老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

五感のケア (3)

2022-03-31 04:17:14 | 介護の深淵


1864 共感

第三の五感は『共感』です。

介護を媒介にして「共に感じる関係」とは、
どういう人間関係を意味するであろうか。

介護福祉士や訪問介護員の養成講座において「共感」とか「受容」という言葉を
講師から口酸っぱく聞かされたことを記憶していることと思います。

介護者(自分、私)の価値観をまず脇に置き、
相手の悩み、苦しみ、不安、葛藤、態度などをあるがままに受け止めていくことから始まります。
相手の喜びや悲しみ、怒りを共に感じていく状況に身を置いているかです。

ひとつの場面、ひとつの瞬間のなかで
相手と自分が一緒になって感じたことを「共有」し合う、
その場所、その時に感じたことは二度とやって来ないのです。

それだけに、いまを、その場所を、大切にしてかかわりあうことです。


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五感のケア (2)

2022-03-30 09:00:28 | 介護の深淵


1863 感心

第二の五感は『感心』です。

講談社の漢和辞典(竹田晃・板梨隆三編)によると『感心』とは
「すぐれたもの、みごとなものに深く感じること」「行動・態度などが立派なさま」と記載されています。

日々関わっておられる認知症老人やねたきり老人の行動・態度から何を学び、
何を深く感じ取っていくかです。

意味不可解な認知症老人の行動・態度・言葉であっても、そこに深い意味が隠されています。
そのためには常に「関心」(問題意識)もつことです。

関心とは、読んで字の如く「心にかけること」「心を引かれて注意を払うこと」です。
老いた人たちの呟きや言葉、行動・態度などに心にかけ、注意を払い、
何を訴えようとしているのか、
何を求めているのかを深く感じとれるかです。

「感心」と「関心」
感じる心
心にかける
どちらも大切です。

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五感のケア (1)

2022-03-29 12:50:47 | 介護の深淵


1862 感謝

見出しに“五感のケア”と書いた五感とは何か、

普通“五感”はと聞かれると、
「人間が外界の刺激を感じる事ができる五種の感覚(五感)」を思い浮かんできます。
それは視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五つです。

ここではもうひとつの“五感”は、ケアサービスの視点から捉えていきます。
それは、感謝・感心・共感・感動・感性の五感であります。

まず、『感謝』の精神からケアが始まります。
私(介護者)が居る(在る)からあなた(利用者、入居者)が居る(在る)のではありません。
利用者が居るから私が居るのです。

あなた(利用者)に居宅介護事業者のサービスを選択していただかなければ
私の持っている介護技術や専門的知識は活かされないし、
また介護関係も成立しないことに、私たちは気づいているでしょうか。

会社の組織に置き換えても同じことが言えます。
社員が居るから社長が居るのであって、
根底には感謝の気持ちがなければ会社も死滅していきます。

素直に感謝し相手に尽くしていくこと、
平易でありながらも忘れがちになり、
いつのまにか「介護してあげている」という落とし穴に足を奪われてしまう危険性が
潜んでいることに注意をしなければなりません。

2007年9月22日 福祉専門学校介護福祉科の学生に対して話をしたものです


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仲の良い老夫婦

2022-03-28 20:51:21 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1861 小銭が転がった



今日は早朝5時30分前に車で家を出た
自治医科大学附属病院の受診日
7時30分に病院正面玄関が開く。

診察券を予約機に通し
採血室に向かう。
8時50分 皮膚科
9時10分には循環器内科
9時30分 感染症科

9時45分 皮膚科に戻り看護師から
右側頭部腫瘤の組織を切除し
何の細菌かを調べるための手術の流れについて説明を受けた。
4月18日14時に行うことになった。

皮膚科の待合室で診察を待っていたときのことです。
飲料水自動販売機の前に老夫婦が立っていました。

夫は鞄から財布を出した。
小銭を取り出したまでは良かったが、
コイン入れに上手く入らず小銭を床にばらまいてしまった。

意地悪く幾つかの小銭は転げた。
傍らに妻は怒り口調で大きな声を出す。
「なにやってんの」
「いつもこうなんだから」
「もたもたしないで早く拾ってー」

お父ちゃんはあたふたして小銭を拾い
自動販売機に小銭を入れる。
目当てのお茶がガシャンと落ち
一つは妻に渡す

「手は汚いから洗ってきな」、と
夫に対し次の行動を促していた。

隣にwifeは
「何年したら私達もあの老夫婦のようになるのかしら」
、と聞こえるように話す。






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トイレに行く!

2022-03-27 07:36:19 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」


1869 オムツはしたくない

93才のおばあちゃんが腰椎圧迫骨折をした。
4週間の入院予定だったが、
「病院に長く居ると歩けなくなる」、と息子に話し
20日間で退院した。

家(隠居宅)の玄関を入ると
「家はいいなぁ」、と呟いた。
入院中は紙オムツをさせなかった。
「オムツは嫌だ」、と頑なに拒んだ。

看護師は車いすに乗せ、トイレまで連れて行った。
用足しを終えると「ありがとう」、と看護師に礼の言葉を告げる。

家に帰っても床から手すりにつかまり自分で立ち上がる。
炬燵のある居間からトイレまで
息子は手すりをつけた。
手すりを伝いながらトイレまで行く。

「夜は、トイレまで行くのは大変だからオムツにしたら」、と息子夫婦は話すも
「オムツはしたくない、トイレに行く」、と言い張る。
介護用ベッドを降りたら2mほどの平行棒があり
両手で平行棒につかまり寝室の出口まで歩く。

介護用ベッドから襖までは畳であり、手すりがつけられない。
そこで浮かんだのがリハビリで使う平行棒を置いた。
福祉用具貸与により手すり(平行棒)を利用


寝室の先の廊下を渡りトイレのドアに辿り着く。
夜は足元が薄暗く、転んでは大変ということで、
息子は母屋では寝ず、おばあちゃんが寝る隣の部屋で寝ている。
深夜から明け方までの間に5回起きだし、トイレに向かう。
息子はその都度起き、後ろから見守りをしている。

なかなかできないことである。
「夜は大変だから、転んだりして寝たきりになったら、それこそ大変」、と
心配した言葉で紙オムツをさせようとするのが普通である。

頑として「歩けるうちは、トイレに行く」、というおばあちゃんの生きる姿勢に脱帽してしまう。
老母の思いを受け止め、夜トイレにつきあう息子は、そうはいない。




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beagle元気も心配してくれた

2022-03-26 04:31:09 | 阿呆者
1859 体調が悪くても休めない介護


霧と雪で覆われた田圃、流氷のように見える

風邪を引き頭の中は、ボ〜ッとしているところへ
更にボ〜ッとしている。

体調が悪くても 介護をされている家族のこと思うと
本当に頭が下がります。
風邪程度でへこたれている自分。
病は気から

寝込んでいる父母(夫婦)を見て
beagle元気は静かにしていた。
夕方の散歩までは行けなかった。
朝の散歩は20分ほどしてきた。
お尻を我慢させるのは可哀想。

熱が36.9℃まで下がり
日中は起き出した。

『女のいない男たち』村上春樹 文藝春秋文庫 を読み始めた。
6編の短編小説で
昨日は最初の「ドライブ・マイ・カー」と
最後の「女のいない男たち」の2編を読んだ。



自分は本を読んでから映画を見る タイプ
今回は短編小説「ドライブ・マイ・カー」を読み終えたあと
映画のイメージが湧いてこない

短い小説をどう長編映画に仕立てたのか
興味津々である
まだ、映画館で上映されているのかな
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咳、高熱

2022-03-25 12:13:09 | 阿呆者
1858 ダブルで寝込む


阿武隈川から眺めた東北新幹線の高架橋 まだ走っていない

wifeは昨日コロナウイルスワクチン接種をした。
3回目、
今回も39.0℃近くの熱
打ったところも痛く、左腕が上がらない
心配

夕方、ホームドクターとも言うべきクリニック受診
風邪の症状で
咳止め、痛みと発熱を抑える薬を処方された

いま、熱は36.9℃
ダミ声でまだ喉が痛い
鼻水と痰がよく出る
頭はいつも以上にボ〜ッとしていて
躰が怠い

明日には快復したい

私的なことを書いてしまった
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老いた人の叫び 「もう生かさないでくれ」

2022-03-24 12:59:17 | 文学からみた介護
1857 高見順 「老いたヒトデ」(『死の淵より』講談社文庫)



文庫本『死の淵より』のなかでラストに掲載されている詩である
33年前に「老いたヒトデ」を読み、寝たきり老人や認知症老人のことが頭に浮かんだ


長くなるかもしれませんが
最後までお付き合いいただければ幸いである


真夏の海水に裸足で入ったとき
裸足(あし)にヒトデが触れようものなら
若い娘は大変!

「踏みつぶすのも気持ちが悪い」と蔑まれるほど
人間様に嫌われてしまう老いたヒトデ
老いた人も同じく疎まれ嫌われている

「一時は海の星と謳われたあたしだ」
老いたヒトデもかつては海のスターと謳われていた

人間は、「ハマグリを食い荒らす憎い奴」とヒトデを嫌い
更に「食用にもならぬ」と蔑んでいた
ヒトデは呟く「海を荒らし、汚くしているのは人間である」

老いた人のなかには「福徳円満」な人もおり
穏やかな気持ちで老後を過ごされている人もいる
齢を重ね(嵩ね)るにつれ
「腕も足も体もボロボロ」になり転んだこともあった 
物忘れも目立ち ひどくなると自分が誰だかわからなくなる

食事中うっかり誤嚥してしまった
むせや咳がひどく発熱もでてきた
「しまったと思ったが」
入院せずこのまま死んでしまった方がいいと
思ったこともあった

年老いて
歯はなく好きな食べ物も食えず
自分の手で食べることもできず
全粥、超キザミを食べさせてもらい
「生き恥をさらしていた」

炎天の真夏
喉が渇き水を欲しても
水を飲むことがわからぬあたし
せん妄になり熱発しても気づく人は多くはなかった

過去においてあたしにも
「往年の栄光」があり
夜空の星のように輝いて時代もあった
結婚したとき
子どもが生れたとき
仕事で輝いていたこともあった
いまは死を待つだけの老いた身となり
尿で沁みついたベッドに臥せている

昔は不便だったが暮らしやすかった
「海にかえさないでくれ」という老いたヒトデの叫びは
老いた人にとっては「もう生かさないでくれ」と
こだまとなって返ってくる
延命治療は望まないけれど
死に際のとき
傍らに居て手を握ってくれるだけでいい


 老いたヒトデ
            高見順

踏みつぶすのも気持が悪い
海へ投げかえそうとおっしゃる
その慈悲深い侮蔑がたまらない
一時は海の星と謳うたわれたあたしだ

ハマグリを食い荒す憎い奴と
あなた方から嫌われ
食用にもならぬとうとまれたあたしが
今は憎まれも怨まれもしない

あたしも福徳円満
性格も丸くなって
すっかりカドが取れ
星形の五本の腕もボロボロだ

だのにうっかりアミにひっかかった
しまったと思ったが
いや待て これでいいのだ
このほうがいいと思い直したところだ

年老いて
歯がかけて好きな貝も食えず
重油くさい海藻などしゃぶって
生き恥をさらしていた

炎天の砂浜で
のたうち廻る苦しみのなかで
往年の栄光を思い出しながら
あたしはあたしの瀕死を迎えたい

宝石のような星が
夜空に輝いていたのも昔のことだ
今は白いシラミのような星が
きたない空にとっついている

海の星の尊厳も昔のことだ
海にかえさないでくれ
老いたヒトデに
泥まみれの死を与えてほしい


2017年11月15日 掲載









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声変わり、喉をやられた

2022-03-24 07:35:56 | 阿呆者
1856 幻想風景









春なのに
雪が降り
地は底冷え

白い霧の向こう側は
どんな世界だろうか


喉が腫れ
咳が出る
熱はないが

トローチを舐めたら
気持ち喉の痛み やわらいだ

病院に行こうと思いきや
保険証、診察券は
職場に置いてきてしまった
失敗
夕方受診予定

今日は皆様のところ
訪問できず
すいません
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恥ずかしい、申し訳ないの気持ちになった

2022-03-23 03:30:38 | 老いの光影 第8章 認知症老人の世界

春の川


1855 糞まみれ I

アツアツの白いご飯(米)を食べ、胃腸に入ると消化吸収され
残り滓は「ウンコ(糞、便)」となって肛門から排出される。
口から食べたときの米は白かった。
肛門から出たときは黄土色のウンコ(糞、便)になる。
色も形も変化した。
「糞」という字を分解すると、「米」と「異」の組み合わせになる。

米が異なった物に変わり、糞が排せつされる。
日本の漢字は、上手く表現され、意味のある文字が多い。

話は180度パノラマ的に変わる。

老いて括約筋が緩くなり
言うことを聞かなくなると
我慢というか、こらえ切れず
自分の意思とは無関係に
便失禁(俗にウンチ垂らしを)してしまう。

自分も一度便を漏らしたことがあった。
人工透析をしているときのこと。
透析は4時間近くかかる。
あと20分で透析が終わる頃
「水を引きすぎ」たせいか、血圧の数値が60/40まで下がり過ぎてしまい
胸が押されるような、ムカムカするような、
そして肛門の辺りがむずむずとあやしくなり
便意を強くもよおしてきた。

便を漏らしては大変、と思いながらも
土手の川が堰(せき)を切ったように
括約筋が超緩まり便失禁をしてしまった。

そのときは、恥ずかしい、申し訳ない、の気持ちを内に秘めながら
肛門から臀部まで便まみれ、
きれいに拭かれ、紙オムツを装着された。

平成20年8月28日 生腎移植施行し、人工透析は終わりになった





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父ちゃん 今日亡くなった

2022-03-22 04:17:27 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」

          那須連山はまだ雪が降っている

1854 妻に見送られ・・・

数日前に書いた「1851 寝た要介護老人を起こす」の
相津 芳雄さんが永眠された(84歳)
ご冥福をお祈りします。

彼岸の日だった昨日 朝7時2分 携帯電話が鳴った。
うめ子さんは泣きながら「今日 亡くなった・・・。どうしたらいいのかわからないので、電話しました。朝早くにすいません」
「大変でしたね。何時ごろお亡くなりになりました?」
「朝5時頃起き、ベッドでまだ寝ていたので、『お父さん、おはよう』と、言葉をかけた。
返事がなかったので、額に手を当てたら冷たく、顔が白かった」
「その後どうされました」
「救急車を呼んだら、そのうち警察署の人が来て、連れて行った」
「いまから、お伺いします・・・」
「お待ちしています」

真っ赤なアルトを運転し、相津さん宅に到着。
3月19日借りたばかりの介護用ベッドには芳雄さんはいなく、なんだか寂しく感じた。
「これからどうしてよいのかわからない、いろいろと話を聞いてくれますか」、と妻は元気ない声で話される。
「うっ血性心不全になられ、6年間の介護、本当に大変でしたね」
「お父さん(夫のこと)は、最後にうんちを一杯おむつのなかにしていた。お尻をきれいにしたのが最後でした」
「芳雄さんは、うんちやオシッコを全部出して、身体をきれいにして逝ったのですね」

「この後どうしたらいいのか」
「ご主人の兄弟姉妹はいらっしゃるのですか」
「もう亡くなって誰もいない。親戚付き合いも遠くなってしまった」
「子どもたちは、いま向かっています」

芳雄さんの寝ている部屋には或る新興宗教団体の仏壇が置かれていた、のを思い出し
「ご主人は元気なとき、どのような葬式を希望されていたのですか」、と尋ねた。
(ケアマネジャーの為す範囲を越えてしまった)
「『新興宗教団体の葬式にしてくれよ』、と次男(同居)に話されていた」
傍らにいた次男も頷いていた。

夕方、再び訪問した。
線香をあげ合掌し、一番短い関わりだったけれども
芳雄さんに出会えことに感謝とご冥福を祈った。

その後、芳雄さんと対面した。
穏やかな表情で眠っておられ、苦しまずに静かに逝かれたのかな
「自宅で死にたい」と話されていたので、これで良かったのかな、と。

芳雄さんの妻 うめ子さんは「人間死ぬことはわかっていたが、いざ死なれるとどうしていいかわからなくなってしまった」
「生まれるときも大変、死ぬのはもっと大変で辛いですね」
(生まれるときは、喜び溢れる、死ぬときは、悲哀〔かなしく〕、辛い)
「昨日奥さん83才の誕生日を迎え、ご主人はホッとして逝かれたかもしれませんね」
「思いもしない別れだったけど、昨年は四度も入退院の繰り返し、そして六年余りの介護、本当に頑張られ芳雄さんは感謝されてますよ。我が家で最期を迎えれたことも、良かった」、と言葉をかけた。

人間「生まれるときも大変、死ぬのはもっと大変で辛いです」、という老妻の言葉、
帰り路車を運転しながら、生まれ死ぬまでの83年間、芳雄さんにとり様々な景色が折り重なり
命の限り生きてこられたことを思った。







 ウクライナ 戦争終結と平和を願う(画像拝借) 




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共に老い行く

2022-03-21 04:56:32 | 阿呆者
1853 共に老い行く



来月8日が誕生日 9才になるbeagle元気

雨が降る朝夕以外は、毎日散歩する
元気のお陰で「歩く」ことが続いている

元気も老いてきたのか
耳の縁は薄白くなってきた
目尻には黒い大きなシミができていた

玄関にある下駄箱の鏡の前に立つと
頭から足首の上まで写る自分の姿を見て
「知らぬ間に自分は老いた」ことに気づく

元気と歩いてきて
9年前は早足で60分余り散歩していた
いまは、腰椎圧迫骨折、頚椎ヘルニア、左膝の動きが鈍いこともあり
散歩は団地周辺20分程度の散歩に縮小された

足から老いがやってくる、というが
足(脚)の筋力低下を防ぎ、何とか現状維持はしたい
若い時から運動嫌いだったのが、たたっているのかもしれな。

自分は数多くの薬を服用しているためサプリメントは飲んでいない
元気は7才のとき腰椎ヘルニアになった
いまは痛みはなくホッとしている
元気はグルコミサン(液体)を飲んでいる。

元気とこれから老いて往くが
元気はいつも「元気」で、足の力はまだまだある
興味関心力もあり
いつもくんくん嗅ぎまわっている
自分も負けずに何事もにも関心を持って過ごさねば・・・
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昔は若かった

2022-03-20 08:40:12 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1852 小さい春見つけた





日曜の朝も beagle元気と散歩
路端に小さい春を見つけた
小さい小さい蕗のとうが顔を出し
「おはよう」、と聲をかけてくれた

老いても男は我儘で
病や寝たきりになると
元気が失せ妻に甘えてしまう

老妻が老夫の介護をする方が多いのかもしれない
振り返って見て
老夫が老妻の介護をされた家族を
思い出そうとするが思い浮かばない
献身的に妻を介護されている夫の話(ブログ)を目にする

三十年も昔の話です
特別養護老人ホーム開設の準備をしているときで
暇な時間がありました。

自分の他に福祉専門学校の教え子が2人いた。
3人で老夫婦のお宅を週2回訪れていた。
その家は75歳の夫が72歳の妻の介護をされていた。
妻は脳梗塞後遺症で歩けず左半身麻痺(要介護3の状態にあった)
まだ介護保険サービスはなく、花婆さんは、家で三毛猫と過ごしていた。

夫は測量の仕事をしていた。
時々、ライトバンに乗せたまま 測量しながら妻の様子を見たりする。
夏など暑く、脱水症になりはぐったこともあった。
車椅子に座り、食卓にはおにぎりやおかずがならんでいた。

花さんの手におにぎりを持っていたものの
飼い猫 三毛に食べられいた。

ご主人の了解を得て
自分達3人は花さんの家をおじゃました
いつも午後3時過ぎ頃
「花さ〜ん」と声をかけ家に入る

オンボロ車(30万円の中古車)の助手席に花さんを乗せ
地元のスーパーマーケットまで夕食の食材を買い出しに行った。
外に出た時の話さんの表情は恵比寿顔。
花さんは顔じゅうにソフトクリームをつけ、手鏡で映った顔を見て笑っていた。

女の子二人は夕食作り
自分は話し相手。
勿論オムツ交換もした。

6時半過ぎ夫が仕事から帰ってくる。
5人でワイワイしながら夕食を食べた。
自分たちは夕食をご馳走になった。

8時過ぎになると、自分と若い 昌枝さんと
花さんをお風呂に入れた
ご主人にお風呂の入れ方を見ていただき
「こうするといいよ」、と押し売りの介護をした。

ご主人は、我流で妻をお風呂に入れていた。
(週に5日ご主人は妻をお風呂に入れていた)

夫の方が痩せていたが、腕力があったので
力まかせに浴槽に入れる。
タイヤ中に入っているゴムチューブを切り
それを妻の片腕に通し、浴槽のなかに入れていた。

体は洗わない、お湯に浸かるだけ。
お風呂に入っている間は(4分位)
居間で夫は一服している。
見に行ったら体が傾いていたこともあった。

乱暴なお風呂の入れ方ではあったが
自分たちは夫の入浴の仕方を認めた。
仕事をしながらオムツを取り替え、お風呂にいれ
食事もつくる
なかなかできるものではない
愛情があるんだな、と傍目で感じた。

お風呂が終わったら、花さんは蒲団の中。
その後十時頃まで、ご主人といろんな話をした。
食事をご馳走になってしまったが、
貴重な体験をさせてもらった。

ふと、昔若かった頃の在宅介護の風景を思い出した。

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両膝折れするほど立てなくなった男老人

2022-03-19 19:37:36 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」


1851 寝た要介護老人を起こす

梅の花が咲き始め
春は目の前まで来ている、と思った矢先
昨日はみぞれと大雨が降り
春が遠くなったような気がした

それでも春は訪れる

梅の花をひとつ一つ見て見ると
同じようで違う
花びらの大きさや形、色あいなど
それぞれの花は微妙に異なる

老い方も人それぞれ違う
老いた夫婦の関係も人それぞれ
元気なとき、妻に対し優しい言葉や態度を示してきたか
それでも大正、終戦前の昭和に生まれた人たち
老いても夫に従う妻が多い

一週間前まで歩いていたのに
蒲団に臥せてしまい
自分で食べることもしないほど意欲低下
来月で83歳になる妻は お粥を食べさせている。
両手は動くのに、どっぷり妻に依存している。

痩せこけても男の躰を動かし、紙オムツを取り替えるのは大変
濡れても紙オムツを取り替えずとも大丈夫、と言う夫
1日一回しか取り替えないから、濡れた紙オムツはズシリと重く
尿臭とともに重さが鼻に手に伝わる

介護に使えるお金はどのくらいか
まだ、決めかねている妻

急いで介護用ベッドを入れ
来週には循環器内科受診の予定をしていることから
通院等乗降介助(介護タクシー)の予約をとった。
自分も同席することをお願いした。

寝たきりになった夫をどう起こしていくか。
立たせようとしたが、両膝が折れてしまい二人がかりでベッドに乗せた。
(この時は、福祉用具専門相談員の手を借りた)

かなり脚の筋力と生きる意欲の低下なのか
あれもこれもとサービスを導入しても妻が混乱してしまう。
急ぎながらも階段を昇るように取り組んでいくしかない。



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老いると思うように躰が動かない

2022-03-19 12:40:39 | 阿呆者
1850 思うように行かない

老いてくると足元がおぼつかず

ダンスはうまく踊れない
(井上陽水 作曲)

ダンサはうまく上がれない

つまらないことを書いてしまった

お詫びに東北の玄関口に咲いた梅の花を届けます


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