にきえたのか。

ケアマネジャーや介護事業所の介護員(介護福祉士)は
要介護老人が「できていない」ことの実相を見極めていくことが必要になってくる。

介護従事者のなかでも手を出し過ぎて、要介護老人の自立を阻んでいることを「わかっていない」人がいる。
時間がかかる、待つことができないために、つい手を出してしまう。
それが「できなく」させていく。

また「できる」「できない」の見方だけに捉われると、そこで行き詰まってしまう。
ここの部分を手をかせば(ここのところを支援すれば)、「できなかった」ことが「できる」ようになる。
自分で「できる」能力をもっているのに「やってもらっている」ことを、自分で「やってもらう」

そうすれば「できる」ことが増え
介護者(老妻)の負担も減ってくる。

今日の話は抽象的でわかりにくいかもしれない。

次回、事例を通して今日の話を実体験により深めていきたい。



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「できる」「できない」を考える (2)

2022-02-24 04:59:58 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」


冬の青空

1820 待つ

幼児、老人の動作を「待つ」 それは忍耐がいる。

幼稚園(保育園)バスがまもなく到着する。
自分で靴を履こうとしているのに
母親は「何グズグズしているの、バスが来るでょう」、と
小言を言いながら、靴を履かせてしまう。

いつの間にか子ども(幼な子)は、靴はお母さんに履かせてもらうものだと
子どもは思い込み(学習してしまう)、依存的になってしまう。

それは、小学校に入ってもランドセルの中を準備するのは母親。

子どもだけでなく老人も同じ光景が映る。
デイサービスの車が迎えに来る。
認知症を抱えた夫
老いた妻は、「(夫は)何もできなくなった」、と思い込み
靴を履かせてしまう。
(夫はまだ靴を履く力を持っている)

時間をかければ、なんとか自分で着れるのに
動作の遅さに待ちきれず
若い母親、老いた妻は手を出し着せてしまう。

認知症になっても老人は学習する。
椅子(または介護ベッド)に座り、手や足を差し出し;
やってくれるのを待つようになる。

子どもも老人も同じ。
やってあげることは簡単だし、早く終わる。

子ども(老人)が最後まで自分で行うのを見届ける
つまり、待つことの方が難しい。
つい手をだしたくなるのをこらえる。
それは、「待つ」とは、「間」をとるという事を意味する。

「間」をとった育児や介護が大切。
それには、時間や心の余裕が求められてくる。

お母様の介護をされている或る娘さんは
コメントの中で「ゆっくりゆっくり寄り添って歩んでいきたい」、と述べられていた。
「待つ」とは、寄り添いの育児や介護であることにも気づかされました。











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痛み、傷み

2022-02-23 13:59:17 | 阿呆者


1819 人間にとっての傷み

人間を翻弄するコロナウイルス
人間の心に大きな傷を残している、いまなお

wifeは頭痛と腰痛でさい悩む
自分も頚椎痛と腰椎痛で鬱陶しい気持ちが続く

心に負った傷は容易に癒えない

整形外科病棟の壁に
「痛みを数字の1から10までとする。
数字の10は人生における最大の痛みとしたら
あなたの痛みはいくつですか」
と、言うようなポスターが貼ってあった。

痛みを数字で表わすのはなかなか難しいものです。
心の傷みは数字では表すことはできない。
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「できる」「できない」を考える (1)

2022-02-23 07:43:39 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」



1818 報われない努力

羽生結弦選手の「報われない努力」もある、という言葉に衝撃を受けた。
よく人は努力をすれば報われる(結果がついてくる)
羽生選手の言葉は
前人未踏の4回転半アクセルがオリンピックの大舞台で成功するために
言葉に尽くせぬほど努力に努力を重ね、チャレンジした。
4回転半アクセルは公認されたけど
心のなかは跳び着地が成功することを目指していた。

自分は長く生きてきたが
死にものぐるいになって努力をしてきたことはなかった。
だからやり切った(達成感や成就感)という喜びがない、悲しい人間である。
だから、老いてからの後悔の念はことさら「きつい」
人生は一度限り、もうここまで老いては「やり直しがきかない」

死が刻々と近づいても何かやれることはあるのだろうか、と。
いまさら後悔しても始まらない
老いてから伊能忠敬のように足で歩き
日本地図を完成させた
凄いことだと思う。

しかし、いまの自分に「できる」ことはなにか、考えてみた
転倒骨折や脳卒中後遺症(脳血管障害後遺症)、認知症などの疾患により
いままで「できていた」ことが「できなくなった」、と諦め
家族も介護者も「優しさ」からつい手を出してしまいがちになる。
「できる」ことまで、「できなくさせて」しまう。

「できる」「できない」「手をかせばできる」の見分けを
要介護老人とそのご家族と一緒になって考え
少しでも「できる」喜びを感じていきたい。

「勉強ができる」「できない」
「できる」と「わかる」の違いは何か
「子どもができる(生まれる)」「子どもができない(生まれない)」
子どもが欲しいと切に願ってもできない
どうして、子どもを虐待し殺してしまうのか

老い齢を嵩ねるにつれ「できない」ことが増えてくる。
福祉用具や介護用品などを使うことで「できる」ようになる。

幼児や老人にとり
母親や介護者が口や手を出さず
「待つ」だけで「できる」のである。
そのことは、次回(1820)で述べていきたい。

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老父と娘

2022-02-22 04:19:40 | 阿呆者


夕方帰宅したら、アルトは小さな氷柱ができていた

1817 病気は治らないから、病院には行かない

飲み薬がなくなり、前立腺癌の治療(注射)しに
今日は泌尿器科受診をしなければならない
老妻に言われても「病気は治らないから、病院に行かない」、と
夫は全く行く気がない。

通院介助のために実家に帰った次女。
妻には強いが、娘には弱い老父。

電話で「病院に行かない」、と母から聞いていたので
居間に入るなり娘は連発して言葉を浴びせ倒す。
「病気が治らないから、病院に行かない、というけれど
お父さんの前立腺癌はもう治らないの」
「治らないからって病院に行かないと、病気は更に悪くなるの。
体のあっちこっちに癌は転移して、体中痛くなるよ。それでもいいの」
娘からかなり厳しい口調で言われても、
まだ椅子から立ち上がろうともせず、無言のまま。

「お父さんは、歩けないというけど、
歩行器を使ってトイレに行ったりしてどうにか歩いているでしょ」
「病院に行かなければ、寝たきりになり大変な思いをするのはお母さんだよ。
これ以上お母さんに大変な思いをさせないの」、と言われ
ようやく体の向きを変え立ち上がった。

病院の帰り路
大好きなスターバックスのコーヒーを飲むことができ
朝の苦言はどこ吹く風となく忘れていた。





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雪の華

2022-02-21 08:18:32 | 阿呆者
1816循環器科受診

雪降る夜明け前に自宅を出た。
今日は自治医科大学附属病院循環器科外来受診です。
いま慣れない指使いでスマホを操作してます。
夕方帰宅してからブログを書きます。

永い眠りに就くまで自治医科大学附属病院通いです。
今日無事でありますように……

雪の華は今日夜明け前に撮影

自治医科大学附属病院では他に
腎臓外科、感染症科、皮膚科、心臓外科を受診中
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何処で生きる

2022-02-20 14:40:08 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」


1815 にんげんの聲が聴こえる

木枯らし吹く寒い日は、両膝の関節は疼き
歩くこともままならぬ。

あれから十年が経ち、先に夫は逝き
独り身となった私。
いまは床に臥す日が続き、寝返りはままならないけれど
床ずれが出来ては大変、と思い柵につかまり左右に身をまかせる。

部屋に入ると、尿便で滲み着いた紙おむつ
自分で取り替えることもできず
為すが儘に他人に身を委ねるだけ。

こんな辛い思いをしてまで
にんげん生き恥を晒しながら生きる位なら
町外れにある特別養護老人ホームに入った方が幸せなのではないか、と
周囲の他人(ひと)は聞こえよがしに言う。

私は汚れきった家であっても
北側の襖の上に夫の遺影があり
夫と生きてきた家で死にたい

自分は生きていく価値があるだろうか
このまま生きていても意味がない
生きたところで、この先何があるというのか
なるようにしかならない。
私は此処で最期を迎える・・・・

死ぬしかない、と思うこともあるが
死ぬ「勇気」もなく、悶々としている。

老臭と尿便臭が混じった酸っぱい臭いが漂う部屋に
毎日、朝と夕方 ヘルパーが訪れ
おむつ替えと食事づくりをする。
ヘルパーは老いた彼女に言葉をかける。
にんげんの聲が聴こえる
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城の崎にて

2022-02-20 09:07:19 | 文学からみた介護


1814 静かな死

深夜に目が覚め なかなか寝付かれずにいた
豆球だけが灯る薄暗さのなかで
ふと、現代国語で習った志賀直哉の『城の崎にて』を思い出した。

短編小説『城の崎にて』は、死というものについて書かれている。
若かった時とは違い、老いに入った自分は、死は他人事ではなくなった。

物忘れが増え、記憶は不確かさにあるけれど
思い出しながら『城の崎にて』のことを書いていきたい。

筆者は青年のとき、山の手線の電車に跳ねられ、顔と背中に傷を負い
医者からは脊椎カリエスが発症しなければ大丈夫だ、と言われた。

3〜5週間、養生のために城崎温泉に来た筆者。

城崎温泉に療養しているときに生き物、蜂、鼠、いもりの死に遭遇する。

蜂は日々朝から晩まで忙しく働き、雨上がりの朝、ひっそりと死んだ。
路上の上に濡れた蜂の死骸は、静かに葬られる。
残された者は、日々の忙しさのなかで、
時間とともに死者をやがて忘れていく、静かな死である。

蜂の死に方に対し、鼠の悲惨な死に直面した。
川の土手で鼠は七寸の魚串が刺し通され、
子どもや大人までもが石を投げる。
鼠はそこから逃れようと苦しみもがくがつい果ててしまう。

筆者が投げた小石が、偶然にもいもりにあたり、いもりは死ぬ。
思いがけない、不慮の死。

筆者は、一歩間違えば電車に跳ねられ突然死に遭ったかもしれない。
でも、自分は死を免れた。
生と死は紙一重にある。

いままでは死は遠いところにある、と思っていた。
死はいつ訪れるかは、神のみぞ知る。

できるものなら蜂のように
静かな死を臨みたい、と願う。




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路端に転がる石

2022-02-19 14:07:03 | 介護の深淵


石のぬくもり 

介護ベッドの上で
寝返りすることもできず
ジッと天井を見つめたまま

長い一日を過ごす苦痛
屈伸することもできず
左右の手足は「く」の字に拘縮したまま

硬くなってしまった老人の躰は
石のように冷たい

辛夷(こぶし)に映る 握りしめた指をひと指ひと指解し
空に向って開いた手を握り返す
微かにぬくもりが伝わりはじめてくる


路傍の石はジッとしたまま
何処へも行くことができず
地べたにへばりついたまま

石の表面は
青空を見つめ
太陽に照らされ
ぬくもりの石になる

石の裏面は地べたに引っ付き冷たいが
表面からやさしいぬくもりが
じわっとつたわり
ぬくもりの石になる


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