老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

439;ホームにて

2017-09-30 14:42:46 | 老いびとの聲
ホームにて 

石川さゆりの歌ではないが
急行八甲田 懐かしく思い出すときがある
上野発夜行列車で
翌朝6時過ぎに青森駅に到着

今も貧乏に変りはないが
40年前の私は
駅弁を買う金はなく
家に着くまでは
喰わず飲まずであった

青森駅に着く前には
青函連絡船の乗船名簿を受け取る
3時間50分の船旅
11時過ぎ函館に到着
函館に着くと
「なんだか家に着いたような気持ち」になった
函館本線に乗り継ぎ
故郷に帰る


駅のホームは
人知れず
様々な出会いや別れがある

大都会の駅と錆びれた地方の駅では
ホームの風景は違う
歌の世界では
大都会から故郷に向かう歌の方が多いような気がする

「上野は俺らの心の駅だ」
集団就職列車で金の卵と言われ、都会に来た中学生
いまは老いた人になっている(あゝ上野駅)

「さようならあなた 私は帰ります」と
一人寂しく 上野発の夜行列車に乗る
冬のホームは寒いだけに
別離の傷は余計に滲みてくる(津軽海峡・冬景色)
「東京で見る雪はこれが最後ね」と
きれいになった彼女をホームで見送る彼
これも別れの歌なのだろう(なごり雪)

大都会の駅が風景なのか
「赤いランプの終列車を見送るあなた」
別れせつないホームで手を振るのは彼女か(赤いランプの最終列車)

{大都会の駅}終電に間に合うかと何度も腕時計を見るあなた
ホームで手を見送る後ろ姿は寂しく映る

ホームでの見送り風景は
別離(わかれ)が多いのであろうか







438;白色鉛筆

2017-09-30 05:12:25 | 老いびとの聲
暗闇に昇り来る朝陽
 白鉛筆

暗闇に浮かぶ光は希望の灯り

昭和30年代は
私は小学生のときで
雪国 ニセコに棲んでいた
寒くなると薪ストーブだった
稲刈りが終わり
初雪が降った頃になると
発動機で直径一mもある大きな鋸を回転させ
親父は薪を20㎝程度の長さに切った
小学生だった私は姉妹と
板を貼ってある自宅の壁に沿って
薪を積み上げていった
真冬はその薪をストーブに入れ
暖を取っていた

東京オリンピック(昭和39年)になると
我家は薪ストーブから石炭ストーブに変った
薪に比べ格段に暖かいが
欠点は燃やし始めは
なかなか火がつきにくく
すぐには暖かくならない
石炭は燃え
家の天井を張り巡らした煙突は
壁穴から空に向かって突出し
灰色が入り混じった白い煙となって
冬の空へ消えて行った

何も書かれていない裏面の年賀状に
ミカンの汁で文字を書いた
その年賀状を受け取ると
薪や石炭ストーブにあぶると
焦げたような文字が浮き出してきた

随分長いまえがきになってしまった

白い画用紙や白い紙に
白鉛筆で文字を書いても
文は読めない

黒い画用紙に
白鉛筆で書かれた文字は
優しく目に飛び込んんで来る
暗闇に浮かぶ一筋の光は希望の灯り

老いた人の白髪に憧れる
白髪のなかに
過去の悲哀(かなしさ)、辛さ、後悔などが滲みだされ
いまは抜け落ちる白髪を手にし
寂寥の刻(とき)を過ごし往く
白髪になっても生きている


437;再び歩くことへの挑戦 ⑨

2017-09-29 04:43:12 | 老いの光影
黒い雲と陽ざし/暗雲は立ち込めて欲しくない

 再び歩くことへの挑戦 ⑨

本人の自立支援と同居している長男夫婦との軋轢

堀川清子さんの自立支援は
思いがけないところで暗礁に乗り上げた
本人(姑)と長男嫁の軋轢は予想していたが
民生委員をしている長男までもが
清子さん(母親)が歩けることに対し
よく思っていなかったことに 失望した
長男はいまも民生委員(4年目)をしていた
母親が歩けるようになったことは
実は 喜んではいなかった

まだ歩けると言っても
誰かの手を必要とする

(一部介助を必要とする)
清子さんは
長男は快く手助けをしないことを感じ取り
また迷惑をかけては申し訳ないと思い
ベッドから起き出し数メートル先にあるトイレまで歩いた
私自身も転倒したら
何もかも振り出しに戻るどころか
寝たきりになってしまうことを恐れている
(大腿骨骨折など)
長男は転倒し骨折になり
自分たちにとり
また手がかかることを恐れ
「じっとベッドに寝ていろ、歩くな」
「紙おむつのなかにオシッコをしろ」と強い口調で怒る

小さな親切、大きな迷惑だと思っていたのか
歩けるように目指していたことが

確かに自立支援の問題は
本人と家族との間には軋轢や確執がある
本人がふらつき歩くのであれば 歩く訓練をせず寝たきりのままがいい
おむつ外しは そのたびに本人から「トイレに行きたい」と言われ 夜間の場合起きなければならない
特に寒い冬のときや仕事をしながら在宅介護をしているときは辛い


デイサービスや介護施設は
介護スタッフが他にもおり おむつ外しは一人だけではないから 負担は少ない だからできる
ということも家族の気持ちのなかにはある

清子さんは
いま歩けることに大きな喜びと大きな生きがいを抱いている
まだ自立歩行ではないが
早く自分の足で 自分の力歩きたいと
紙おむつのなかにオシッコはしたくない
まして大便はなおさらである
洋式便器で排せつができる 喜びは
寝たきりになった人でないとわからない、と彼女は
わたしに呟いてくれた
本当にそう思う
清子さんは話す
寝たきりになったとき
90年も生きてきてこれほど辛いことはなかった
日々天井の裏板が何枚あるか数えるだけで何もできない
ただ寝ているだけの自分は惨めだった
家にいても辛いしつまらないから
毎日デイサービスに来たい


私自身も紙パンツや紙おむつをつけ
2回ほどオシッコをし、そのまま4時間ほど
オシッコで濡れた紙パンツをはいたこともあった
在宅介護者は除き
仕事として介護に従事されている方は
一度紙おむつを体験されると 介護観が変わる

デイサービスのスタッフは
朝清子さんを迎えに行くと
紙パンツはびっしょり濡れたままのとときもあった
着替えの用意もなく
食べ終えた食器もオーバーテーブルの上に放置されたまま
長男嫁は見送りにも出てこない
長男は仕事に出かけ不在
長男夫婦にとっては清子さんは疎ましい存在でしかないのか

ただこのままの状況におくこともできず
まずは歩けることをめざしたケアプランに長男は同意し署名押印はしたが
実際はそうではない、とあからさまに長男に話すことはできないにしても
清子さんが歩けるようになったことの意味
本人はどんな思いでおられるのか
紙おむつの介助よりも
歩行介助の方が
いかに介護負担が少ないのか
理解して頂く以外にはない
じっとベッド寝ていることが
如何に辛く非人間的な生活になるのか
説得というよりは
どうしたらわかっていただけるか

読者の皆様からのアドバイスも頂ければ幸いです

436;独り暮らし

2017-09-28 11:22:33 | 老いの光影
那須連山・阿武隈川上流・夕陽

 独り暮らし 

人間は勝手な生き物であり、家族や同僚が煩わしく感じ、独り(孤独)になりたいときがあります。
しかし、現実に暫くの間独りになると、寂しく人恋しくなってきます。
人間は独りでは生きていけない存在なのかもしれません。

我が家で生まれ育ち、成人になった子どもたちは、
家を巣立ちそれぞれ独立し新たな家庭を築いていきます。
生まれ育った家には、老いた父母(高齢者世帯)だけが残り、
盆正月の時期になると、息子娘夫婦や孫たちの帰りを楽しみに待っています。

老いの先は「死の世界(あの世)」であり、
いま「この世」に生きている人は誰もが体験したことのない未知の世界であるだけに、
「あの世」のことはわからないのです。

本当に長い間労苦も喜びも分かち合い、生きぬいてきた二人は、
先にどちらかが「あの世」に旅立ってしまいます。
独りになってしまったとき、
特に男性の場合は日常生活における生活力の大小によってその後の「独り生活」が大きく左右されます。

独りになってしまった老いた自分と
独り身のまま老いた自分とでは、
「独りで暮らす」仕方は違って来るのではないかと思っています。
老いはその人の生きてきた姿とも重ね合うものがあります。

山が見える故郷には老いた母親が独り暮らしています。
独り暮らしを案じた長女は、東京に戻られた日に、私のところへメールが届きました。

「母の様子から、多少の物忘れはあっただろうとは思いますが、実際もそうかもしれないと感じる場面もあり、とても心配でした。泣いてばかりいる母を見て、本当に切ない思いでした。今まで、苦労して4人もの子供を育てても、世話をしてくれる子供が居ない事に不憫にも思いますが、少しでも残り後わずかな時間を楽しく過ごしてくれればと思っております。また、常々母の安否についても、このまま誰にも気づかれる事なく死んでしまうかもしれない事に心配しておりましたが、ケアマネジャーやデイサービスとの関わりにより、そのような心配が軽くなり、大変感謝いたしております」。

老いの年齢を幾つも重ねた母親が、
転ばぬ先の杖一本に身をまかせ、
覚束(おぼつか)ない足で玄関先の石段を降りていきます。

北の国では晩秋から石油ストーブは欠くことのできない暖房器具です。
赤くなった半球は、仄かな火を揺らぎながら独り暮らしの寂しさに温もりを与えてくれているかのようです。
火を点けたまま灯油を入れたり畳の上に灯油を溢れたりして、
引火しないかと心配しているのは、(遠く離れた処で住む)長女だけではありません。

『人』という漢字を見ると、お互いに「支え助け合う」という意味を持っています。
送迎車で自宅に着いたときや在宅訪問したときに、
デイサービスのスタッフは(ストーブの)給油タンクの針にも気をつかい、
灯油を注ぎ足すことも支援の一つです。
何気ない見守りの積重ねによって、独り老人が住み慣れた家で継続して暮らすことを保障していきます


435;他ト我

2017-09-28 04:43:12 | 老いびとの聲
 他ト我

北原白秋『白金ノ獨樂』

二人デ居タレドマダ淋シ
一人ニナッタラナホ淋シ
シンジツ二人ハ遣瀬ナシ
シンジツ一人ハ堪エガタシ


人間とは勝手な生き物であり
一方では孤独を好みながら
他方では他者を求む

『他ト我』を目にしたとき
人間の淋しさをこうも短い詩で表現できるものか、と。
二人で居ても
淋しさは消えない。
夫婦でなければ
時間は許さず
そこを去らなければならない。
遣瀬なさが込み上げ
その淋しさは余計に辛くなる。
あなたが何処に帰ったかは知る由もないが
一人置かれ私は
淋しさが募り堪え難たくなる。

434;感謝知らずの人間

2017-09-27 02:45:00 | 老いびとの聲
gennkiにも「ありがとう」

 感謝知らずの人間

井上陽水の歌
1970年代頃の歌が懐かしく
自分も「年をとったなぁ~」と感じてしまう
人生二度あれば
人生をやり直すのか
それとも違うことをやるのか
迷っても
人生やり直すことはできない

話は横路に逸れてしまった
『感謝知らずの女』も何度聴いただろう


歌の出だしは
僕は あなたの為に
すべてを忘れて働いた
絹のドレスも帽子も
みんなあなたに買ってあげた

だけどあなたは
感謝知らず感謝知らずの女


歌の最後は
ありがとうの一言
なぜいえないのかなあ~

感謝知らずの女 感謝知らずの女
感謝知らずの女uh・・・・


この世は
感謝知らずの女だけでなく
感謝知らずの男もいる
自分生きてきて
感謝知らずの人間だったのでは、と反省、後悔

身近な人ほど
「ありがとう」の言葉は大事なのかもしれない
「ありがとう」
簡単な五文字の言葉
「ありがとう」と言わなくても
笑顔だけで「ありがとう」が伝わる人もいる
人間最期の瞬間まで
「ありがとう」の言葉を交わせられる人は
幸せ

「あ・り・が・と・う」



433;簡単なことを 老人から教えられた

2017-09-26 15:41:24 | 老いの光影
秋桜デイサービスセンターの食堂兼機能訓練室

 簡単なことを 老人から教えられた

90歳の女性老人から教えられた
本当はデイサービスに行きたくなかった
なぜなら 知っている人もいないところへ行っても
自分が孤独になるだけだ

来てみてそうではなかった
ここ(秋桜デイサービス)は
学校では教わらないことや 
世間では教わらないことを知った


家に閉じこもりになり
物忘れも目立ってきた
だから
デイサービスに行って
他者と交流すれば
元気になると思っているのは
ケアマネジャー? デイサービススタッフ?(苦笑)

431;再び歩くことへの挑戦 ⑧

2017-09-26 02:56:10 | 老いの光影
 再び歩くことへの挑戦 ⑧
旧題名「寝たきり状態」からの挑戦


堀川清子さん
9月7日から秋桜デイサービスを利用開始
最初は、車いすで移動
先週からケアスタッフに腕をつかまれささえれながらも
自分の足で歩き始めた
まだ足元は覚束ない
歩みは遅々としているが
自力歩行に向かっている


車を降り 門扉のところから段差がある
門扉から玄関入口までは30mの道程があり
本人にとっては近くて遠く感じるかな
朝夕往復する 最高の歩行訓練
いまは不用となった玄関スロープ
玄関上がり框では
自分でシューズの脱着をする
自分できることは自分で行う

90歳の彼女
寝たきりの状態から一歩一歩克服

429;上手な介護サービスの活用処方 第15話「認定調査の項目」⑬

2017-09-25 14:50:34 | 上手な介護サービスの活用処方
 上手な介護サービスの活用処方 第15話「認定調査の項目」⑬

2-12 外出頻度(有無)

ここでいう「外出」とは、1回概ね30分以上、居住地の敷地外へ出る頻度を評価する
1.週1回以上

2.月1回以上
3.月1回未満

1.週1回、以上外出している場合をいう
2.月1回から月3回、以上外出している場合をいう
3.月1回未満の頻度で外出している場合をいう

外出の目的や、同行の有無、目的地等は問わない
徘徊や救急搬送は外出とは考えない
同一施設・敷地内のデイサービス、診療所はへの移動は外出とは考えない(例えば同一敷地内にあるサービス付き高齢者向け住宅とデイサービス、老人保健施設と診療所等)

認定調査では外出で多いのは、通院、デイサービスであり、買い物、外食、旅行による外出は極めて少ない


今回で 第2群 生活機能 は終わり、
次回から第3群 認知機能 (9回)の連載になります

428;こおろぎノ鳴キ声

2017-09-25 10:22:51 | 春夏秋冬
 こおろぎノ鳴キ声

夜明け前から
こおろぎは鳴き続けている


ボヤボヤシテイルト
秋ガ過ギ
私タチノ鳴キ声モ消エ失セルヨ


食欲ノ秋
体重計ノ針ガ
右側ヲ指ササナイヨウ
気ヲツケタイ
手ニスル物ハ
読書ノ秋デモアルカラ
本ニシタイモノダ

426;{オシッコ考⑦}「立ちション風景」

2017-09-24 11:17:04 | 排せつ考
立ちション風景 

電信柱にオシッコをかける
犬の気持ちは何なだろうか
それは
自分の縄張りを誇示するためなのか

洋式便器の便座にオシッコをかける
男の気持ちは何なだろうか
それは
単なるものぐさで他人(ひと)の迷惑を考えない自己中なのか

路端でオシッコをしている
婆さんの気持ちは何なだろうか
それは
恥らいよりも漏らすことの方が恥ずかしいからなのか

浴槽のなかにオシッコをしている
要介護老人の気持ちは何だろうか
それは
浴槽のなかにオシッコしてもわからないからなのか

それは困るよ
後から入る人がわからずに
顔を洗うかもしれない
お風呂の前には必ず用足しをして欲しいよ

425;{オシッコ考 ⑥}「生体腎臓移植決定」

2017-09-24 05:05:12 | 排せつ考
自治医大附属病院新館病棟

 {オシッコ考 ⑥}「生体腎臓移植決定」

「腎臓移植」登録するも
あてのない日を待ち続けることは・・・・
この先85歳まで生きらえるのであろうか
透析のため血管はボロボロ
貧血、虚脱感が続く
人工透析を始めて1年余り

平成20年桜が咲く前に
マラソン好きの妹に電話をかけた
「妹の腎臓を一つ譲ってくれないか」
「・・・・・」
「私一人の体ではないので、夫とも相談してみる。子どもたちにも聞かなければならないし」
「返事は急がないから、夫とよく話をしてくれれば・・・・」

それから1週間後に
妹から携帯電話にかかってきた
「兄が元気になるなら、私の腎臓を一つあげてもいいよ」
「本当! ありがとう。感謝するよ~」と一言。
今も、妹には感謝しきれないほど、感謝している
妹の夫や甥姪にも感謝、感謝

兄弟なので腎臓が適合するかどうか検査しなければならない

いままでは自治医科大学附属病院腎臓内科に外来受診していたが
これからは腎臓外科の医師に代わった
鯉のぼりの季節
妹も北海道から飛行機により来日
自治医大附属病院に二人は検査入院となった
結果「腎臓移植は問題ないということになり、平成20年8月27日に腎臓移植手術を行うことに決定」
それまで高熱を出すことなく、万全に体調管理をしなければならない