老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

歩くより楽ちん

2023-05-31 12:42:39 | 犬と人間
1945 満悦なgenki



黄色プレート GENKI を取り付け
家の周りを散歩した。

押して歩くとはいえ、14㎏の元気を移動させるのは
大変だった。
何も押さずに歩く方が楽だった。

当の元気がご機嫌最高で立ち乗りをし
初夏の風の匂いを感じていた。

妻は「ヘルパー犬だ」と、知人に画像付きでラインを送っていた。

そうそう妻の右親指は粉砕骨折であった。
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右親指の疼き

2023-05-30 20:42:58 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1944 右親指の疼きを耐える妻



97歳になる老母の介護をしている息子は、睡眠不足に陥っていた。
夜中に、そして今も何度も紙パンツを脱いでしまう。
便秘になりはしないかと、その強迫観念が気持ちを占め
必死に手すりにすがりつくように掴み
寝室の向こうにあるトイレを目指し か細い脚を引きずり歩く。

朝ご飯を食べ終えたとき 携帯電話が鳴った。
スマホの画面を見ると息子さんの名前が目にとまった。
「どうしました、と尋ねると
「婆さんの呼吸が乱れ苦しそうにしている」
「紙パンツを穿かせてもらいたい」

自分は商工会に行く約束があったので、妻は「私が行くから」と、言って足早場に玄関を出た。
万が一病院に連れていくことも予想されるので車いすが乗れる福祉車両で向かった。

酸素濃度を測ると80の数値を下回っていた。
血圧、脈拍は問題はなかったが、肩で呼吸しており
かかりつけ医の携帯電話にかけたら、(この医者は我が家のかかりつけ医でもあった)
「救急車を呼んだ方がいい」、と指示を出してくれた。

救急車を呼ぶ前に妻は福祉車両の後部座席を持ち上げたとき
その重さに手が滑り、分厚く重みのある後部座席に右親指を挟めてしまった。
その衝撃に痛み(傷み)に声も出なかった。

もう親指が切断されたのでは、と一瞬頭を過った。
血は出ておらず 指はもぎれずにある、とホットしたのもつかの間。
右の親指にもう一つ心臓があるほどの激痛で、お尻の穴まで痛かった、と妻は話す。

96歳の家族には気づかれないようにしていた。
妻は「自分も一緒に救急車に乗って行きたかった」

急性心不全の診断で96歳のお婆さんは「2週間の予定」で入院となった。

箸を掴むことも下衣を上げ下げすることも一苦労。
昨日の夜中 妻は一晩中痛みにうなされていた。
自分が行くはずだったのに
妻に痛い思いをさせてしまった。

1週間前は左の奥歯が折れ、根こそぎ抜歯したばかりで
歯の痛みで ほとほと弱り切っていた。
歯の痛みが収まらないうちに、右親指の激痛に遭遇し
踏んだり蹴ったりの7日間。

痛みを忘れようと隣街までbeagle元気のフードを買いに行ってきた。
好きなビールも飲むことができず、19時前には寝床に就いた妻。

他者の疼く痛みは、見ていて本当に辛い。
その痛みを代わってあげたい、と妻に言うと
「男はチョッとした痛みでも騒ぐくせに、代わることはできないよ」、と妻から言われてしまった。




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育てる

2023-05-22 18:09:36 | 阿呆者
1943 自給自足



10年ぶりに3坪ほどの小さな菜園に
胡瓜2本 トマト3本 茄子2本 オクラ2本 ピーマン2本 の苗を植えた

2時間ばかりの「仕事」だったのだが
今日の朝 起きたら 躰のあちこちが筋肉痛
立ち上がるときが大変

いかに普段躰を動かしていないのかが思い知らされた



元気のしぐさを見て癒された
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「傘がない」

2023-05-20 13:51:52 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1942 わたしは「入れ歯がない」



井上陽水の『傘がない』を聴い頃のことを懐かしく思う

今日は昨日ブログに登場した青海婆さんは
1週間前にできあがったばかりの「入れ歯」を失くしてしまった。

真新しい入れ歯を使い 今日は「一週間点検」の日だった。
ヘルパーは口腔ケアを済まし 入れ歯を入れようと
いつもの置き場所にあるお椀のなかをみたら入れ歯がない!

居間もベッドの下も、台所も、洋式便器のなかも探したが見つからない。
田圃にいた長男も駆けつけ一緒に探してくれた。
他のヘルパーに応援も頼み、入れ歯探しをしたが見つからなかった。

青海婆さんに尋ねてもわからない。他人事のよう。
予約した歯科の時間に遅れてしまう
ケアマネに電話をかけ「予約の時間に遅れる」、と歯科に電話して欲しいとお願いした。
ケアマネは歯科医院に電話を入れた。「入れ歯を失くし、いま探しているところなので15分ほど遅れます」。

青海婆さんを車に乗せ、歯科医院に到着。
90歳を過ぎた認知症のお婆さんが入れ歯を作るようなことはいままでなかった。
入れ歯を作った青海婆さんは歯科医院では人気婆さんだった。

「入れ歯失くしたの」、歯科医や歯科衛生士たちに声をかけられる。
青海婆さんは「おれ、入れ歯なんかつくっていないよ」、と真顔で答える。

「6ヵ月経過しないと、入れ歯は作られない」

仕方なく家に帰った。
ヘルパーは入れ歯のことが気になり、入れ歯のことが諦めきれず、再び探し始めた。
ベッドに敷いてあるベッドパットを持ち上げたら
畳を傷めないように敷いてあった段ボールの隙間に「入れ歯があった」のだ。

ヘルパーは大興奮、金の発見に劣らない大発見
喜びの声がスマホの向こうから届いた。

新しい入れ歯ができたことで
青海婆さんが確実に変わってきていた。
いままでは歯(入れ歯)がないため、極刻みの食事だったので味気も食べる楽しみもなかった。
いのちをつなぐだけの食事だった。

噛むことができ、噛む力、飲み込む力が戻ってきた。
噛むことで脳に対する刺激も格段と強まった。
顔の艶、顔の表情、歩く姿にも安定がでてきた。

だから入れ歯を失くしたことは、本当にショックだった。
たかが入れ歯、と思うかもしれないけれど
されど入れ歯なのである。

一週間後に、「失くした」入れ歯の点検がある。
入れ歯は青海婆さんの口にピタリとあてはまり歯茎との相性もいい。
歯科医にとっては青海婆さんの入れ歯は自信作であり自慢の入れ歯でもあった。

入れ歯を失くした、と聞いた時の歯科医院のスタッフは笑いに包まれた。


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わたしは、生きているから飯くれ~

2023-05-19 10:38:50 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1941 生きているぞ~



齢90を超えた青海婆さんは、いまチョッと前に食べたことも忘れてしまう。
腰は90度に曲がり、両膝に手を乗せ絶妙なバランスをとりながら歩く。
「仰向けに寝るときも、足は曲がったまま天井に向かっているのか」、と尋ねたら
彼女は抜けた歯を見せ大きな声で笑い「そんなことはない。足はまっすぐに伸びたまま寝ているよ」。

釜を右手に持ち、草取りの技は最高もので草一つ残さない。
うつ病と認知症が複雑に重なりあい、うつなのか認知症なのか、その境目がわからない。

夜中に起きだし、長男、男孫の部屋に訪れ
大きな声で「生きているから飯をくれ~」、と叫ぶ。
昼間田圃仕事で疲れ切った長男は起こされ
老いた母を蒲団まで連れて行く。

入れ歯を失くし 新たに入れ歯を作った。
90歳を超えた婆さんの入れ歯つくりの経験は、「そうそうない」、と歯科医はもらす。

できた入れ歯でしっかりご飯を嚙み噛みし、胃袋に落ちる。
「生きているから飯をくれ~」の話を聴き
生きるために喰うのか、食べるために生きるのか

老いても認知症になっても
おれは、いま、生きているぞ~
おれは、ここに、生きているぞ~
その叫びに「ハッと」させられた。


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私は どこから来て どこへいくのか

2023-05-14 19:28:59 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1940 私は どこから来て どこへいくのか



ふと、ゴーギャンの絵と言葉を思い出した。

『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(われわれはどこからきたのか われわれはなにものか われわれはどこへいくのか,
フランスの画家ポール・ゴーギャンが1897年から1898年にかけて描いた絵画。

この絵画を よく見ると(向かって)右側に 誕生した赤ん坊が描かれている。
人生の始まりを意味する。

そして左側に頭を抱え悩んでいる老女がいる。
「死を迎えることを甘んじ、諦めている老女」と、
「奇妙な白い鳥が、言葉がいかに無力なものであるかということを物語っている」
とゴーギャンが自分で書き残している。

本当は短い時間であったことに気づきもせず
老いや死の問題(テーマ)は他人事としてとらえ先延ばしにしてきた自分。

躰のあちこちが軋み
まだ絶滅していないコロナ禍は「5類」へ移行され
マスクを外したら 皺だらけの下顔に 老いを実感させられた。

30代始めの頃
介護の世界の足を踏み入れ
その当時、高見順の詩集『死の淵より』や北条民雄『いのちの初夜』、ダルトン・トランボの小説『ジョニーは戦場へ行った』を読み
生きること、死ぬことの意味を深く考えさせられたにもかかわらず

その後の自分は怠け、生と死そして介護のテーマについて真摯に立ち向かわずにきてしまった。
病み、そして老い、背後から死の影が近づいていても、まだ死は先のことと思い逃げてしまう。

「死ぬ」ことは自明なのだが、どう死に向かい残りの時間を「生きる」のか
生活に追われ仕事に追われ、を言い訳にしている
何のために生きているのか
まだ何の答えも見つけられずにいる

30代始めの頃に思ったこと
本当に残り少くなくなった時間は「砂時計」のようだが
自分はどこから来て、どこへいくのか みつめていきたい

赤いカーネーションを贈る 母はもういない
仏壇に花を供えよう








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痛みが走る

2023-05-10 13:06:07 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1939 痛みが走る



散歩で足を動かしてはいるが、
上肢運動はしていない、と思い
昨日歩きながら両腕を回した。

今日の朝、散歩していて、右胸部脇の痛みが走った。
屈み物を取ったり、椅子にもたれている状態から躰を起こすときに
右胸部脇のところ痛みだす。

wifeは「変に運動すると痛みがでるからね」、と釘をさされていた。

整骨院に行き、左膝と右胸部脇の治療をしてきた。

運動していず筋肉が硬くなっているらしい。

しばらく整骨院通いになりそう。

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吾輩は「にゃごすけ」である

2023-05-08 04:48:32 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1938 にゃごすけ



wifeの姉夫婦宅に「にゃごすけ」が暮らしている
齢は2歳だろうか
我が家のbeagle元気と同じく
昼間は「留守番」をしている
窓からいったい何を見ているのだろうか

我が家のbeagle元気 
昨日からの雨降り続きで
「大小」を我満しているのが可哀想
昨夜 申し訳ない様子で所定の場所でオシッコとウンチをした。



自治医大付属病院のスターバックスに
大きなスヌーピーとウッドストックがチョコンと座っていた

今日は4週に1度の循環器内科を受診する
大動脈弁閉鎖不全症と血栓の持病があり、利尿薬フロセミドとワーファリン3mgが処方されている

スタバーで「The メロン of メロン フラペチーノ」を味わってこようか

今日はとりとめないことを書いてしまった

5時半には自宅を出て自治医大病院付属に向かう

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七十のジジイたちに続け

2023-05-07 08:56:23 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1937 夕暮れ時 光影



今日は朝から雨で散歩ができない
beagle元気は雨が降ると散歩に行きたがらない
自慢の毛が濡れるのが嫌なのであろうか

夕陽に照らされた阿武隈川
川のなかを歩いてみたくなる
川の流れを見ていると
過ぎ往く時間のようだ
川は大海に辿り着く

自分の行末はどうなるのか
齢七十にしてまだもがいている
陽があたる縁側で孫を膝に乗せ抱きかかえることもなく
悠々自適の老後はどこかに消えてしまい
まだ働かなければならない

陽が昇り始めたときから陽が沈むまで
七十をとうに越えたジジイはトラクターに乗り田の代搔きをしている
夜明け前から陽が沈んだ後も電球の灯りを頼りに
七十を越えたジジイは腰を曲げ牛の乳しぼりをしている
雪が降っても台風が来ても乳しぼりには休みがない

そんなジジイの後ろ姿に
自分は嘆いてはいられない
なんのために働くのか
悠々自適の暮らしはまだまだ先のこと
働けることに感謝

左膝半月板が損傷しても まだ在宅訪問はできる
毎朝 beagle元気と散歩することで 足は動く
歩く速さは衰えてはきたが 転ぶことがないよう気をつけ
雨が止んだら阿武隈川の辺を歩くとしよう





雪が降るときは大喜びで家を飛び出す


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2023-05-06 09:50:50 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1936 烏が一羽





散歩の途中、一羽の烏に出会った。
自分が近づいても警戒することなく
電柱の一番高いところに留まっている。

烏 という鳥はにんげんから忌み嫌われている。
無数の烏は、ある一軒の敷地に聳え立つ高い樹に留まり
合唱するかのように「カア~ カア~」と泣き叫ぶ騒いでいる。
「誰かが死んだのかな」、と他人(ひと)は思い、気になる。
翌日訃報が届いた。

烏は「阿呆の烏」と揶揄される
「烏」という字は「鳥」の字と比較すると
横線が一本抜け落ちている。
一本足りないから「阿呆の鳥」と呼ばれる。

しかし、烏は「賢い鳥」である。
飽食の世の中。
捨てられる生ごみのなかには、にんげんが喰い残した食べ物が
むだに捨てられている。

燃えるごみの出し方も適当である。
プラスチックのごみが混じり、プラスチックの角がびごみ袋を突き破り
そこから生ごみがこぼれ落ちている。
烏は破れたところを嘴で生ごみを漁る。

「烏なぜ鳴くの 烏は山に」の歌は
いま歌う子どもたちは少なくなり
塾かゲームに明け暮れ、外に出て遊ぶ風景は目にしなくなった。
昔は夕暮れどきになると 家々のあちこちから夕餉の匂いがしたものだ。



水は風景によく似合う。
にんげんは太古、水のなかで生きていた。
それだけに大河や海の風景に憧れを抱く。
いま北国の田圃に水が満々と張っている。
散歩のとき水面鏡となって逆さまになった那須連山を見ることができる。

大きな池のように映り
子どものころ田圃の隅に蛙の卵やオタマジャクシがうようよ泳いでいた。

夕暮れ時の散歩 畦道から蛙の大合唱が聴こえてくる
音痴な自分 蛙に生まれていたら大変だったに違いない。
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老いても「子どもの日」は、いいもんだ

2023-05-05 19:41:57 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1935 子どもの日



今日は福島県西郷村でTOKIO-BAに行ってきた
青空に鯉のぼりが泳ぐ
国分太一に会った

家族連れ、若者が多かった



ヒメジョオンが咲き、「おはよう」と挨拶をする
「貧乏草」と言われているけれど、自分はハルジョオン、ヒメジョオンが好き



綿毛のたんぽぽ
初夏の風に吹かれ 旅立ちを待つばかりの綿毛たち
風に乗り見知らぬ土地へ旅立つ
土草に上手く着地できればいいのだが
なかには石垣や川に落ちてしまう綿毛もある

綿毛のたんぽぽのように 爽やかな風に乗り青い空を飛びたいものだ
青い空は青いままで子どもらに伝えたい
ウクライナ、スダーンの子どもたちは いまなお戦禍のなかにある

子どもの日
世界のどこかで泣き叫び泪を流す子どもたちがいる
人を殺戮する膨大な世界の軍事費
その軍事費を戦禍の人や子どもたちに使えたら
地球は救われる 



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