老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

桜木紫乃『家族じまい』集英社文庫

2023-08-20 10:43:26 | 読む 聞く 見る
1991 同じように見えて違うこと



親の終活、老老介護、家族とは のテーマで北海道を舞台にした物語

読みかけの途中だけれど
自分のこころに引っかかった言葉に、眼が留まった。

「やらなかったことと、出来なかったことって、同じなかったことでもずいぶん違うなあって、いま思った」(34頁)

消えることも、あるいは消すことも、見えるところでは同じ結末だ。(34頁)


自分の人生を振り返ると、その場に立ち止まって踏ん張るということをしなかった。
大きな樹は、その場から逃れることもできない。その地でしっかりと根を張り大樹となった。

「やらなかったこと」の連続で、それは後で後悔だけが残った。
水溜まりも同じだ。
水は生き物。水の流れが止まると水溜まりになり、時間が経つにつれ水は濁り腐り、水は死ぬ。
生きることの意味を見失い、ただ息をしているだけでは死を待つだけになり生気のない眼になってしまう。

何もしなければ、やらなければ、何も「出来なかった」と後悔だけが残る。
時間は有限であり、老いのなかに在る自分は時間は残り少ない。
いつも同じ自問自答を繰り返しがいまなお続いている。

息子夫婦に迷惑をかけてはならない、と
老衰が進行していくなかにあっても、自分の躰を奮い立たせ
か細い脚で手すりにしがみつきながらトイレまで歩く96歳の老女
「歩かなければ寝たきりになってしまう」

誰かのために、自分のために、自ら躰を動かすことから始まる

いろいろやってみたけど出来なかったこと

やらなかったから出来なかったこと
はかなり違う。

やって無駄なことはない
そこから何かを得ることはできる。

ラストチャンスに賭け
いま抱えていること
やってみることから始まる。
「やってみよう」の歌詞のとおり
try try しかない。
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人は昔鳥だったのかもしれない

2022-05-22 17:22:45 | 読む 聞く 見る
1880 空を飛ぶ



いま書店の棚に福永武彦 の小説を目にしなくなった
自宅に眠る文庫本の中から福永武彦『廃市、飛ぶ男』を手にした
10年前に読んでいた

「君は夢の中で空を飛んでいることはないかい」( 『廃市、飛ぶ男』180頁)
自分は月に1、2回空を飛ぶ夢を見る
両手を広げ鳥のように羽ばたきながら飛んでいる
大海や大河の上を飛ぶ夢は最高に気持ちがよく、このまま夢の世界であって欲しい、と願う

彼の身体は半ば死んでいるのだ
彼の両脚は、腰から下は、痺れたまま何の感覚もなく、歩くことができなくなった
ベッドの上で仰向けになり、かろうじて寝返りはできる

ベッドで寝ているだけの生活
それは「生活」と呼べるのだろうか

彼は身体の左側を下にして、病室の窓の方を見ることが好きだった
窓ガラス越しではなく、窓を開け、空や白い雲などを見る

空は黄昏になり薄暗くなると夜勤の看護婦が様子を見に
病室のドアを開き、この窓を締めて行くだろう

「彼は窓の外を見つめていた眼を室内に移した眼は部屋の中を暗く、そして狭く感じた。
鎖された部屋の中で、ベッドに固定されたまま、彼は一人だった。彼はぼんやりと壁に出来たしみなどを見ていた」。

彼は空を飛ぶこと夢を見続けながら、臨終の日を迎えた





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いちばん大切なものは何か

2022-03-18 16:45:20 | 読む 聞く 見る
1849 人間死んだら☆彡(星)になるんだよ

いちばん大切なものは何か

子ども心にまだあの世に逝っていない大人から「人間死んだら☆彡(星)になるんだよ」と。
本当にそうだったら素敵な話です。
死んだら星となって輝き 天から大切な人を見守り続けることができたらどんなによいか。



「星の王子様」(新潮文庫)は 大切なものを失ってはじめてわかります。
あなたにとって“いちばん大切なものはなんですか。
病気になってはじめて健康のありがたさがわかります。
大切な人を失ってはじめてかけがえのない人だったことが身に染みてわかります。

自分という人間が死んだら、棺に収められます。
棺はダンボール製がいいな、そのときは納棺師をお願いし 人生の最期においても取繕い美しく逝きたいものです。

白髪の女性老人と一緒に茨城県の笠間焼を見に行ったときのことです。
彼女は湯呑茶碗を手にし、「陶芸の窯で骨を焼いたら何色になるのかな」と話されたとき、
傍らにいた私は「ドッキ」としたことをいまでも覚えています。
同時に、凄い発想! 認知症老人は、思いもつかない言葉が出てきます。



渡辺淳一の小説『泪壺(なみだつぼ)』(講談社文庫)のなかで、
妻の愁子(36)が乳癌を患い肺に転移し、若さ故に癌の進行を早め桜の咲く頃に「あと1月」と宣告されたのです。
愁子は夫雄介に『いつまでも忘れないように・・わたしの骨でつくった壺を・・・・あなたの側にいつもおいていて欲しいの』とお願いをします。

雄介は、妻の遺骨の一部を乳鉢で骨粉にしました。
会津に窯場をもつ知人の陶芸家 斯波宗吉にお願いし、妻の遺灰と粘土を半々に混ぜ、白くたおやかな壺を造ってもらいました。
その白い泪壺を床の間に飾りました。

火葬場で焼いた骨は 白い煙となって 青空に向かって消えて逝きます。
大切な故人は この世にはもういません。
その寂しさは 心では推し量ることのできない無量の世界にあります。

だから大切な人は星となって光り輝きながら 家族や大切な人を見守ってくれています。
夜空に輝く星の天空の向こう側は 遥かなる宇宙であり それは限りなく無辺の世界にあります。
宇宙には無数無名の星が無量ほどあり 
そのなかにある”地球“という惑星(ほし)のなかに70億の人間が棲んでいます。
わたしという人間は独りしかいないのです。
宇宙からみたら ・ (点)のような存在ではありますが 星のように光り輝く存在で有ることを。
自信をなくしたときや悲しいときは 星を見上げ元気をいただきます。

生命の終焉から”蝉“のことが思い浮かんできました。
蝉の地上生活はたったの7日間しかありません。
それ故、蝉の生活は儚い と云われますが・・・。
真夏にミンミンと鳴く蝉の響く声は 「我此処に生きていますと・・・」。

宇宙からみたら人間の生命の時間は本当に儚いひと握りの”砂の星“かもしれません。
人間の内なる世界は、宇宙のように無量無辺であり 内なる可能性を秘めています。

だからこそ 侵略戦争で子ども、老人、父母、今日だ姉妹、祖父母、隣人を亡くなること、
それは人間のもつ無限の可能性を奪うことなのです。

老人に在っても同じであり 人間最期の瞬間まで生命の光(あかり)が灯って(ともって)いることを、
人間は 星のように光り輝く存在なのです。 

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プーチン大統領に捧げる 『 ジョニーは戦場へ行った』

2022-03-03 08:32:54 | 読む 聞く 見る
1831ドルトン・トランボ『 ジョニーは戦場へ行った』 角川文庫





ロシアの侵略によるウクライナで戦争の勃発を知り
30歳頃手にした『ジョニーは戦場へ行った』文庫本を思い出した。
この本のことは頭の片隅に忘れていた。
街場の書店の棚には並んでいない。

第一次世界大戦の話で、ジョニーは異国の戦場にいた。
砲弾を避けようと塹壕に飛び込むが、目、鼻、口、耳、そして両腕、両足を失った。
肉塊の状態となり、ヘレンケラーよりも、さらに重い重い障害を抱えた。

そのような躰になっても首と頭だけは動かせた。
意識はあり、思考することはできたが、光も音も匂いも感ずることができず
暗闇と孤独の世界におかれたときの絶望感
自ら死ぬ事もできない自分の躰
人間の存在と時間のもつ意味を深く考えさせられた

頭と首だけが唯一動き、意識はあった。
自分はいま、どこにいて、いま何時なのか、まったくわからない
感ずる ことができるのは皮膚感覚であった。

あるクリスマスの夜、新米の看護師が彼の寝ているベッドのところに来た。
彼 の胸に MERY CHRISTMAS という文字を丁寧に書いたことから
彼の胸の中に大きな希望というか、一筋の光が射してきた。

彼を肉塊という物体としてみたのではなく
生きているひとりの人間として、手(指)で彼の躰に触れ
今日はXmasの日よ、と無言の言葉でかけてくれたことが
彼はなによりもうれしかった。

見ることも話すことも聞くこともできない
両腕両足もない
何ができるのか
彼をみてできない、わからない、と思い込んでしまう。

新米の看護師は指で彼の胸に文字を書いたことから、
彼は刺激を受け(反応し)、頭と首を動かし
モールス信号を使い、自分の意思を伝えようと試みる。

肉塊は、意思を持ち、会話をできるまでになる。

身体障がい者の介護をしていたとき(31歳)に、この本に出会った。
衝撃だった。
ケア(介護だけでなく看護も含めて)とは何か
ケアは、要介護老人や病人に言葉をかける、
手を触れることから始めていくことの大切さを知らされた。

『ジョニーは戦場へ行った』は、反戦文学であるけれど
看護、介護の本として学ぶことが多い。


最後に、彼は、自分の躰を公衆の前に陳列してくれ、と訴える。
肉塊になった自分の躰は、酷く眼を背けられ、
なかには憐れみや侮蔑的差別的 な言葉を投げかけられても
戦争は如何に悲惨残酷なもので、人間を破壊し多くの死傷者を生み出しているか。
彼は自分の無残な軀を通し、人間にとり戦争はいかに無意味なのか、を叫んでる。
そうした行動を通し、彼自身の存在を訴えている。

峠三吉の にんげんをかえせ という言葉が浮かぶ。
にんげんがにんげんを殺す理由はない。


『ジョニーは戦場へ行った』は、2つのあらすじからなる
なお、本作の語り手はジョー(ジョニーではない)で、彼自身の過去の記憶や現状など、全てが彼の「内的独白」によってのみ記述されており、一切の第3者視点が存在しない。

第一章「死者」
ジョーは、徴兵によって最愛の恋人カリーンに別れを告げて第一次世界大戦へと出征する。

しかし、異国の戦場で迫り来る敵の砲弾を避けようと塹壕に飛び込むが、目(視覚)、鼻(嗅覚)、口(言葉)、耳(聴覚)を失い、運び込まれた病院で、壊疽して機能しない両腕、両脚も切断されてしまう。

首と頭をわずかにしか動かせないジョーは、今がいつで、どれだけ時間が経ち、自分はどこにいて、誰が近くに来ているのかを皮膚感覚で察知しようとする。一方鎮静剤を定期的に投与され、彼の意識は現在と過去の間をさまよう。恋人カリーンや戦争に行く前に死んだ父親との、実際には過去にも無かった数々の空想の出来事の世界に身を置き、そしてまた現実の「孤独」と「暗黒」の世界に戻って来る。 



第二章「生者」
自分には意識があることを伝えようと、わずかに動く首と頭を使って必死に訴えようとするジョー。しかし、彼には意識はなくただ生物として横たわっていると思っている看護婦、医師、そして軍人は、彼の頭の動きは「肉体的痙攣にすぎない」という引継ぎマニュアルに書かれている指示の通りに、鎮静剤の注射をするだけ。

あるクリスマスの夜、新しく赴任してきた看護婦がジョーの胸にMERRY CHRISTMASと一文字ずつ手で書く。彼はそれを理解し応えようと頭を動かすが、彼を物体ではなく人間だという思いで接している心優しい看護婦にも、それは伝わらなかった。

頭の中で過去の人々との交流を回想する彼に、ある日彼の父親がモールス信号のヒントを与える。そしてついに自らの意思を伝える手段としてモールス信号を使い、必死に周囲に訴えかけるジョー。心優しい新しい看護婦がジョーが何かを訴えかけているのではないかと気づき、医師を呼びに行くが、痙攣としか理解しない医師は鎮静剤を打つだけだった。

そして数日後、軍の医師団が訪問してきた時、1人がジョーが発信しているSOSのモールス信号に気付く。ジョーに意識はなく肉体が横たわっているだけと思っていた全員が驚愕する。トップの人間が「何が望みか聞いてみろ」と指示し、部下がジョーの額にモールス信号を叩く。

それに対して、ジョーは答える。「自分を公衆の前に出して陳列してくれ(自分を維持するにはお金が掛かる筈だから、その見物料金を充ててもらいたい)」それは出来ないと返事をすると、「では殺してくれ」と答えるジョー。あとは何を言っても、「殺してくれ」「殺してくれ」「殺してくれ」とだけモールス信号で訴えるジョー…

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用。上記引用文の青字は星光輝がしました。
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満ち溢れる命の息吹き

2022-01-16 19:49:33 | 読む 聞く 見る
1776 満ち溢れる 命の息吹き



今日ふと地元の小さな書店をのぞいた
自分は余裕ある小遣いがないので
いつも文庫本にしているが
文庫本は安くはない

昭和40年代頃
岩波文庫は百円で買えた

そんな昔の話はいいとして
今日は 原田マハ 『常設展示室』新潮文庫 を買った

原田マハさんの小説は好きである

絵画と人生が交差する6つの物語があり
今日は最初の絵画物語は
ピカソの絵画『群青』を通し
緑内障により近い将来、視力が失せてしまう美術館に勤める女性職員と
弱視の障害を抱えている幼い少女との交流を描いている

「ピカソが描きたかったのは、目の不自由な男の肖像じゃない。
どんな障害があろうと、かすかな光を求めて生きようとする、
人間の 力 なんです」(44ページ)

心でアートを見つめることの大切さを知る



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瀬尾まいこ『そして、バトンは渡された』文春文庫

2022-01-11 04:22:22 | 読む 聞く 見る
1771 どこかにいてくれるのと、どこにもいないのと・・・・


※画像を回転できない不具合が生じているため、「たて」に編集できません。

その後、私の家族は何度か変わり、
父や母親でいた人とも別れてきた。
けれど、亡くなっているのは実の母親だけだ。
一緒に暮らさなくなった人と、会うことはない。

でも、どこかにいてくれるのと、どこにもいないのとでは、
まるで違う。
血がつながっていようがいまいが、
自分の家族を、そばにいてくれた人を、
亡くすのは何より悲しいことだ。
(44頁)

遠く離れた故郷には老いた親が暮らしている。
ここ数年故郷にも帰ってはいないけれど、
老親は自分のことよりも都会で暮らす息子(娘)を心配している。

昨日まで一緒に住んでいたが、
突然の病気で亡くなった老母。
「そばにいてくれた人」が、いない。
笑い合うことも話すこともできない、
もうあなたはいない、「何よりも悲しい」ことだ。



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前科者 涌井 学 小学館文庫

2022-01-01 15:53:55 | 読む 聞く 見る
1761 隣に人がいるだけで 幸せ



殺人をした加害者も
殺された被害者も
同じ人間なんだ、と叫ぶ
保護司 阿川佳代

記憶に新しい
大阪ビル放火で25人が尊い命を失った
放火殺人した加害者は
同じ人間なんだ、と思うことは
どうしてもできない

人を殺める
許されるべき罪ではないが
様々な動機や予期せぬ運命に翻弄され
罪を犯してしまう

殺人を犯した工藤誠には
「迎えてくれる家」がなかった。
「悩みを打ち明ける相手もいなかった。悩みを打ち明ける相手もいなかった。
一人でずっと苦しみ続けてきた。耐えて、耐えて、ある日耐え切れなくなって、
その途端に犯罪者になった。」(148ページ)

刑期を終え社会に復帰しても
前科者は何処にも居場所がなく、生きづらい。
佳代は工藤誠に話しかける。

「人は、人といっしょにいないと生きられないからです。
人と人でつながるのが人間だからです。・・・人といる時だけ、
ああ、私は生きている。生きていいんだって思えたんです」(206ページ)

老人の世界においても同じことが言える。
子ども夫婦と同居されても
疎まれたり嫌がられている老人は
居場所がない。

他者(家族)の手を借りなければ生きていけなくなったとき
「自分がなぜ生きているのか悩み続け」(208ページ)
自分の生きる理由みつけられなくて」(208ページ)
生きることをあきらめてしまう。

最期のとき
隣に誰かいて 手を握ってくれるだけで
幸せな気持ちで逝くことができます
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仙厓和尚伝❸ 義梵は十日の断食坐禅をやりとげた

2020-10-18 05:47:45 | 読む 聞く 見る
1718 仙厓和尚❸



義梵(字は仙厓)は武州東輝庵を目指し、野宿同様の九夜十日の道中を歩き着いた。
東輝庵は峻立する崖を背にしてひっそりと建つ百姓家のような庵が大小二つあるだけであった。

多くの行脚僧が入門を求め庭詰の行をしていた。
義梵は、庭詰の行がわからずに僧に入門願いをしたものだから
中年僧から庭の地面に叩きつけられたり
別の役僧は、棍棒で義梵の肩や横腹をつつく。

義梵は、負けず、空印和尚の書状を差し出したが
中年僧は「こんなものが何の役に立つ」と嘲罵(ちょうば)し、その書状をずたずたに裂き破いた。
この一年の間に、入門を許された者は一人もいなかった。

義梵は、故郷には戻れなかった。
故郷へ帰りたくなかった。
戻れない身であった。

義梵は、徹夜の坐禅と断食行を続け、五日目には動かなくなった。
糞も出なくなり、食べ物も一切受けない。
水だけは、前においた椀に顔を寄せ、唇を湿した。
六日目の夕暮れ 義梵は不意にぐらりと後ろに倒れ、崖下へころがり落ちそうになった。
常僧たちは慌てて大きな石を二つかかえ、義梵の背後に据えた。

八日目 雨が降り始め、午後からはどしゃ降りに変わり、気温は急激に下がった。
白い雨脚と滝のような流れのなかに、一つ義梵の座像が映っていた。

首座役僧が「入門は特別に取り計ろう。約束する」と話しても
義梵は、指を二本立て「あと二日坐る」、と。
先輩僧たちは、薦(こも)や茣蓙(ござ)や古蒲団を持ち出し
義梵のからだを頭から尻までぐるぐる巻きにし縄で縛り、眼鼻だけを残した。
まるで達磨のようであった。
(達磨大師は禅宗の始祖である)
こうして義梵は十日の断食坐禅をやりとげた。

七年の歳月が流れ、義梵は「東輝庵の四天王」の一人に数えられ
法器学識はいちばんと言われ麒麟児の称を受けていた。

いよいよ義梵は、月船老師から試験問題を出され、それに合格すれば
故郷の清泰寺の住職となって戻ることが約束されていた。


野宿のなかを九夜十日の道中を歩き通し
十日の断食坐禅をやりとげた仙厓義梵。
自分ならば一時間の坐禅もできない。
故郷に帰れない、戻れない身である義梵
義梵の生い立ちから考えたらそうである。
この世に生まれて欲しくなかった生きそこないの義梵であり
親、兄からも村の悪童からも蔑まれ疎まれていた。



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仙厓和尚伝❷

2020-10-16 03:24:14 | 読む 聞く 見る
1716 仙厓和尚伝❷



極貧にあり 三男として生まれた子は
ろくに食べさせてもらえず、躰は小さく、泣き虫であった
親からは「うまれそこない」と愚痴られた。
猿の顔に似ていたことから、兄や村の悪童からも「四国猿」と囃し立ていじめられていた。
四国猿は、普通の猿より小さかった。

「四国猿の遊びは、村はずれにある汾陽寺(ふんようじ)であった。
汾陽寺は、当時、近隣の禅寺の和尚が数か月ごと交代で住職を勤める輪番寺

四国猿は汾陽寺に野良犬が棲みつき、家に帰らなくなった。
和尚たちは雑用を言いつけるかたわら、読み書きを教えた。

11歳になったとき、当番の和尚 清泰寺の空印円虚は、自分の寺へ連れて行った。
清泰寺で頭を剃り、義梵(ぎぼん)という名を与えた。

義梵は、こまねずみのように動き働き、人の嫌がる作務(さむ)を進んで行った。
夜は膝に削ぎ竹を立てて眠気を払い、経本を読んだ。

義梵は、12歳の12月のとき
碧巌亭(へきがんてい、本堂の裏山にある小道場)で8日間、ぶっ通しの座禅を、小僧でただ一人やりとげた。
空印円虚は「梵、お前は古月祖師の亡くなられた年の生まれじゃったな。同じ日のようじゃ。
してみれば、お前は、祖師の生まれ変わりかも知れんのう」
(52頁)
この言葉が、義梵の将来を決めた。

義梵は、空印円虚の兄弟子にあたる武州東輝庵 月船和尚を訪ね行脚に出た。


今日も 自治医科大学付属病院腎臓外科受診の日
ブログを閲覧できる時間もなく失礼します
5時半過ぎに自宅を出て、帰宅は夕方になる
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仙厓和尚伝❶ 人間、皆、同じよ!

2020-10-15 12:34:42 | 読む 聞く 見る
1715 人間、皆、同じよ!



今日の朝は11月末の寒さ
ネックウォーマーをしてよかった
玄関をでたら
那須連山から北風寒太郎がやって来たような感じ
beagle genkiだけがルンルン気分で散歩

散歩最中
幸せを感じるとは
幸せを思うときとは
幸せの価値基準はどこに求めるのか
などと考えてしまった

煩悩が強く悩みのなかにある自分

250石の馬廻り役である川越士縁焉は三十路になり、仙厓和尚に嘆く
「拙者はだめな男よ。死ぬまで、うじうじと小事煩悩に思いまどい、醜く老いさらばえてゆくであろう」
仙厓和尚は「わしはの、四十歳までは救いがたい蛆虫(うじむし)じゃったよ。小事煩悩の地獄を狂いさまいよってのう
「なんの、人間、皆、同じじゃ」

美濃国山村の貧しい作男甚八の三男として生まれた仙厓和尚
彼をみごもったときから母親は、民間堕胎薬として知られている酸漿(ほおずき)の根を煎じてしきりに飲んだが効かず
臨月をむかえてしまった。
気弱な父親は、赤子を膝の下で圧死させることができず、川へ流すこともできず、
迷った末、山へ捨てた。

二夜すぎても、赤子は凍えもせず、餓死もせず、山犬に食われこともなく、
か細くではあったが泣き声を木こりに聞かれ
親許に戻された。(48頁)

空腹のまま、襤褸布を纏うだけの粗末な状態で
寒い山奥に捨てられ二夜も過ごされた
普通ならば餓死凍死で生命尽きるはずなのに
生き抜いた赤子に きっと生きる使命があったのですね

仙厓和尚の生きざまをこれから見ていくとしょうか
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白石一文『一億円のさようなら』徳間文庫

2020-10-10 07:44:45 | 読む 聞く 見る


1710 白石一文『一億円のさようなら』徳間文庫

台風14号の影響で
今日も雨
冬が近づいたような寒さ
蓄熱暖房機をonにした
浴室も暖房を入れた

秋雨は
躰も心も
寒さが滲み
寂しさもツノル


今日は白石一文『一億円のさようなら』を手にし
雨の土曜日 読み始める

1億円あったら何に使う
1億円は今の自分には「大金」だが
いざ何に使うか考えたら
そう大金でもなかった
しかし、1億円があると
小さな夢がかなえられる・・・

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南杏子『ディア・ペイシェント』幻冬舎文庫

2020-10-09 16:18:54 | 読む 聞く 見る


1709 南杏子『ディア・ペイシェント』幻冬舎文庫

『ディア・ペイシェント』絆のカルテ 
文庫本を手にする前に
貫地谷しほりさん主演 真野千晶医師役のNHKドラマを先に観た

『ディア・ペイシェント』の意味は直訳すると『親愛なる患者様』となるが、
医療の現場でも『モンスターペイシェント』という言葉がある。
『モンスターペイシェント』というのは、すべてに文句をつけるクレーマー患者であったり、
執拗に医師や看護師に対して嫌がらせをするなどの患者のことを指す。

南杏子さんは、皮肉的に「ディア」としたが、本当は「モンスター」と言葉に置き換えられる。

千晶医師の前に現れ、嫌がらせを繰り返す患者・座間敦司が、物語を展開していく。

『サイレント・ブレス』とは違うカルテの書き方になっている。

NHKドラマの方では、座間敦司は持病 糖尿病(インスリン注射)を抱えながら母の介護を行っていた。
仕事を辞め生活保護や介護サービスを拒否しながら、介護を行うもストレスも溜まり限界に達していた。
介護にも視点をあてていたたので、原作ではそこも触れているのかな、と思いながら読んだが
そこは余りふれていなかった。

『サイレント・ブレス』(幻冬舎文庫)の322頁に
千晶の父は富士河口湖町の樹海が迫る国道に真野診療所で長年、地域医療に従事してきた。
その父が千晶に話す。

「ここでたくさんの人々を看取ってきた。それで分かったのは、人はいつか必ず死ぬという
ことだ。だから、治すための医療だけじゃなくて、幸せにいきるための医療を考えてきた。
たとえ病気があっても、その病と共存して、最後まで心地よく生きられるような治療を誠実
にやってきた。その先に死があっても、それを受け入れる」


自分も病をたくさん抱え、常日頃 大学病院や地元の病院、クリニックに受診していて
待ち時間は長いが、本を読む時間としているのでそう苦痛には感じない。
入院が一番こたえる。それは在宅訪問などケアマネジャーの仕事がストップし
代わりにやる人がいないからである(居宅介護支援事業所の運営を一人でやっているため)。

病気があっても入院しないよう「健康管理」に気をつけてはいるが・・・・
薬どうしで反発しあい副作用がでたりして、新たな病気が発見されることが辛い。
一つの臓器(自分は慢性腎不全症)が悪いと、他の臓器に悪影響をもたらす。

親愛なる患者として主治医の言葉(診断)を受け容れ
病と共存しながら生きていくことかな
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南 杏子『サイレント・ブレス』看取りのカルテ❷

2020-10-05 06:58:00 | 読む 聞く 見る

茎が折れた秋桜 折れても咲き続けている生命力の強さに脱帽

1705 南 杏子『サイレント・ブレス』看取りのカルテ❷ ~胃ろうと「自然死」~

人間、生きていて(老いてくると)、食べることは
大きな楽しみであり、生きるエネルギー(源=みなもと)にもなる。

老い、病を抱えていて
食べたくても食べれなくなると
もう終わりなのかな(死が近いのかな)、と
当の本人も介護者も「ふと」思ってしまう。

「プレス3 エンバーミング」の看取りカルテ 古賀扶美枝さん(84歳)の話を読み
あらためて「胃ろう」のことを考えさせられた。
本ブログでも過去に胃ろうを取り上げたことがあった

扶美枝さんは痩せこけ、肋骨がくっきりと浮かび上がり、飴細工のように壊れそうな体だった(170頁)

水戸倫子医師は、「この一年近く、食欲が落ちれば、これまでなら消化器の検査や栄養を取るための治療を考えたものだ。
だが、食べれなくなるのも自然の経過という感覚もわかるようになってきた」
(前掲書173頁)

他の哺乳類動物と同じように、人間も老いていくと躰の機能が衰え、食べることも受けつけなくなる。
水も飲まなくなり、オシッコもでなくなってしまう。
自然の摂理に沿いながら静かに逝きたいものです。

扶美枝さんも「ベッドの上だけで人生なんて、好きじゃないんです。私は十分に生きてきました」
「胃に穴を開けるなんて、とんでもない。そこまでして生きたいとは思いません」
「私も自然に帰るだけ」(179頁)、と
最初は彼女は胃ろうを造ることに拒否(反対)をされていた。

普段介護されていない長男 純一郎が現れ、胃ろうを造るよう母を説き伏せ
水戸医師に胃ろう造設の手術を強く求めた。

長男は、胃ろうを造らないのは「餓死」させることだ、という言葉に
水戸医師は心揺らいでしまう。
「自然な死を見守る医療は、どこか頼りない。果たすべき治療をやりきっていないのではないか」
という迷いとも背中合わせにある。(193頁)

迷いのなか、結局長男の言葉に押され胃ろうを造設した老母。
扶美枝は「-こんなじゃ、生きていても仕方がない。天井を、見ているだけの毎日なんて・・・・」、という言葉を吐く。

胃ろうの造設約3週間後に事故が起きた
扶美枝の口から白い流動食が溢れ流れ出ていた。
気道に流れ込んだ流動食による窒息状態となり
吸引や心臓マッサージを続けるも、亡くなった。

原因は純一郎が7パック(1パック200ml)の流動食を入れたのが原因だった。

水戸医師は、いまは胃ろうを造ることになぜ抵抗しなかったのか
「餓死」という言葉に惑わされたこと
それは自分も同じ気持ちを抱いた。

水戸医師の老父は8年前に脳梗塞を患い
いまは歩くことも食べることもできない。
胃ろうを造ったが、言葉や表情を失い
意識もなく寝ているだけの状態にある。

在宅の患者を診ていて、ふと父のことが蘇る。

食べれなくなることは、自然な肉体の衰え
死というゴールから逆算して、残された時間をどうするか
つまり『最期どう生きたいか』
(186頁)

胃ろうを造り、生き長らえても
「-こんなじゃ、生きていても仕方がない。天井を、見ているだけの毎日なんて・・・・
という扶美枝の言葉がいまも耳朶に残っていいる。

老い病を抱え、最後食べれなくなったとき(飲み込みができなくなったとき)
あなたは胃ろうを望むのか、それとも望まないのか
意思表示をしておくことが大切。


最期どのような死の風景を眺めたいのか







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南 杏子『サイレント・ブレス』看取りのカルテ❶

2020-10-02 15:10:35 | 読む 聞く 見る


1700 南 杏子『サイレント・ブレス』看取りのカルテ❶ 
~死の受容とは、生きることそしてあきらめること・・・~ 


文庫本の最初の頁に『サイレント・ブレス』について
静けさに満ちた日常の中で、穏やかな終末期を迎えることをイメージする言葉です。

患者や家族に寄り添う医療とは何か、自分が受けたい医療とは
どんなものかを考え続けてきました。
(6頁)

水戸倫子医師は、新宿医科大学総合診療科の外来診察で10年間、患者の診療にあたっていた。
或る日、大河内仁教授に呼び出され、関連病院である「むさし訪問クリニック」の異動を勧められた。
彼女は左遷された、と思った。
教授から「医師の勉強は大学を離れてから始まる」、と言われたもの、水戸医師は素直に受け止めきれなかった。

不本意ながらもむさし訪問クリニックでの訪問診療が始まった。

最初の患者は、知守綾子(45歳)、7年前に乳癌を発症し手術を受けた。
抗癌剤治療を続けるも、再発し、肺と肝臓へ転移し末期癌となった。

綾子は有名なジャーナリストで『ドクター・キュープラー・ロスとの対談』という科学書を出版されていた。
この書物は「死を受容する五段階」について書かれたものであった。
その当の本人が末期癌に罹り、死に直面した。

綾子は水戸医師の前で挑戦的かのように喫煙をしたり
正体不明のスキンヘッドの男を病室に招いたり、一度外泊をしたりなど不可解な行動をとっていた。

病状は進み酸素マスク、最後の処置を行った後、綾子の呼吸は苦しくなり
もう最期の場面になったとき、スキンヘッドの男が部屋のドアを開け入ってきた。

「般若心経」を手にし臨終勤行を始めた
スキンヘッドの男は、実は浄楼寺住職 臨床宗教師 日高春敬氏であった。

臨床宗教師は、終末期の患者に対して何を為すかは、『サイレント・ブレス』84頁に詳しく記載されている。

綾子自身、「いざ自分の人生の終末に臨み、綾子は激しい悩みや苦しみに苛まれていた」
「私の人生はこれで良かったのだろうか」
と、
日高住職と何度も尋ねてきた(対話をしてきた)。

彼女が住職と出かけ外泊した先は、老人ホームに入居しているお母様を訪ね
死ぬ前にお別れを言いに、お母様の部屋に泊まった。介助役として住職がかかわっていた。

彼女が他界してから彼女から一冊の本が送られてきた
『死ぬ瞬間のデュアログ』だった
著者は、知守綾子と日高春敬となっていた
本の帯には「生と死をめぐる二人の対談」と書かれていた。

「死を受容できない自分を受容する」ことで
臨床宗教師に導いていただきながら自分を受容した彼女。

自分は、「相手はどう死を臨んでいるのか」
自分の頭で考えがちだが、大事なのは相手が死に対しどう臨んでいるのか
そのことを思いやる(思い知る)ことの大切さを
知守綾子さんから教えられた。
最後まで ジャーナリストとして生き抜き死と対峙された彼女の生き方に頭が下がる思いです。


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『すみなれたからだで』の「あとがき」から

2020-09-21 05:31:39 | 読む 聞く 見る
1685 『すみなれたからだで』の「あとがき」から


「あとがき」のなかで
窪美澄さんは
『「性」の先に「生」がつながっていることは書けるのではないか。』
『性の先に何があるのか』

そして『生のすぐ先に死があることも、年齢を重ねている私は知っています』(窪美澄『すみなれたからだで』河出文庫  260頁)

「性」の先につながっているのは、「命(生命)」である。
「性」の漢字は「心」と「生」からできており、性は心で感じるもの。

窪美澄さんが書かれてあるように「生」のすぐ先は「死」である。
「老い」を重ねた先も「死」である。

「性」も「生」も
深い意味をもつ言葉である。


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