老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

幸せだったと思えるような日に

2020-07-31 13:32:19 | 読む 聞く 見る


1611 幸せだったと思えるような日に

『とんび』(重松清 角川文庫)の198頁に
「幸せになりんさい。金持ちにならんでもええ、偉いひとにならんでもええ、今日一日が
幸せじゃった思えるような毎日を送りんさい。明日が来るんを楽しみにできるような生き
方をしんさい。親が子どもに思うことは、みんな同じじゃ、それだけになんじゃ」


金持ちや偉いひとになることが幸せとは違う
幸せの反対側にある不幸

貧乏や病気になることが不幸とは違う
不幸とは
マザー・テレサが話されていたように
「不要な人間」「ダメな人間」なのだ、と差別されたり、差別に甘んじたりすることが
不幸なのだ、と。

人間にとり、自分にとっても「存在を否定される」ことほど辛く悲しいものはない。
物忘れが進み認知症が重くなっても老親は、わが子を心配する「感情」は残されている。
定年が近い息子(長男)のことを、小学生だと思い
「子どもがお腹を空かして学校から帰ってくる。何か作ってあげよう」、とガス台に鍋をかける。
(惚けていても「子どものために役に立ちたい」、という思い)

ガス台に鍋をかけた、そのことも忘れ、鍋を焦がし、仕事から帰ってきた息子に怒られる老母。
老母は息子からどうして怒られたのか、怒られた理由がわからない。

「今日一日、家族みんな無事故で、コロナウイルスに感染することもなく、夕食をとることができた」
平凡な日であっても、こうして生きていることに感謝する。
幸せは爽やかな風のように感じていくものなのかもしれない。

親は「病気や事故に遭うことなく、家族元気に暮らす」ことを願っている。
子どもは家庭をもってはじめて親のありがたみがわかる。

老親自身が子どもから世話を受ける身になっても、子どものことを心配している・・・・。






聞こえても聞こえていない

2020-07-30 07:43:21 | 阿呆者


1610 聞こえても聞こえていない

夏至が過ぎると 憂鬱な気持ちになってしまう
何故かというと 日ごとに陽が射す時間が短くなるからである
夜明けが早く 陽が沈む時刻が遅い方がいい

深夜に一度トイレに起きだすのは やはり老いた証拠なのであろうか
それから蒲団に入り 天井を見ると
目玉焼きにみえる小さな灯りが気になり、なかなか眠れないが
そのうち眠ってしまう。

老いてくると同時二つの行為が難しくなってきた。
何かをしていて、wifeから「これ、お願いね」と話しかけられ
「はい」と返事をする。

wifeから言われたことは、耳では聞いていたのだが
きちんと頭のなかに入ってはいなかった。
wifeから「頼んだことしてくれた?」
「何頼まれったけ・・・」
wife「忘れてしまったの、惚けてしまったの・・・。それで在宅訪問していて大丈夫なの」等と
立て続けに苦言を頂戴してしまう。

wife「鶏より悪いね」
「そうだな、鶏は2,3歩あるいて忘れても、卵を産むからな。自分は忘れても卵は産めない」

これからはwifeから話しかけられたら、手を休め、wifeの方を向いて話を聞かねば・・・・。






あの角の向うに 幸せがある

2020-07-29 19:44:30 | 老いびとの聲


癒される顔

1609 あの角の向うに 幸せがある

人間も犬も 眠っているときが至福の境地にある
眠っている顔は なんとも言えないあどけなさに癒されてしまう

長梅雨で 青い空は何処へ行ったのか
地球も病み 大雨を降ると大洪水となり
河川の氾濫は甚大被害をもたらす
コロナウイルス感染もありWの心配にある

梅雨が明けないまま 蝉は鳴き始めている
暑い夏がやってこないだけに
蝉の鳴き方もいまひとつ弱々しく感じてしまう

今日は 73歳の寝たきり(要介護5)の夫を介護している妻(71歳)と話をした。
わずかばかりの国民年金額では暮らしができないので
妻は、日中、パチンコ店が経営するうどん店に働きに行っている。
「立ち仕事だけに、大変だね。仕事を終え、自転車をこぎ、
スーパーに立ち寄り買い物をして、3階まで階段を昇り帰宅される。
着いたら休む暇もなく、夫のおむつ交換や痰吸引をする妻。
そのような生活は3年続いた。

コロナウイルス感染が拡がり
緊急事態宣言のときはパチンコ店は休業だったので
24時間自宅に居るのは、結構疲れた。
夫は(言語障害があり)話すことができないので、会話にもならない。
夫が寝ている部屋で、黙ってじっとしているのも”しんどい” 。
仕事をしている方が楽だった。

交替する人もいなくひとりで在宅介護を続けていく
車の運転もできないと、外へ出る機会もなく気晴らしもできない。


歩いていると、突然左足の膝が曲がらず棒のようになり痛みが走る
右膝はヒトコブ駱駝のように水が溜まり、立ち膝ができない
右手に杖を持ち3階までの階段を昇り、老夫婦宅を訪問する。

”あの角の向うに 幸せがある”
そう思いながら路を歩く老いびと






重松清『とんび』(角川文庫)

2020-07-26 07:06:54 | 読む 聞く 見る


1608 重松清『とんび』(角川文庫)

昭和37年、ヤスさん(29歳)は生涯最高の喜びに包まれていた。
愛妻の美佐子さんとのあいだに待望の長男アキラが誕生し、
家族三人の幸せを噛みしめる日々。
しかし、その団らんは、突然の事故(悲劇)によって奪われてしまう・・・・。

(カバーより)

雪降る寒い海辺で
ヤスさんは両手でしっかりとアキラ(年長)を抱きしめた。
「アキラ、これがお父ちゃんの温もりじゃ。お父ちゃんが抱いてくれたら、
体の前のほうは温うなる。ほいでも背中は寒い。そうじゃろ」
アキラは、うん、うん、とヤスさんの胸に頬をこすりつけるようにうなずいた。
「お母ちゃんがおったら、背中のほうから抱いてくれる。そうしたら、背中も寒うない。
お父ちゃんもお母ちゃんもおる子は、そげんして体も心も温めてもろうたる。ほいでも、
アキラ、おまえにはお母ちゃんおらん、背中はずっと寒いままにゃ、お父ちゃんが
どげん一生懸命抱いていても、背中までは抱ききれん。その寒さを背負うということが、
アキラにとっての生きるということなんじゃ」
(前掲書103~104頁)

「背中が寒いままで生きるいうんは、つらいことよ。寂しいことよ。
恋しゅうて、悔しいことよ」
(前掲書104頁)

とんびが鷹を産んだ。
とんびが鷹に話す名セリフの場面である。


深夜、眼を覚ましトイレに行ったあと、
なかなか寝付けず。
wifeとbeagle genkiは隣で寝息、いびきをかき
気持ちよさそうに夢をみている。
いびきが気になり、90分ほど起きだし
居間で『とんび』を読み始めた。
3時になり眠くなってきたので、蒲団に入る。
朝寝坊し、時計を見たら6時半だった。
外は雨が降っている。






無用な心配であればいいが・・・

2020-07-25 07:57:19 | 阿呆者


1607 無用な心配であればいいが・・

4連休が続き
辺境の地にも
他県(関東県、東京都も含まれる)ナンバーの車が目立つ
人間には移動の自由があり
何処へ行こうと自由だが
やはり気になるのはコロナウイルス感染の拡がり

無用な心配で終わればいいのだが
コロナウイルス感染の拡がりが心配

長梅雨も手伝い 気持ちは晴れない
心は空模様のようなもので
曇ったり雨が降ったり
いつになったら心が晴れるのか

日々介護に追われている人たちは
go to travel(旅行)を欲しても
何処へ行くこともできない
go to kaigo(介護)が果てしなく続くような 心境にある
終わりのない旅はないのだろうけれども・・・・。




人間が人間を縛るということ⁉

2020-07-24 12:20:04 | 介護の深淵

那須連山が見える開拓 酪農


1606マザー・テレサと老人介護❸
~人間が人間を縛るということ⁉~


寝たきり老人や認知症老人を媒介にして
様々な家族模様に出会う。
日々介護に手を尽くし介護疲れで倒れてしまうのではないか、という家族もあれば、
寝たきり老人の介護を家族みんなで分担しあいながら家族の絆を強めている家族もある。

反対に、家族のなかに面倒なことがひとつ増えたという感じで、
家族関係がギクシャクし絆が脆弱な家族もある。

「自分さえいなければ」「不要な人間なのだ」、と思いこむ老人。
人間不信、意欲喪失等の状態で介護施設に入所になる老人。

老人介護は、老人とその家族の出会いで始まり、
老人の死をもって終わりとなる。
老人に出会い、いままで生きてきた老人の思いや
現在抱えている病気や障害の苦悩、辛さ、悲しさ、寂しさなどの心の重荷を受け留めていくところから始まる。

何も話したくないときがあるかもしれない。
皴が刻みこまれた手を握ることで、老人の心が安らぐ場合もある。
マザー・テレサが言うように彼らの気持ち、彼らの聲を聴くことから介護が始まる。

人間が人間を縛るということ!?

認知症老人の介護においても、手を握るという行為は、とても大切なスキンシップの一つである。
認知症老人は、「弄便(ろうべん、便を弄ぶ、便いじり)」「被害妄想」「徘徊」「攻撃的な言動」などの症状があると
「問題老人」であるとレッテルを貼られてしまいがちである。

認知症老人は、本当にこの人を信じていいのか。私の敵なのか、味方なのか、
その人(介護員、看護師、介護支援専門員)のかかわり方で敏感に感じとる。

他の利用者に迷惑をかけるという理由で、車いすやベッドに抑制(縛る)されたり、
鍵のある部屋に閉じ込められたりする。
(介護保険制度前の介護施設は、抑制などが多かった)

しかし、どんな理由をつけたとしても、人間が人間を縛るということが許されるのであろうか。
介護保険制度スタート以降は、どうしても抑制が必要な場合は家族の同意を必要とする。
老人の心の不安、葛藤、もつれ等を少しでもなくしていこうとするときに、
抑制をというかかわり方で、その老人が抱えている「問題」が解消するのであろうか。

反対に人間不信を増長させ、人格破壊につながる。

人間が人間を縛るということは、周囲の人たちに認知症老人は
「ダメな人間なのだ」「不要な人間なのだと」と思いこませることになってしまう。
頭がはっきりしている元気な老人や寝たきり老人、半身麻痺を抱えている老人は
縛られてる老人をみて、「この施設で安心した老後を送れる」、と思うであろか。
「呆け(惚け)ては大変だ」という意識と不安だけが頭のなかに強く刻みこまれる。

どんなに認知症が重くなっても、
「あなたも、私たちとおなじように望まれてこの世に生まれてきた大切な人なの」(前掲書26頁)である。
呆けていてもこの世に人間として生きるということ、
マザー・テレサは、”愛”の問題としてとらえている。
その”愛”という言葉を”人権”という言葉に置き換えていく。
人間の尊厳を守るケアをめざしていくことにある。

(『銀の輝き』創刊号 1993,6,17発行 27年前、老人保健施設で勤務していたときに書いたものです)



人間にとってもっとも悲しむべきことはなにか・・・・

2020-07-23 05:24:53 | 介護の深淵
1605 マザー・テレサと老人介護❷
~人間にとってもっとも悲しむべきことはなにか~



マザー・テレサは「人間にとってもっとも悲しむべきことは、病気でも貧乏でもない、
自分はこの世に不要な人間なのだと思いこむことだ。
そしてまた、現世の最大の悪は、そういう人にたいする愛が足りないことだ」
、と述べている(前掲書26頁)

息も絶え瀕死の状態にあっても、
路上で行き倒れた老婆を抱きかかえ、話しかけ手を握りながら看取る。
残されたわずかな生命であっても追い求めていく、彼女のその行為に圧倒された。

幸、不幸を数字で示すということはナンセンスではあることを承知のうえで、、
マザーに助けられるまでは老婆は99%不幸であった、と思う。
しかし、死の寸前、マザーに抱きかかえられながらその人の死を看取られたとしたら、
残り(最後)の1%は幸福だったのではないか。

人間の温もりを感じながら安らかに死せる、ということはとても大切なことだと思う。
「この世に不要な人間なのだと思いこむ」自分、
また思いこませる周囲の人間のあり方など、
人間に対するマザーの優しさかつ鋭い視点は、
老人看護、老人介護の世界においても相通ずるものがある。


人生の最終章にはいり、家族に囲まれながら老境をむかえ、
病気や事故に遭い半身不随または寝たきり状態になったとき、
多くの老人は心が大きく揺れ動き、一度は「家族に迷惑をかける」「自分さえいなければ・・・・」
「邪魔な存在」「役立たずな人間、却ってお荷物な存在」等々
”不要な人間なのだ”と思いこむ時期がある。

その思い込みを解決せぬまま重荷を背負いながら、介護施設の門をくぐる老人に対して
看護師、介護員、介護支援専門員は、何を為すべきなのか・・・・。

マザー・テレサは、その問いに対してこう示唆してくれるであろう。
「『貧しい人たちはね、オキ(沖守弘)、お金を恵まれるよりも食べ物をあたえられるよりも、
なによりもまず自分の気持ちを聞いてほしいと望んでいるのよ。
実際は何もいわないし、声も出ないけれどもね』。
だが、手をにぎりあい、肌をふれあうことによって、彼らの聲は聞こえるのだ。
そのことばを聞く耳を持ちなさい、・・・・・(中略)・・・・・『健康な人や軽税力の豊かな人は、どんなウソでもいえる。
でもね、飢えた人、貧しい人は、にぎりあった手に、みつめあう視線に、ほんとうにいいたいことをこめるのよ。
ほんとうにわかるのよ、オキ、死の直前にある人でも、かすかにふるえる手が”ありがとう”っていっているのが。
・・・・・貧しい人ってほんとうにすばらしいわ』」
(前掲書29~30頁)




マザー・テレサと老人介護❶

2020-07-22 05:19:08 | 介護の深淵
1604 マザー・テレサと老人介護❶


蛍  草


「終わり良ければ総て良し」(シェークスピア)という、言葉が好きである。
老人介護にかかわっていると余計にそう思えてくる。
幸福感は、人によって価値観が違うので、一概に決められるものではない。

人生順風満帆にきたとしても
最後の場面で誰からも看取られることなく
独り寂しく死んでいくとしたら・・・・・。
幸せな最後だったといえるか。

住み慣れた家で家族に見守れながら死んで逝きたい。

カルカッタのスラムの貧しい人のなかのさらにもっと貧しい人たちのためにつかえてきた
マザー・テレサさんの行為に胸打たれる。
彼女を知ったのは、看護助手をしていた33年前のときのことで、
沖 守弘著『マザー・テレサ あふれる愛』講談社文庫 という本で出合ったのが最初である。

「マザー・テレサは、毎日、子どもや病人の世話に献身的に歩きまわっていた。
そんなある日、マザーは、路上に行き倒れている老婆に出会う。
極度の栄養失調にやせ衰え、皮膚は生気を失い乾ききっていて、
死人のようにしかみえないその老婆に、
目をとめたマザーが、十字を切って離れようとしたとき”死体”の腕が一瞬ピクリと動いた。
まだ生きている! マザーはかけよった。
体のあちこちは、ネズミにかまれたか、アリにくわれたか、血が流れだしており、
ほとんど死んではいるが、、しかしまだ生命の火は絶えてはいない。
神に望まれてこの世に生まれてきた生命だ、
生きられるところまで生きさせてあげたい!
マザーは、抱きあげると、スラムを抜け、病院へといそいだ」
(前掲書21~22頁)

マザー・テレサは生命がある人をみはなしてならないと訴えた。
いま自分の為すべきことは路上で死を待つしかない人々を安らかに死を迎えることのできる{家}をつくることだ、
と確信し、即行動に移した。
「ニルマル・ヒリダイ(清い心)」と呼ばれる{死を待つ人の家}がスタートした。


夏のなかに小さい秋見つけた

2020-07-21 17:05:59 | 阿呆者
1603 夏のなかに小さい秋見つけた



昨日 beagle genkiと散歩していたら
小さな秋桜に遭遇した
夏のなかに小さな秋を見つけ
何だか
幸せな気持ちになった

春桜は儚く散ってしまう

秋桜は暴風雨に遭い
茎が折れても
折れたところから根が張り
花は咲き続ける
(花は生き続ける)



自ら命を絶ったひとり暮らし老人

2020-07-21 04:29:13 | 介護の深淵
1602 27年前の在宅介護 老人ケア最前線「ホームヘルパーからの報告」❹(最終回)


草むらのなかに咲いた百合の花


自ら命を絶ったひとり暮らし老人

自ら死を選んだ老人について述べていきたい、と思います。

昨年からかかわり6か月間、家事援助(生活援助)をさせて頂きました。
最初の出会いは、病後の身体でひとり暮らし(82歳)で、妻は亡くなっていました。
彼は体力が低下しないようにと少しづづ散歩をしたり、
できることは自分でやるというように、前向きに生きていた方でした。

師走を迎えホームヘルパーの援助機嫌が切れた後のことです。
1月3日、私の家に「腰を痛めた。動けないよ」、と電話が入りました。
翌日、早速訪問しました。

家の中は荒れ果てており、彼は「起き上がるのに1時間かかるよ。入院したい」、と訴え
ベッドに伏せておられました。
その姿を見てただごとではないと思い、
息子夫婦と市の社会福祉協議会に電話をしました。

5日民生委員に付き添われ受診、その結果骨折ということで入院になりました。

そして、1か月が過ぎ「今日退院したよ。いろいろありがとう」、と受話器から彼の喜びが伝わってきました。
「春が来る頃までには腰もすっかり良くなるわね」、と応えました。

しかし、その後、彼の気持ちは暗くなり何度か電話がかかってきました。
「何時までもかかわってあげたいけど、ヘルパーとしての規則もあり頻繁に訪問できないの。
新しいヘルパーが来るまで頑張って・・・・。ごめんなさい。息子さんや民生委員さんにすぐに相談して、
ヘルパーの派遣をしていただくように」、と話をしました。
社協にもこのことは報告をしておきました。

電話の2,3日後、社協から「驚かないでください」、と自殺の連絡を受けました。
私は驚き混乱しました。
彼は、どんな思いで、自らの命を終わりにしたのか。
不安な心で必死に助けを求めていたのに、
規則を重んじ訪問しなかったことに非常に後悔しました。

「湯川さんの親切は仕事のうちだったんだな」、とそう彼に言われているような気がしました。
これだけが原因とは思いませんが、
心を抜きにしてヘルパーの仕事に対処したことはないだけにショックでした。

老人が特定のヘルパーに電話をしなくてもいいような在宅サービスの体制づくりが求められています。

在宅福祉は、福祉サイド、医療サイド、保健サイドが一つになって組織をつくり、
縦も横もつながりを持っていくことです。
そして、地域ぐるみで在宅福祉をとりこなかったら、”3時間ホームヘルパーが活動したから、この家は安心だ”
”訪問看護師が来ているから安心だ”、とは言えないと思います。

4つの事例を通し、27年前のホームヘルパーの活動を紹介してきました。
介護保険制度のスタートにより、在宅福祉は、福祉、医療、保健の連携調整は
介護支援専門員(ケアマネジャー)が担うようになりました。

地域とのつながりはいまも模索していますが
27年経っても地域とのつながりは悩ましく
地域力そのものが痩せ細ってきているような感がします。

どこまでかかわるべきなのか、いつも自問自答しています。
地域包括支援センターから、「かかわりすぎ」「距離を置いたほうがいい」
「自分の身体がもたないよ」などと、苦言を頂くこともあります。

老人の呟きや聲なき聲を
どこまで拾い切れているのか
湯川さんは「在宅福祉にかかわるものは、老人の心理(気持ち)を知らないではすまない」、と述べておられます。
本当にそう思いました。




紋白蝶が5羽も飛び交う

2020-07-20 15:35:45 | 阿呆者
1601 紋白蝶が5羽も飛び交う

昨日、夕暮れ時のまえ
beagle genkiと畦路を散歩していたら
穂がまだでていない緑の絨毯の上を
紋白蝶が3羽飛翔していた

農薬散布等の影響もあり
普段なかなか紋白蝶に巡り遇うことはほとんどない
それが一度に3羽の紋白蝶が仲睦まじく飛び交っていた
左の方を見るとさらに2羽の紋白蝶が飛んでいた

スマホでパチリ、と紋白蝶を撮ったが 小さくしか映らなかった

今日、自治医科大学附属病院外来受診
循環器内科、皮膚科、感染症科、腎臓外科と
4つの科を受診
浮腫はなくならず、眼の下は「くま」ができている
クレアチニンの数値は悪く5.0であった

明日、地元の整形外科受診
頸椎椎間板ヘルニアと左ひざ関節の痛みを診てもらう

明後日からは、元気に在宅訪問開始となる

梅雨明けが待ち遠しい


人生は一度しかない

2020-07-18 19:23:23 | 歌は世につれ・・・・


1599 人生が二度あれば

「人生が二度あれば」
人生やり直しができる
しかし、人生は一度しかない

自分は今年八月で六十八
脚は衰えてゆくばかり
仕事に追われ
まだゆとりができないでいる

老いのなかにあり
老いゆく時間は
二度目の人生と思い
やりたいことを懸けてみる
本当に生きた、と
感じれる最後を迎えたい 


「人生が二度あれば」
作詞・作曲 井上陽水

父は今年二月で六十五
顔のシワはふえてゆくばかり
仕事に追われ
このごろやっと ゆとりができた

父の湯呑み茶碗は欠けている
それにお茶を入れて飲んでいる
湯飲みに写る
自分の顔をじっと見ている
人生が二度あれば この人生が二度あれば

母は今年九月で六十四
子供だけの為に年とった
母の細い手
つけもの石を持ち上げている

そんな母を見てると人生が
誰の為にあるのかわからない
子供を育て
家族の為に年老いた母
人生が二度あれば この人生が二度あれば

父と母がこたつでお茶を飲み
若い頃の事を話し合う
想い出してる
夢見るように 夢見るように
人生が二度あれば この人生が二度あれば



子どもと家族のために生き老いた父と母
欠けた湯飲み茶碗は
身体のあちこちにガタがきた父の姿と重なる
重いつけもの石は
家族の重荷を背負い生きてきた母の人生そのもの

もし、人生が二度あれとすれば
父と母には
今度は、自分のために生きて欲しい、と願う。


ひとり暮らしの寝たきり老人

2020-07-18 06:33:09 | 介護の深淵

1598 27年前の在宅介護 老人ケア最前線「ホームヘルパーからの報告」❸

【ⅲ ひとり暮らしの寝たきり老人】

ひとり暮らしの70歳の女性です。
彼女は、大動脈炎症候群という病気を抱え
訪問看護師に尋ねたところ、血管痛がひどく、
心臓、頭など全身吊るようなような痛みが走り
重い物は持つことができないということです。

冷蔵庫の戸を開けるのも、ご飯を食べるときも
負担にならないように茶碗に盛り付けます。

彼女は血圧が高く、240/120といった数値で、病院へ行くのにも
社協から車いすを借りワゴンのタクシーを呼びます。
健康な人が歩いてほんの2,3分のところでも
彼女にとっては大変な外出です。

受診後、血圧が下がり安心しました。
「私は、いつ死んでもいいんですよ。家で死ねるなら、もういつでもいい」、と言いながら
血圧も安定したことで、精神的にもホッとした様子です。

薬の調整もあり、定期的な血圧の測定も必要になってきます。
保健センターに電話を入れ、週2回保健師が来てくれるようになりました。
ヘルパーも医師の指示や意見を伺いながら、血圧測定を始めました。
健康状態をメモし、週1回病院へ持っていき、薬の調整を行うようにしました。

医師も「急変のときはいつ何時でも電話を入れてください」、と励ましの言葉をかけてくれます。
彼女は「いつ死んでもいいです」、と仰っていたのですが、こうも話していました。
「私は、ひとりでは生きていけない。ヘルパーさんが来て、食事、掃除、洗濯、買い物などを
してくれるから生きていけるのです。本当にありがたい、と思っています。
夫が寝たきりになったときは、このような制度がなく、商売をしながら介護をしたので大変だった。
私の病気は夫が亡くなって、看病疲れで悪化したものです。あの頃を思うといまは天国です」。

このようにホームヘルパーの援助を待っている人たちは、市内にまだたくさんいます。
「福祉」という響きに戸惑い、本当な利用したいのに躊躇しているところがあります。
すべての人の意識、福祉意識の高揚(意識の改革)も非常に大切です。

また、ホームヘルパーは、障害、病気を抱えている老人を
明るく前向きに生活ができるよう必要な知識・技術を身につけ
温かな心で援助していくことが求められています。

21世紀に向けて、高齢社会の問題を考えると、近隣の福祉意識に高揚と
地域ぐるみの見守りは、いま、」急いでつくっていくことが不可欠の課題です。

27年前はまだ介護保険サービスがないときでした。
まだ、1年6ヶ月のホームヘルパーの経験であっても
湯川ヘルパーさんの在宅老人に対する思いとその行動力には
本当に頭が下がります。

いまならケアマネジャーが行っている医師や保健師との連絡調整や
車いす借用の手配なども行っていた。
当時はヘルパーの利用はまだまだ抵抗があり
「貧乏人が利用するものだ」、という風潮がありました。

21世紀に入り、いまは2020年になったが
介護保険制度スタート時に比べ
訪問介護の利用は制限が増え、利用しにくくなってきました。



夫 全盲、妻 全盲・認知症疾患

2020-07-17 06:39:55 | 介護の深淵

1597 27年前の在宅介護 老人ケア最前線「ホームヘルパーからの報告」❷

事例ⅱ 夫 全盲、 妻 全盲・認知症疾患

二つ目のケースも介護と家事の援助を行っています。
老夫婦と息子さんという家族構成です。
老夫婦とも全盲という障害があります。
夫はマッサージ師として社会で活躍されてきました。
妻は脳梗塞、痴呆症となられ、家族のこともよくわからない、判断できないといった状態であります。

おむつをあて、部屋のなかでじっとしていることが多い彼女。
ヘルパーが話しかければ笑顔でこたえてくれます。
宇宙人と会話をしているような錯覚に陥ることもあります。
すべて会話が通じないわけではありません。
食事の後は「ごちそうさま」、仕事が終わり「さようなら」、と声をかける、
「どうもすいません」、と言葉が返ってきます。

食事を準備しているときのことです。
彼女のことが気になり、ちょっと振り返ってみると本人がおりません。
最初は、本当にびっくりしました。
家中探し回りました、最後にトイレのところに行ってみると鍵がかかっていました。

「オシッコですか?」
「は~い、おたかです」
「ちょっと、出てきてください」
「え~、何でしょうね」
なかなか出てきてくれません。
10分位過ぎ、やっと鍵があき、おむつもズボンもつけたまま、ジャ~、と水を流して出てきました。

「オシッコでましたか?」
「そうね、そんなこともありましたが、忘れました」
話しかけながらおむつを外そうとすると
「えなぁ~」、と嫌がります。

「オシッコをするときは、ズボンやパンツを脱ぐでしょう。ほら、私も同じものを穿いているよ」、と言いながら
彼女の手を私の腰に持っていきます。
彼女は手で擦りながら「えっ、そうなの」
ここで彼女との会話にピリオドが打たれます。

ひとつ一つの行動をさっさと進めてはいけないのです。
気配(間、ま)をつかみとりながらおつきあいをしています。

夫は、最近血圧が非常に高くなり、心配しています。
朝、4時 息子は老母をお風呂に入れます。
そして、朝食を食べさせ、おむつを交換をし出勤していきまでの時間は、
戦場のような忙しさです。

息子が安心して仕事に行かれるような在宅福祉のニーズは、
ここでも強く求められています。

私は、彼女を寝せつけ、鍵を締め、帰宅します。
息子が帰るまでの間、とても心配です。
こんなとき、近所のつながりがあったら、
もっと安心した在宅ケアに繋がるのではないかと思うものです。