老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

暑さにも負けず 決して弱音を吐くことなく 胡瓜は生きている

2023-07-17 08:30:38 | 阿呆者
1988 暑さにも負けず 決して弱音を吐くことなく 胡瓜は生きている



もの凄い暑さにも負けず
決して弱音を吐くことなく
胡瓜は暑さに朽ちることなく
葉は緑色を彩り胡瓜は育ち
にんげんにもたらしてくれる。

黄色いの花びらブンブン蜜蜂が何度も行き交う。

猛暑のなか
ひとり暮らしの老人は
エアコンをつけているだろうか
水分を摂っているだろうか

もの凄い暑さにあっても
何枚も重ね着をしたり
冬物衣を着ている老い人もいる
暑い寒いの感覚が「麻痺(鈍感)」になってしまう

今日は「海の日」で休みだが
ひとり暮らしの家を周り
一軒一軒玄関の戸を開け 言葉をかけ
脱水症(熱中症)で「干からび」てはいないか
安否確認にでかけるとしようか・・・


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雨降りは「病む」

2023-07-15 08:40:19 | 阿呆者

                  散歩路 森のなかの会員制ホテル

1987 雨降りの一日

「止」む気配はなく朝から雨降りどおし

beagle元気は散歩が出来ず
「ウンション」を我満している
トレイにオシッコをしたときは
おとなしくなる

オシッコで濡れた紙パンツを取り替えてもらうことを
気にしていて
お父さんに「悪い」と思っている

犬は敏感ににんげんの感情をよみとる

雨降りは躰の痛みを抱える人にとり「病み」が疼きだす

wifeは先日大ケガをした右手の親指と腰が雨降りで余計に痛みが疼く
自分も念のために左膝と腰にロキソニンテープを貼った
気休め程度しかならない


               今日は雨降りだから「寝ます」


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心の襞(こころのひだ)

2023-07-12 15:44:30 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち

                                  散歩路  秋桜

1986 心の襞(こころのひだ)

不安は 乾いた灰色の空
介護は 先が見えぬ曇り硝子

あなたが生きていることで
生きる励みになり
辛さも悲しも切なさも喜びも感動も
心の襞となる


2017/8/19 ブログ 掲載

仕事の都合上 令和5年8月2日までは日曜日のみブログを投稿します
皆様のブログ訪問することができず申し訳ありません
いつも訪問をいただきありがとうございます。
                           星 光輝


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私の運命はどうなるのか

2023-07-11 12:38:35 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
犬猫、それぞれのお腹だし自慢


      甘えるとき腹を出すbeagle元気 腹だし〇〇隠さず


       にゃ五助 お俺も腹だしが得意 元気の弟分

1985 「ありがとう」を伝えたい

いつも同じことをくり返し書いている
認知症の兆し、と思われるかもしれない
それでも、また書いた愚かな自分


最期 
死に場所は
どこになるのか

その運命がどうなるのか
神のみぞ知る

脳幹梗塞を発症した或る爺さん

言葉は聴こえる
でも
話すことができない
もどかしさ
悔しさに
ただ泣き喚くしかない

「治療は終えた」 
と医師から告げられた
言語障害が残った

「療養型病院に移って欲しい」
療養型病院でも、「何処かに移って欲しい」、と同じことを言われるのか

私の行く先(終点)は何処になるのだろうか
神のみぞ知る

蛍光管は切れたのか切れてないのか
点滅をくり返す
薄暗くなった病室で
寂寥の寝台に伏せる我が躰

転院の前に世話になったあなたの掌を握りしめ
「ありがとう」を伝えたい
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今日は父の命日

2023-07-10 21:51:07 | 阿呆者

  散歩路 墓石の形は風雨雪で丸みを帯び 字は消えて苔が生えるほど長い長い月日が過ぎた 合掌

1984 昭和45年7月10日 父 43歳で永眠する

「風邪」も引いたことがなかった健康な父
病魔が襲い 予想以上に腸閉塞が進行し人工肛門を造った
当時人工肛門はその上から「さらし」を巻くだけで、
便が出ると便が「さらし」に滲みだし臭いもきつかった

母は父が亡くなるまでベッドの脇で寝泊まりをしていた
「さらし」や下着の交換
痩せた躰であっても床ずれ一つ作らなかった

介護の世界に入った自分は
床ずれ一つ作らなかった母の看病を「凄い」、なと思った
なのに老いた母に床ずれを作らなかったことに対し
「よく頑張ったね」、と言葉をかけることを忘れていた自分

あと1年は持たないと、言われながらも病床生活は16カ月過ごし
家に帰ることはできなかった父

父は痩せこけ、今思うと「癌」だったのではないか、と思う

老いた父の顔を想像(イメージ)することができない
いま老いた自分の顔は 老いた父の顔に似ているのだろうか

死を目前にした父と話すことがなかった
なぜ、もっと話をしなかったのか、と後悔している

昭和45年7月10日の早朝
「危ない」、と看護師から電話があり
急いで病室に駆けつけた

父の手を握りながら最期を看取ることができた
父は「うお~」と大きな聲を出し
瀕死の状態にありながらも父は力強く自分の手を握り返してくれた

あれから52年の時間が経ち
自分は父の分まで 残された時間 生きようと思う
肝心なのは残された時間 どう生きるか・・・・



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蹴らないでくれ

2023-07-10 03:25:36 | 沁みる砂時計

我が家の3坪ほどの家庭菜園 二本の胡瓜苗が成長し 幸せの黄色い花を咲かせ 20本の胡瓜を頂いた
beagle元気 「胡瓜」の言葉に反応するほど胡瓜大好き メトロノームのように先が白い尻尾を左右に
大きく振り胡瓜を待つ beagle元気も私たち夫婦も胡瓜の命を頂き元気になる

1983 小石にも生命がある

食道癌の手術前後 病床で書いた高見順の詩「小石」から引用 
蹴らないでくれ
眠らせてほしい 
もうここで 
眠らせてくれ


86歳の老男は食道癌(ステージ5)を今春 発見され
転院し放射線治療を受ける。
放射線治療を受けても「効果があるかどうかは別問題」、と医師から告げられる
8mmの管を鼻から胃まで通し何とか栄養を維持できたがそれももう限界

食道の腫瘍が大きくなりその細い管を圧迫してきた
管を抜去すると再び管を挿入することはできない
胃ろうを造設する手術を行う
「口から食べたい」、という老男の願いは消えていった

躰は痩せ、胸の奥や背中の痛み、咳、 嗄声 させい (声のかすれ)の症状があり
苦しい
小石まで成長した食道の癌よ
蹴らないでくれ
眠らせてほしい 
もうここで 
眠らせてくれ

癌と必死に闘ってきた高見順
86歳の老男も闘っている


私たちは道端にある小石を
何気なく足蹴りをすることがある
そんな小石にも
生命があることさえ忘れていた

石と言えば 
「景石」という言葉を思い浮かぶ
景石は庭園美を構成する重要な材料であり
景石は 「捨て石」とも言われ 
主役的な庭石を引き立てるためには置かれる
捨て石は 無造作に何気なく置いてあるように見せて
そこに捨石があるだけで庭の風景がさらに引き立つ

捨石は影の存在なのかもしれない
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冬には枯れ落ちた枯葉は 春には新たな命の営みが始まる

2023-07-09 08:33:22 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち

                   遠くへ行きたい

1982 なぜ自分が生まれてきたのか、何のために生きているのか、そしてなぜ死ぬのか

40代始めの頃 老人病院にいた。

バンドが自由に伸び縮みのする古腕時計を見たら、
短針と長針が重なり、後2分少しで退勤時間の午後5時30分になるところだった。
93歳になる老女の手を軽く握り、
「また、明日もよろしくね」と言って
ベッドの傍から立ち去ろうとしたとき、
彼女は何を思ったのか、
ポッソと「日本の老人は寂しい。施設に居ようが、病院に居ようが、家に居ようが、老人は寂しい」と呟いた。
「日本の老人は寂しい」という呟きが、いまも私の心を疼かせている。

60代 那須連山を眺めながら要介護老人が棲む家を訪れ介護相談を再び始めた。
20年まえの風景と変わらず
家があり 家族が住んでいても 家の中に住む老人は孤独
伴侶を亡くし 独りになっても 
自由気儘に暮らす孤独の方いい。
在宅訪問で そう感じてしまう。

幸せかどうかは、ひとり一人違う。
自分の目に「幸せでない」、と映っても
当の老人は「これでいいのだ。家族とこうして暮らすことができ幸せ」

自分の最期(死)は
子が決めるものでもなく
他人から言われることでもない

そう胸深く思いながらも
子に従う老親(老いては子に従え)
でもやはり最後の死に際は自分で決めたい

何処で死にたいか
かっては多くの柿を熟した枝
老木となり朽ちた葉は無数の枯葉の上に落ちた
水が飲めなくなり尿もでなくると枯木のようににんげんも朽ちて逝く

しかし、冬には枯れ落ちた枯葉は
春には新たな命の営みが始まる。



作レオ・バスカーリア』
『葉っぱのフレディー』の絵本の物語を思い浮かぶ。
人工透析の治療を開始したときにこの絵本を手にした

なぜ自分が生まれてきたのか、何のために生きているのか、そしてなぜ死ぬのか
誰もが抱く疑問を葉っぱのフレディーは語りかけてくれた
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子育てと老いの介護

2023-07-08 08:25:25 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち

小樽駅ー札幌駅の間を走る電車の窓から見た、青い空・碧い海 いい眺めです。こんな景色を見ながら逝きたいものです

1981 子育てと老いの介護

介護相談を通し 様々な家族模様が映しだされます。
自分も一つの家族模様を持っています。

親がどんな子育てをしてきたのか
齢を重ねた老親は、この先老い逝き ねたきりになり介護が必要になったとき
子どもは、老親の介護にどうかかわっていくのか

さまざまな親子の葛藤、あるいは絆の強弱さを感じます。

子育ての失敗? 
子育ての失敗かどうか当の老親は意識していないひともいます。
自分が老いた躰になり子どもや他者からの世話(介護)を受ける身になっても
大人になった子どものことが心配で
僅かな国民年金が振り込まれる預金通帳と印鑑を「自由に使っていいよ」、と息子に渡す。

歩くことままならず透析治療を受けている老親と自立していない息子との二人暮らし。

「TKG」  なんの略語(略称)か
Tamago Kake Gohan 卵かけご飯

先ほどの老親(爺様)は卵かけごはんを食べている日が多く 顔は青白く痩せてきたのです。
透析をしてきた後の躰はかなりしんどい
(自分も過去に透析の治療を週3回行ってきたから、そのしんどさはわかる)

忘れたころに息子は弁当や総菜を買ってきたので、
老父は一度に食べ、塩分も相当含まれ水分も多量にとり体重が3㎏も増えたのです。
3㎏も増えたら透析のとき相当躰に無理がかかり、透析後はふらふらで立つこともできないほどになります。

息子に預けた年金は老親父のために使ってはくれず、介護タクシーの料金は引き落としができないままにあります。

老いた親は、もう子どものことは心配しなくていいのです。
大人になった子どもは生きていけます。
もう親離れ子離れしなければならない・・・。
いまは不自由になった我が躰のことを心配しなければならないのです。
そう言ってもわかってくれないのがなんとも辛く、息子にその感情をぶつけることもできません。

老親の年金を当てにしてはいけない。
世の中、老親の年金を喰いながら、家に閉じこもりの息子が増えてきています。
老親が亡くなったあと、年金はストップになり、その息子は「生活保護費」で暮らす・・・。

世の中理不尽です。
生活保護費と変わらない額の国民年金受給額で老夫婦が暮らしているひともいます。
その中から介護保険料、後期高齢者医療保険料と通院費、切り詰めた食費で暮らし
介護サービスに使うお金は捻出できません。

せめて月に10,000円でも介護に使うお金があれば、老親の介護を抱えた家族にとり本当に助かります。

今日のブログは支離滅裂でまとまっておりません。
いつか、忘れなければもう一度書き直したい、と思っています。


国は、これから異次元の政策で子育てにお金をかけていきます。
膨大に増え続けている国の介護予算は、これから高齢者の懐(年金受給額)のなかから
介護にかかる費用の負担を増やしていきます。

所得制限に関係なく子育て家族に現金給付をする。
本当にその現金給付を必要としている枯渇状態にある国民年金受給額で暮らす老老介護者に
せめて毎月10,000円でもいいから現金給付をして欲しいものです。
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老化(劣化)すると水漏れする

2023-07-07 08:52:06 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち

                田舎の散歩路 赤い屋根の村営住宅

1980 「ショック」洗浄機

食器洗浄機が故障した
福島県に移住したとき建てた小さな家は14年余月
クリナップに電話入れたら14年も経過しているので、部品はありません。
まだ14年ですよ。

説明書を読んだら「水漏れにより」、食器洗浄機が作動しなくなった。
クリナップに電話をいれたら
水漏れなのに、見に行っても出張費がかさむだけで
食器洗浄機を交換することになります。

ショック洗浄機です。
20万円近くかかるのかな・・・・
痛い出費です

食器洗浄機がなくても食器は手で洗えば済むのだが
にんげん一度楽をするとだめですね。
自分ひとり暮らしならば我慢できるのだが
wifeのために食器洗浄機交換です。

食器洗浄機だけでなく
老いを重ね膀胱括約筋が弱くなると水(尿)漏れする

にんげんはハルンケアで対応できるけれど
食器洗浄機はむずかしいんだって・・・・
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自然な死

2023-07-05 11:56:13 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち

蝉のいのちは短く儚い、そう思うのはにんげんだけで、蝉はミン ミ~ と精一杯鳴き短いいのちを生きている。

1979 「老衰でした」

昨日18時02分 文乃さんが老衰により永眠された。
17時18分 長男嫁から電話が入った。「状態がおかしいので来て欲しい」
自分とwifeはすぐ駆け付け8分後、到着。
呼吸は止まり、家族に尋ねると2分前に「息を引き取った」。

すぐ訪問看護ステーションへ電話
訪問看護ステーションから訪問診療医師に連絡がつながった。
18時前に訪問診療医がお見えになり、診察の結果「18時2分 死亡が確認されました。
死亡の原因は食べれなくなったこともあり老衰になるのかなと思います」。

言葉をかけるといまにでも眼をあけ起きそうな感じで、おだやかな表情にあった。
医師は「多くの患者は床ずれができていなくきれいな躰で、本人は強く自宅に帰りたがっておられ、最後まで家族に看取られ本当に幸せだった思います」

今回は家族もヘルパーも疲労困憊ながらも、本人の希望に添えたことが何よりだった。
駆けつけたとき長男は、屋外の資材置き場の倉庫前で目を赤くしておられた。

エンゼルケアのとき、本来は家族は入室できないのだが、三女の子ども(長女、次女 小学生)が文乃さんの傍により「寝顔を見ていた」。
いまの子どもたちは、「死者に対面できる機会」はほとんどなく、こうしておばちゃんの死に対面できたことは、本当にいいことだな、と感じた。
にんげんは老い、そして病み、自然のまま眠るように死んでいく。
それは逃れることのできない、にんげんの運命であり、自分も十数年後には枯木のように老衰していく。
文乃さんのように自然な死で、自分も逝ければ、と思う。

話は飛ぶが、いま余りにもにんげんの命が粗末に扱われ、若者たちが簡単に、ナイフで「人の命を奪ってしまう」ことは本当に悲しいことです。
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耐えれないほど痛い

2023-07-04 09:26:56 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち

beagle元気は、いつも同じ散歩路を嫌い、坂路がきついコースの方を希望します。
そのコースに幾年月に渡る風雨にさらされた地蔵様があります。
地蔵様の目、鼻などは欠け丸みを帯びわからなくなっています。
通学路にありいつも子どもたちの安全を見守っています。
地域のおばさんたちが赤い帽子とエプロンをかけてくれています。みんなの健康をお祈りし合掌。

1978 床ずれ

床ずれ(褥瘡 じょくそう)になったことがない自分には、床ずれの痛みがわからない。
wifeは30代始めの頃、踵(かかと)や大転子部などに床ずれができた経験があり、話してくれた。
「皮膚が剥がされ、そこに塩を塗り付けられた感じで、その痛みは言葉では表せない」。
だから、「死ぬ間際に床ずれができ、激痛を抱えながら逝くのは可哀想」です。
痛みは本人しかわからない(心の傷みも同じ)
他人の痛み(傷み)はわかりにくいものです。

老衰が始まり、食事を口にすることもできなくなると栄養状態が悪くなり、
また同じ姿勢でいると、そこが圧迫され皮膚が赤くなり(発赤)、床ずれ始まりのサインが出る。
そのときに適切な処置(エアマット、防水フイルム、体位交換、清潔にする)を行うと、床ずれ防止ができる。


防水フイルム(赤くなったところや床ずれができやすいところに貼る)

ワセリン(陰部洗浄、陰部清拭のあとにワセリンを塗布すると尿や汗を防水する)

家族の介護だけで床ずれ防止をするのは厳しいです。
そのときは上手で丁寧なヘルパーを見つける、と言ってもそこはケアマネジャーにお願いするしかない。
あとはいろんなヘルパーが訪れますので、気がきくヘルパーを見極める。
介護保険は、「だめな」訪問介護事業所、「だめな」ヘルパーであれば他の事業者や他のヘルパーに替えることができる。
(「だめな」という言葉は不適切ですが、わかりやすい言葉と思い、使いました。お詫びします)

訪問看護師は健康状態や死が近いことの見立ては適格ですが
オムツ交換や清拭はヘルパーの方が上手です。
1時間あたりの訪問看護の料金は、訪問介護の2倍になります。
健康状態や酸素療法、ウロガードの交換、褥瘡の処置は30分で終わります(それでも訪問介護60分の料金と同じ)。
時間のかかるオムツ交換や清拭、シーツ交換はヘルパーにお願いする。
そのようにケアマネジャーにケアプランの作成をお願いすると自己負担料も上手に使うことができる。
(いらぬお節介かもしれませんが、ご検討のほどよろしくお願いします)。

文乃さんは、だんだんレベル低下してきています。昨日3度目の訪問診療(訪問診療のときは、なにもできなくても自分も同席します)。
医師から「躰はきれいですね。筋力が落ち骨と皮だけになると床ずれができやすくなります。床ずれができていないのでびっくりです」。


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しなかやに生きる

2023-07-02 05:03:36 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1977 しぶとく生きる



「しぶとく生きる」
97歳の文乃さん
長男夫婦の疲労困憊MAX状態にある

昨日の朝 「へるぷ」を終えたwifeから
長男夫婦は「疲れ切っている」、と話す。

長男夫婦に「たおられて」は
97歳の老母を看取ることができなくなる、と思い
チオビタドリンクを差し入れ・・・・。

「家に帰りたい」、と叫び退院して3週間になる。
退院せずそのまま病室にいたら、7日間ももたずにご臨終となったであろう。
それは家に帰れず生きる気力を失せていく。

長男は日に五度、老母の唇や口のなかを水で潤す。
舌、唇は白い「苔」にならず、ピンク色の舌を維持している。

「へるぷまん」の奮闘で床ずれは「ゼロ」

そのことで文乃さんは生きる気力を維持している
「もう危ない」、という囁きは何度も聞かれたが
SPO2は「98」の数値にある
血圧も100台をキープ
肩呼吸の症状にあるも「しなやかに生きている」


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水野源三 瞬き詩人

2023-07-01 17:00:23 | 沁みる砂時計
1976 しゃべれない書けない


       いのちのことば社

36歳のとき、水野源三さんの詩に出会たときは、躰が振るえたことを思い出す。
小学校4年生のとき真性赤痢に罹り、下痢と高熱で体は衰弱し、脳膜炎を併発、脳性麻痺となった。
9歳のとき床に臥す躰となり、話すことができなくなった。
彼は、見えること聞くことができ、そこに生きる力を得た。

診療所の医師が源三を診察したおり、「はい」という言葉に眼をつぶれ、と言ったことがヒントになった。
五十音図を使って、一字一字拾うことを思いつき、そこから「瞬き詩人」の誕生となった。

しゃべれない書けない

私の
まばたきを見て
一字一字拾って
詩を書いてもらう

一つの詩を書くのに
十分 二十分 三十分
義妹の愛と忍耐によって
一つ二つ三つの詩が生まれる

神さまに
愛されて
生かされている
喜びと感謝を
詩に歌い続ける


「キリストの愛が 私の心を潤す」
自分の不遇に嘆くどころか 感謝し
言葉を紡ぎ 一つの詩を織り上げた水野源三の生き方に
本当に頭が下がり 生きることの意味とその深さに感銘した。

あれから34年の時間が過ぎ
自分は何をしていたんだろう、と反省させられた。

あの当時の心境に戻り、詩に触れていきたい。

生かされている

自分では
何もできない私が
家族のやさしさによって
オレンジ・ジュースを飲み
アイスクリームを食べ
詩を作り
み言葉を学ぶ

自分では
生きられない私が
神さまに
愛され
生かされている

(第4詩集 1981年)
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