老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

「できる」「できない」を考える (2)

2022-02-24 04:59:58 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」


冬の青空

1820 待つ

幼児、老人の動作を「待つ」 それは忍耐がいる。

幼稚園(保育園)バスがまもなく到着する。
自分で靴を履こうとしているのに
母親は「何グズグズしているの、バスが来るでょう」、と
小言を言いながら、靴を履かせてしまう。

いつの間にか子ども(幼な子)は、靴はお母さんに履かせてもらうものだと
子どもは思い込み(学習してしまう)、依存的になってしまう。

それは、小学校に入ってもランドセルの中を準備するのは母親。

子どもだけでなく老人も同じ光景が映る。
デイサービスの車が迎えに来る。
認知症を抱えた夫
老いた妻は、「(夫は)何もできなくなった」、と思い込み
靴を履かせてしまう。
(夫はまだ靴を履く力を持っている)

時間をかければ、なんとか自分で着れるのに
動作の遅さに待ちきれず
若い母親、老いた妻は手を出し着せてしまう。

認知症になっても老人は学習する。
椅子(または介護ベッド)に座り、手や足を差し出し;
やってくれるのを待つようになる。

子どもも老人も同じ。
やってあげることは簡単だし、早く終わる。

子ども(老人)が最後まで自分で行うのを見届ける
つまり、待つことの方が難しい。
つい手をだしたくなるのをこらえる。
それは、「待つ」とは、「間」をとるという事を意味する。

「間」をとった育児や介護が大切。
それには、時間や心の余裕が求められてくる。

お母様の介護をされている或る娘さんは
コメントの中で「ゆっくりゆっくり寄り添って歩んでいきたい」、と述べられていた。
「待つ」とは、寄り添いの育児や介護であることにも気づかされました。