老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1212;鏡に映ったもうひとりの「自分」

2019-07-24 04:38:11 | 歌は世につれ・・・・
飛行機の窓から見た茨城県水戸市


鏡に映ったもうひとり「自分」

苦笑して下さい
自分という存在
自分という人間はこの世にひとり
自ら分けることができない

もうひとりの自分がいたら
それこそ笑い話になってしまう
双子とは違う

大きな鏡の前に立つと
もうひとり自分がそこに映る

鏡に映った自分は逆の世界
鏡のなかに入り込み
もうひとり自分と入れ替われる

鏡のなかの世界は
老人から子どもへと若返っていく世界
そんなことを考えていた
なんて幼稚な人間だろう、とまた笑われてしまう

老いた自分
鏡に映すと
自分ではなく他人の顏に思えてしまった
こんなに老けてしまった顔は
自分の顏ではない

真夜中に起きだした認知症老人
鏡の前に立ち
「お前は誰だ」と大きな声で尋ねる
鏡の中の老人は無言のまま
認知症老人は「なんで黙っているのだ」、と怒りながら鏡を叩く

「お前は誰だ」、その言葉に〝はっと〟し
自分は自問自答する
「自分という人間は何者だ」

鏡に映ったもうひとりの自分に
「自分は誰だ」
自分の名前を忘れた訳ではない
自分はいったい何をして生きてきたのであろうか

月光仮面の歌 懐かしく思い出す
「月光仮面は誰でしょう~」
月光仮面は自分です、と呟いてみたい
苦笑して下さい

因幡晃のヒット曲「わらってください」
ではなく「わかってください」です



自分が20代前半の頃
古アパートの一室で聴いた
夢に憧れていた当時の自分
いまは蒲団のなかで見る夢に
一喜一憂している自分



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1211;退院した歩惟婆さん

2019-07-23 04:37:51 | 老いの光影 第5章
退院した歩惟婆さん

昨日、南陸奥総合病院5階東病棟から退院した

咳嗽(がいそう、咳)、痰貯留、胎動困難、肺雑音、発熱、と主症状が「退院情報記録書」に記載されてあった。
主病名は、ウィルス性気管支炎

歩惟婆さんも自分と同じく多疾患持ちである
高血圧症、心不全、高脂血症、骨粗鬆症。右副腎腺腫、子宮癌の既往歴がある

チョッと硬い言葉が続いたが

家に着く頃を見計らい在宅訪問をし
歩惟婆さんに「おかえりなさい」と言葉をかける
彼女はにこっと笑い「家がやっぱりいいね」と呟く

自分より1歳下の次男 千明さんは
昨年の5月 歩惟婆さんを訪問した帰り路
松戸駅を降りたところで脳出血のため左半身不全麻痺の障がいを負った
懸命にリハビリに取り組み、杖歩行までできるまでに快復した

次男の足が遠のいたことで、歩惟婆さんの物忘れが始まった

一人で新幹線に乗り、南陸奥にある実家に帰ってきた
1年ぶりに老母との再会

自分にとり、次男さんとの初めての出会い
先週の土曜日に来て、今週の木曜日まで滞在する

松戸に帰るまでには、もう一度訪問し次男さんと話が出来れば、と思っている

歩惟さんにとり 親子水入らずの夜を迎える



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1210 ; 暗 闇

2019-07-22 03:12:06 | 老いの光影
暗闇

寝るとき
いつもは円形型の照明器具の明るさを
豆球にするので
天井に浮かぶ目玉焼きのように見える。

中々眠りに入れず
目玉焼きの明るさが気になる。
目蓋を閉じなければ
暗闇の世界にならない。

目蓋を閉じ続けるには
意識が働き余計に眠れなくなる。
目玉焼き照明を消し暗闇にした。

目蓋を閉じなくても暗闇にある。
暗闇は時間が経つにつれ
暗闇のなかにも陰影が浮かび上がり
その陰影の形が気になりだした。

眠りにつかない限り
暗闇の世界に身を置くことはできない。
躰は眠がっているのに
頭だけが妙に働き眠りを邪魔する。
そのうち頭も疲れ目蓋が落ちゆく。
このまま眠りにつき
目が覚めたら「秋」になっていた
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1209 ; waifから誕生日前のpresent

2019-07-21 09:41:03 | 阿呆者
waifからの誕生日前のpresent

先週、wifeは、咳と喉の痛み、発熱で苦しんでいた。
有り難くないことにwaifから咳の菌を貰い受け
先週の金曜日から喉が腫れ、咳き込みが続き
喉も痛く体調不良体調不良、最悪。
wifeは完治した。

躰は怠く、特に脚は浮腫み怠い。
頭はボ〜としている。
熱はないのだが


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1208 ; 何処で暮らすかは、自分が決める

2019-07-20 05:01:22 | 老いの光影 第5章
何処で暮らすかは、自分が決める

先日、救急で搬送されたあい婆さん
退院許可が出た

妹夫婦は、「夜、一人でいることが心配、施設入所しかない」
介護施設に入所できれば安心

それは誰にとっての安心してなのかな、と
一人暮らしよりは、介護施設で過ごす方が
「安全」を得るが、失うものもまた大きい

魚には申し訳ないけど
腐った魚のような目になり、 認知症が進む
介護施設の入所
人それぞれで
幸福な老人もいれば不幸な老人もいる

問題は
当の本人が
住み慣れた家で暮らしたいのか
介護施設を選ぶのか
またはサービス付き高齢者住宅にするのか
それは本人が決めることである

最期の生きる場所を変えるということは
この世に生まれて来るよりも
困難なことである
大勢のみず知らずの他人と出会い、そこで暮らすことになる
なによりも「自由」な時空間が奪われることである
自由な時空間は自分らしさを創ってくれる





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1207;風景も老いた

2019-07-18 21:25:34 | 老いびとの聲
風景も老いた

シャッター通りの商店街は、老いてきた
家も老けた
家のなかに住む人も老けてきた

風景も老いた

自分も老いてきた
来月 またひとつ齢を重ねる

心だけは老けぬよう自戒したいものだ
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1206;老人は草取りにこだわる

2019-07-17 12:07:55 | 老いびとの聲
老人は草取りにこだわる

老人は
要介護認定を受けてもそんなことはおかまいなしに
長梅雨で伸びた草が気になりだし
草取り用の鎌を手をにし
自宅の敷地内や野菜畑の草取り作業に精をだす。

両膝に手をつき、「く」の字に腰を曲げ
よたよたしながらなんとか歩いている。
身の回りのことは思うようにできていないのだが、
草取りになると俄然、目つきや躰の動きが違ってくる。

水分を摂ることも忘れ
夕方になると「疲れた」、とぼやく。
草取りに夢中で水(お茶)は余り飲んでいない。
翌朝、熱発を起し、「デイサービスの利用は休み」の連絡が入る。

98歳の田美婆さん(要介護2)も、その一人。

老人の草取りは本当に上手で、
土の上は草葉一つ落ちていない。
爪のなかに土がしっかり入り込み、爪は二色模様。
デイサービスの入浴できれいになる。

田美婆さんは、「長生きし過ぎた、98歳だよ。早くお迎えに来ないかな?」、とつぶやきながら
自宅から100mほど先にあるクリニックへ
歩行器につかまりながら受診して来る。

大晦日、NHK紅白歌合戦を終えると、「ゆく年くる年」という言葉があるけど
90歳を越えた老人にとっては 「くる年、ゆく(逝く)年」なのかもしれない。

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1205;「見ている(世話している、介護している)」つもりが、「見られている」ことに・・・・

2019-07-16 20:09:25 | 老いびとの聲
「見ている(世話している、介護している)」つもりが、「見られている」ことに・・・・ 

「つぶやき」から「老人のつぶやき」に変更した
自分のつぶやきだけでなく、在宅老人のつぶやきまで枠を拡げてみた


今日から在宅訪問開始

「夫婦は、血の繋がりはなく、元々は他人の関係」
「夫婦を繋ぐものは、絆?」
「親子は、血の繋がりはある」


「介護員は老人を見ているつもりでいるが、老人から見られていることに気づいていない」
老人は介護員それぞれの性格や癖を、経営者よりも把握している。

老人は嫌いなタイプの介護員であっても、「あんたいい人だね」と持ち上げる
老人は苦労して生きてきただけに、人生の裏表を知り尽くしている
肝心なことは沈黙。

認知症老人も介護員それぞれについて、自分にとり誰が敵(非理解者)であり、味方(理解者)であるかを知っている。
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1204;救急搬送

2019-07-16 03:24:09 | 老いの光影 第5章
救急搬送

93になる一人暮らしの歩惟婆さん
救急車に搬送され 21時過ぎ南陸奥総合病院に入院となり
ほっとした。

16時過ぎさくらデイサービスセンターから電話が入る。
朝、ヘルパーが訪れたとき 体調が悪く咳込んでいた。
炬燵の上には市販薬パブロンがあり、服用した殻があった。
風邪だと自己判断しパブロンのような市販薬を服用するのは危険
彼女は心疾患もあるだけに余計に心配である

体調不良の独居老人を「一人」にしてはおけない
さくらデイサービスに連れていき、静養室で様子観察をしながら
状態によっては救急車を呼び救急外来受診させるしかない
デイサービスに到着したときは 37,3の微熱
食欲はあり完食され、水分も摂られ まずはホッとした

16時頃熱は 38,3度まで上がり
自宅に送り ヘルパーに通院等乗降介助と通院付添をお願いしたが
手が回らず ヘルパーによる支援は無理となった

自分も歩惟婆さんの家に駆けつける
さくらデイサービスセンター長が居て世話(ケア)をしていた
38,8度の熱があり、足はこてこてで歩くことができない
このまま夜 ひとりで自宅に置くことはできないし

肝心の医療保険証がない騒ぎ
いつもは本人のカバンにあるのだが、「ない」
5つある引き出しを探すが見つからない
もう一度カバンのなかを見てみると 今度は「あった」

トイレに行きたいと訴える
歩くことはできない
這いながらトイレまで何とか辿り着き用を足す
こんなとき 男性のケアマネジャーは「用足らず」
女性センター長がいたので助かった

医療保険証と南陸奥総合病院の診察券があったので
救急車を呼ぶ
5分後には到着
10分程度で南陸奥総合病院の受入がOKとなり
ピ~ポ~、ピ~ポ~と鳴らしながら救急車は走る

自分もその後を着いてゆくが
赤の信号を走る訳には行かず一時停止
病院には13分程度で到着

二つ先の隣り町に住む妹夫婦にも電話連絡を入れた
病院にか駆けつけてくれ、経過をを説明する

祭日の病院は
平日に比べスタッフの数は少ない
どうしてだか日曜とか祭日の夕方は
急患が多い

日曜、祭日は急患を受け入れてくれない
今日はラッキーだった
救急搬送を受け入れてくれるべたランの斎藤医師
歩惟婆さんが独居であり一人ではおけず
入院をお願いしたところ快く手配をしてくれた

採血などの検査結果待ちと他の急患診察もあり
入院が決まるまで3時間を要した

今日、歩惟さんの入院時情報提供書を作成し
病院に届け、歩惟婆さんの顔を見るとしよう

認知症がありながらも
ヘルパーやデイサービスを利用しながら
こうしてひとりで
暮らしている
凄いな~と思う

ぎりぎりまで一人暮らしができるよう
本人の気持ちに応えていきたい

要介護1の認定を受けているが
認知症状が進み要介護認定区分変更の申請を行い、認定審査結果待ち












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1203;朝  顔

2019-07-15 12:05:32 | 阿呆者
(再掲)

朝  顔

朝顔は、夏を代表する花でもあります。

よく小学1年生の夏休みの宿題に出されます。
朝顔の観察絵日記は、苦手で朝顔の絵が描けませんでした。

朝顔は 朝に花開き、
昼にはしぼんでしまう半日花。

朝に咲く半日花の様子を、美人の顔に喩えたもので、
「朝顔」とは朝の美女を指します。

日本では若いときの輝くばかりの美しさを現す「朝顔の花、一時」という諺があり、
フランスでは「真昼の美女」とたたえられています。





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1202;雨

2019-07-14 20:17:41 | 歌は世につれ・・・・
  

折角の日曜日なのに
朝から夕方過ぎても雨、雨、雨・・・・



三善英史が歌う『雨』の2番目の歌詞には
 
 雨にうたれても まだ待つ人がいる
 人の数が減る 土曜の昼さがり
 約束した言葉だけを 幾度もかみしめて
 追い越す人にこずかれても 身動きしない
 恋はいつの日も はかないものだから
 じっと耐えるのが つとめと信じてる


大都会の何処かで
雨にうたれながら 待ちわびている
いまの時代ならばラインで
「いま向かっている」「遅れる」のメッセージが届き
いつくるか、いつくるか、と気を揉まずに済むのだが
携帯電話がなかった時代は
追い越す人にこずかれても 身動きもせずに 
あなたが来るのをじっと 待つしかなかった


雨の歌(詩)は、別れ、失恋がつきまとう  



朝丘雪路の『雨がやんだら』を聴くとそう思う

 雨がやんだら お別れなのね
 二人の思い出 水に流して
 二度と開けない 南の窓に
 ブルーのカーテン 引きましょう
 濡れたコートで 濡れた体で
 あなたは あなたは
 誰に 誰に 逢いに行くのかしら
 雨が止んだら 私はひとり
 ドアにもたれて 涙にむせぶ


今夜の雨は やまないで欲しい
いつまでもあなたの傍に居たい
雨がやみ あなたは出て行く
部屋に残された 私はひとり 泪にむせぶ
大人の失恋

イルカの『雨の物語』は、若者の失恋の曲なのかな



 窓の外は雨 あの日と同じ
 肩を濡らした君が
 ドアのむこうに立っていたのは

 窓の外は雨 雨が降ってる
 いく筋もの雨が
 君の心のくもりガラスに


雨の日は別れが似合う
窓の外は雨
君の心の曇硝子に
いく筋もの悲しみの雨で濡れている
伊勢正三の詩は、心憎いほどじ~んと泣けてくる失恋の歌

テレビはなくラジオの時代、昭和32年に流行した
春日八郎の『あン時ゃどしゃ降り(その当時自分は5才だった)


 
 あン時ゃどしゃ降り 雨ン中
 胸をはずませ 濡れて待ってた 街の角
 アーアー 初恋っていう奴ァ
 素晴らしいもんさ
 遠い日のこと みんな夢
 ひとりしみじみ 思い出してる 雨ン中


どしゃ降りの雨のなか
あなたとの初恋が叶い
余りの嬉しさで どしゃ降りの雨に
濡れたことを思い出す

別れるときも どしゃ降りの雨のなかだった
雨に濡れながら 思いきり泣いた

自分は恋をしたことが本当に少ないから
失恋の悲しみも切なさ辛さもわからない
失恋をするということは
恋の体験があるからこそだと思うが・・・・

いまは窓越しに降る雨を見て
恋や失恋を思うことはなくなり
ただただ雨がやんで欲しいと願うだけ
beagle元気と一緒に散歩ができないことが可哀想



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1201;雨  滴

2019-07-13 20:58:43 | 阿呆者
雨  滴  

雨滴
空は鉛色
雨の土曜日だった

梅雨になると
我家のテレビは体調を崩し
観ているとき
前触れもなく突然画面が真っ黒になり
プツンと音をたて電源がoffになる

電源の差し込みを抜き
差し込み直し
テレビをonにするが
また切れてしまう

昨年も今頃
一昨年も今頃
同じ症状があり電源がプツンと切れる

テレビは切れても そのまま
人間は切れると 怖く性質が悪い


雨は
蛙にとり最高の滴
蝸牛も滴濡れた葉の上でご機嫌

梅雨が明けると
樹木に暑い陽が照らしだすと
蝉の鳴き叫ぶ聲が響く

梅雨明けの前には
雷雨を伴いながらどしゃぶりの雨が降る
雷雨の音に怯えるbeagle元気
そのときは急いで家に戻る
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1200;宇宙戦艦ヤマト

2019-07-13 09:10:01 | 歌は世につれ・・・・


wife 点滴再度施行するも
まだ回復せず
心配・・・・
気が滅入る

梅雨模様で
空も気が晴れず

宇宙戦艦ヤマトでも聴いて
元気になるか
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1199;伊能忠敬

2019-07-12 04:06:09 | 読む 聞く 見る
同門冬二著『伊能忠敬』日本を測量した男 河出文庫


ある日、妻ノブは忠敬に話す
やりたいことをやらないことが、いちばん体に毒だ(147頁)

忠敬は、その言葉に揺り動かされた。
学びたかった天文学、暦学の道に進んだのは、51歳のとき。
72歳のとき、大日本沿海輿地全図の作成に取りかかり、74歳で亡くなった。

天文学を学び、日本各地の測量を
自らの足で歩き正確な日本地図を作成した。
歴史の教科書では、簡単に「伊能忠敬は日本地図を作成した」としか記載されていない。

『伊能忠敬』の文庫を手にし
読み進めていくうち
老いても、自分にとり「やりたいことは何なのか」
本当にやりたいことをやっているのか、自問自答させられた。

伊能忠敬は、農民としても商人としても業績を残し、佐原地域のために本当に尽くされた人であった。
お金は、他者の幸福のために使う。

いやな仕事を先延ばしにしない
洗濯の順位は、まず急ぎの仕事から手をつける
急ぎの仕事が複数あるときは、自分のやりたくない仕事から手をつける(102頁)


伊能忠敬の仕事に対する捉え方であり、自分の心のどこかで「いやな仕事やいやな事」は先延ばしであった。

夜空に輝く星をみつめながら 天体の動きに比べれば、
人間の営みなどは虫のようなものだ(154頁)


伊能忠敬は病を抱えながらも日本各地を測量し、精密な日本地図を作成していった。
老い病んでも、彼は見て楽しい日本地図を作った。
楽しみながらやりたいことをやる。

義務感や追われたような仕事ではなく、
何のためにしているのか、そしてそれは楽しみながらやりたいことをやる。
いやな事を先延ばしない、ことも意識しながら、
躰が動けるまで生きねば、と感じた『伊能忠敬』の文庫本であった。
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1198;(少しだが)食べられるようになってきた

2019-07-11 18:46:47 | 阿呆者
《速報》(少しだが)食べられるようになってきた

wifeは、2,3日食べていないこともあり
脱水気味なのかな
かかりつけのクリニックに連れてゆき 点滴となった

点滴で元気になり 自力歩行もできるまでに回復

「なにか食べたい」と言葉も出始め
夕方 いきつけの料理店にでかける

wifeは、イクラ丼(イクラが大好物)を食べ始めた
他に、ウニ、刺身てんこ盛り、アスパラの天ぷら、いわし、サラダを注文

自分も生き返った

人間を含めた生き物は
生きるためにも/元気に活動するためにも/快復するためにも
口から食べることは/とても大切なことだね
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