老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

111歳のサタおばあちゃん

2024-01-30 18:51:27 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
2021 長男が味噌汁を作ってくれたことが 一番うれしかった

サタおばちゃんが話してくれたこと

 私は、108歳の頃まで
汗が流れるほど暑い夏の季節であっても、木枯らしが吹く寒い冬の季節であっても、
毎日欠かさずシルバーカーを押しながら1時間余り散歩することを楽しみにしてきた。

私は、明治41年10月22日、茨城県(旧)下館市五所村に生まれました。
子どもの頃は、弟たちを背負い、着物と下駄で尋常小学校に通ったこともありました。
尋常小学校4年の2学期まで通いました。
その後17歳まで家事手伝い、18歳から農業を行ってきました。

19歳のときに安達善一のもとに嫁ぎ、農業に従事しました。
結婚後、1男5女の子宝に恵まれ幸せでした。

夫にも赤紙(召集令状)が届き、戦地に赴き(おもむき)ました。
留守を任されていた私の心は、いつも夫のことが心配であり無事を祈っていました。
しかし、南シナ海で敵の攻撃に遭い船は沈没し、昭和18年1月14日還らぬ人となり、目が真っ暗になりました。

これから女手一つで、上は13歳、下は父親の顔を見たこともない乳飲み子まで、
6人の子どもを育てなくてはならなかったのです。

それこそ毎日、朝から晩まで脇目もふらず必死に畑仕事をしてきました。
それでも何とか食べていける程度でした。
何より毎日畑に出なくてはならなかった私は、
子どもたちと出かけることは一度もできず、
本当に申し訳なく悔しかったことを覚えています。

ある冬の日のことです。
公用でどうしても役場に行かなくてはならず、用を済ませて家に帰ってきた私に、
長男が「母ちゃん、寒かったろう~」と、普段したこともない料理をして、お汁を作ってくれていたのです。
本当にうれしく泪(なみだ)がこぼれました。

日頃どんなに疲れていても子どもたちの笑顔をみると、
疲れは一瞬で吹き飛んでしまい、
長年頑張ることができました。
本当に子どもたちは私の大切な宝です。

生きてきたなかで一番思い悩んだのは、5人の娘たちのことでした。
恋愛結婚ならば、娘が自分で「良い男性(ひと)だと思って嫁ぐからよいのだが、
見合い結婚した末娘の方(wifeの母)が心配でした。
夫が傍にいれば相談もできたのだが、「あれでよかったかどうか悩んだ」こともありました。

どの娘の夫もアル中でもなく、夫婦円満に暮らしてきたので本当によかった、と思います。

現在、一番頭の長女は89歳、末っ子の五女(妻の母親)は76歳になります。
夫の月命日14日には、子どもたちそれぞれが、思い思いの手料理を持ち寄りながら実家に里帰りをしてくれます。
私を囲みながら賑やかに話をしたり食事をしたりなど楽しく過ごしてきました。
どの子どもも親孝行で、本当にありがたく思います。

長生きの秘訣は、腹八分ではなく腹七分、
のん気な気持ちで、いつまでもくよくよしないこと、
早寝早起きの生活(規則正しい生活)をしてきたことかな。 

昭和20年代後半の自転車は、現代でいうならば自動車のかわりでありました。
自転車があると実用性があって便利だったけれども、ケガをしたら大変だから乗りませんでした。

父親の役目もあり大黒柱だから、人生 自分の足で歩いてきたことが良かったのかな。
事故にも遭遇せず、今日まで生きて来れたことに「感謝」の一言です。
孫13人、曾孫23人、玄孫(やしゃご)11人います。 

令和元年10月29日 7時23分。
安達サタさん 111歳と7日 生きた!
息子 娘 孫たちに見送られ逝った

ほんとうにほんとうにお疲れさま
ありがとう の気持ちでいっぱいです

最後に手を握ったのは
亡くなる前日の朝でした。

wifeはサタさんに最後の言葉を話しかける。
「おばちゃんが、一番先に、わたしたち二人の結婚(齢の差22歳)を認めてくれた。
あのときはほんとうに嬉しかった。ありがとう~」


(再掲)


 
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笑えない話

2024-01-19 21:54:12 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
2010 エンシュアと下痢止め



エンシュア・リキッド(製):エンシュア 食事がとれないときに用いる
総合栄養剤です。 栄養管理はどんな病気でも大事です。 このお薬は、
食事がとれないときや消化・吸収力が弱っているときに用いる総合
栄養剤です


齢は71歳で週3回人工透析の治療を受けている老人の話。
一月当たりの年金受給額は20,000円僅か。

偶数月15日年金が振り込まれると
1週間位で食べ物に消えてしまう。

お金も米もなく、食べる物がない。

彼は「重度心身障がい者医療費受給証」を所持しておられ
福島県内の医療機関、薬局での支払いは全額免除の適用を受けている。
主治医にお願いし「食べる物がない」、と訴え
エンシュアを1月分処方されます。

透析治療を終えた後、ヘルパーが薬局までエンシュアを受け取りに行きます。
ダンボール箱に入ったもので重量はあり重い。

彼はそれを1日3回、毎食1缶を飲む。
エンシュアの副作用は「下痢」を伴いやすい。
彼は、片手にエンシュア、もう片方の手に下痢止めの薬
それを服用している。

老父は「疲れたときは、これを(エンシュア)を飲むといいよ」、と
息子に手渡す。
息子は、早速頂いた。
腹痛をもよおし下痢の症状があり大変だった、と
ヘルパーに車中のとき話されていた。
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73歳まで働いていた

2024-01-12 21:26:11 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
2003 (誕生日を迎えると)今年91歳になる。長生きしたな・・・・


                     冬の那須連山

今日は9時から11時過ぎまで介護タクシーの運転と付き添いをした(通院等乗降介助)。
90歳の婆ちゃんは、一度に内科医院と整形外科クリニック受診の日である。
嫁さんが朝早く順番取りに行かれる(内科は10番目、整形外科は21番目)。
いつも整形外科が先なのだが、今日は内科を先にした。

車を降りてからは手をつないで歩く。
ヘルパーの話だと、私と手をつないで歩くのが嬉しいみたいですよ、と冷やかす。
杖はつくもふらつきはある。左手に彼女のバッグを持ち、右手で手をつかむ。
院内は後ろから見守り。

診察室まで同席し、医師から話されたことは、家族に報告する(不在のときはライン)。
血圧は毎日欠かさず測定し、血圧手帳に記載されている(真面目な婆ちゃん)
両膝と腰の4ヵ所に痛み止めの注射をする。
看護師から「注射をして痛みはやわらぐのかな?」
「注射しても痛みは変わらない」
(看護師 苦笑)
「気休めなのかな」、と話す私。
「そうだね気休めだね」

待ち時間のときは、世間話などいろいろと話に花が咲く。
バッグに猿の飾り物を付けてあったので、「申年なの?」と尋ねると
「申年です。何でわかったの?」
「バッグに猿の飾り物が付いてあったから」
「今年で91歳になる。本当に長生きしたな、と思う」
「今年、私は年男、辰年です」
「あら、何回目の辰年なの」
「6回目です」
「72歳。私からみたらまだまだ若いね~」

「私は、73歳になるまで8年間弁当屋の仕事をしていたんだ。73歳で辞めないで、もう少し仕事をした方がよかったかな」
「まだ若いんだからもっと仕事をした方がいいよ」

「80歳まで仕事は続けたい、と思っている」
「自分が仕事(ケアマネ)を辞めるまで、長生きしてね」、と話すと
彼女は笑っていた。

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「 横」の生活から「縦」の生活に変わる

2023-08-18 22:42:23 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち

           濁らない眼で景色を眺めたいものだ・・・・

1990 「 横」の生活から「縦」の生活に変わる

自分より5つ年上の老女がいる

「不良」婆さん
息子の煙草からチョッと拝借して煙草を吸う
眠れない、と言って眠剤服用後に酒を飲む

「夜、なかなか眠れない」、と話すと
隣にいた息子から「昼間から寝ているからだよ~」

ソファーはベッド代わりとなり、昼夜逆転の世界

足腰がめっきり弱くなり
ソファーから立ち上がるのも大変
ときどき転んだりもしている

何もすることがないから「煙草」を吸うか
ソファーに寝るしかない

だから家に居るときは「横になり」過ごしている。
8月24日から週2回(火曜、木曜)、デイケアに通い始め、「縦」の生活になる。
10分~15分程度のリハビリなどを行ったりする。
風呂にも入る(家では入浴していない)

76歳の婆さん
どんなふうに変化していくか 楽しみ・・・・

友人とwifeと外食をしていたとき(wifeは生ビール、自分は冷たい烏龍茶)、
老女から電話がかかってきた(スマホを使って・・・・)
{初回訪問のとき 自分のスマホの電話番号を入力したおいたこともあり(楽々にかけられるように設定)}
「デイサービスに行くとき、石鹸、シャンプーも持っていくのか・・・・」

いいね!
気軽にスマホで連絡できる婆さん
訪問の帰り際のときに
「いつも何かあったら電話してね」と話している。
1日でも長くスマホを使って欲しい、と願うばかり。

秋の彼岸が近づき 「昼夜逆転」となり
陽が沈むのが早くなる
夜の庭はコオロギたちの演奏で賑やかだ。


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心の襞(こころのひだ)

2023-07-12 15:44:30 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち

                                  散歩路  秋桜

1986 心の襞(こころのひだ)

不安は 乾いた灰色の空
介護は 先が見えぬ曇り硝子

あなたが生きていることで
生きる励みになり
辛さも悲しも切なさも喜びも感動も
心の襞となる


2017/8/19 ブログ 掲載

仕事の都合上 令和5年8月2日までは日曜日のみブログを投稿します
皆様のブログ訪問することができず申し訳ありません
いつも訪問をいただきありがとうございます。
                           星 光輝


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私の運命はどうなるのか

2023-07-11 12:38:35 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
犬猫、それぞれのお腹だし自慢


      甘えるとき腹を出すbeagle元気 腹だし〇〇隠さず


       にゃ五助 お俺も腹だしが得意 元気の弟分

1985 「ありがとう」を伝えたい

いつも同じことをくり返し書いている
認知症の兆し、と思われるかもしれない
それでも、また書いた愚かな自分


最期 
死に場所は
どこになるのか

その運命がどうなるのか
神のみぞ知る

脳幹梗塞を発症した或る爺さん

言葉は聴こえる
でも
話すことができない
もどかしさ
悔しさに
ただ泣き喚くしかない

「治療は終えた」 
と医師から告げられた
言語障害が残った

「療養型病院に移って欲しい」
療養型病院でも、「何処かに移って欲しい」、と同じことを言われるのか

私の行く先(終点)は何処になるのだろうか
神のみぞ知る

蛍光管は切れたのか切れてないのか
点滅をくり返す
薄暗くなった病室で
寂寥の寝台に伏せる我が躰

転院の前に世話になったあなたの掌を握りしめ
「ありがとう」を伝えたい
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冬には枯れ落ちた枯葉は 春には新たな命の営みが始まる

2023-07-09 08:33:22 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち

                   遠くへ行きたい

1982 なぜ自分が生まれてきたのか、何のために生きているのか、そしてなぜ死ぬのか

40代始めの頃 老人病院にいた。

バンドが自由に伸び縮みのする古腕時計を見たら、
短針と長針が重なり、後2分少しで退勤時間の午後5時30分になるところだった。
93歳になる老女の手を軽く握り、
「また、明日もよろしくね」と言って
ベッドの傍から立ち去ろうとしたとき、
彼女は何を思ったのか、
ポッソと「日本の老人は寂しい。施設に居ようが、病院に居ようが、家に居ようが、老人は寂しい」と呟いた。
「日本の老人は寂しい」という呟きが、いまも私の心を疼かせている。

60代 那須連山を眺めながら要介護老人が棲む家を訪れ介護相談を再び始めた。
20年まえの風景と変わらず
家があり 家族が住んでいても 家の中に住む老人は孤独
伴侶を亡くし 独りになっても 
自由気儘に暮らす孤独の方いい。
在宅訪問で そう感じてしまう。

幸せかどうかは、ひとり一人違う。
自分の目に「幸せでない」、と映っても
当の老人は「これでいいのだ。家族とこうして暮らすことができ幸せ」

自分の最期(死)は
子が決めるものでもなく
他人から言われることでもない

そう胸深く思いながらも
子に従う老親(老いては子に従え)
でもやはり最後の死に際は自分で決めたい

何処で死にたいか
かっては多くの柿を熟した枝
老木となり朽ちた葉は無数の枯葉の上に落ちた
水が飲めなくなり尿もでなくると枯木のようににんげんも朽ちて逝く

しかし、冬には枯れ落ちた枯葉は
春には新たな命の営みが始まる。



作レオ・バスカーリア』
『葉っぱのフレディー』の絵本の物語を思い浮かぶ。
人工透析の治療を開始したときにこの絵本を手にした

なぜ自分が生まれてきたのか、何のために生きているのか、そしてなぜ死ぬのか
誰もが抱く疑問を葉っぱのフレディーは語りかけてくれた
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子育てと老いの介護

2023-07-08 08:25:25 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち

小樽駅ー札幌駅の間を走る電車の窓から見た、青い空・碧い海 いい眺めです。こんな景色を見ながら逝きたいものです

1981 子育てと老いの介護

介護相談を通し 様々な家族模様が映しだされます。
自分も一つの家族模様を持っています。

親がどんな子育てをしてきたのか
齢を重ねた老親は、この先老い逝き ねたきりになり介護が必要になったとき
子どもは、老親の介護にどうかかわっていくのか

さまざまな親子の葛藤、あるいは絆の強弱さを感じます。

子育ての失敗? 
子育ての失敗かどうか当の老親は意識していないひともいます。
自分が老いた躰になり子どもや他者からの世話(介護)を受ける身になっても
大人になった子どものことが心配で
僅かな国民年金が振り込まれる預金通帳と印鑑を「自由に使っていいよ」、と息子に渡す。

歩くことままならず透析治療を受けている老親と自立していない息子との二人暮らし。

「TKG」  なんの略語(略称)か
Tamago Kake Gohan 卵かけご飯

先ほどの老親(爺様)は卵かけごはんを食べている日が多く 顔は青白く痩せてきたのです。
透析をしてきた後の躰はかなりしんどい
(自分も過去に透析の治療を週3回行ってきたから、そのしんどさはわかる)

忘れたころに息子は弁当や総菜を買ってきたので、
老父は一度に食べ、塩分も相当含まれ水分も多量にとり体重が3㎏も増えたのです。
3㎏も増えたら透析のとき相当躰に無理がかかり、透析後はふらふらで立つこともできないほどになります。

息子に預けた年金は老親父のために使ってはくれず、介護タクシーの料金は引き落としができないままにあります。

老いた親は、もう子どものことは心配しなくていいのです。
大人になった子どもは生きていけます。
もう親離れ子離れしなければならない・・・。
いまは不自由になった我が躰のことを心配しなければならないのです。
そう言ってもわかってくれないのがなんとも辛く、息子にその感情をぶつけることもできません。

老親の年金を当てにしてはいけない。
世の中、老親の年金を喰いながら、家に閉じこもりの息子が増えてきています。
老親が亡くなったあと、年金はストップになり、その息子は「生活保護費」で暮らす・・・。

世の中理不尽です。
生活保護費と変わらない額の国民年金受給額で老夫婦が暮らしているひともいます。
その中から介護保険料、後期高齢者医療保険料と通院費、切り詰めた食費で暮らし
介護サービスに使うお金は捻出できません。

せめて月に10,000円でも介護に使うお金があれば、老親の介護を抱えた家族にとり本当に助かります。

今日のブログは支離滅裂でまとまっておりません。
いつか、忘れなければもう一度書き直したい、と思っています。


国は、これから異次元の政策で子育てにお金をかけていきます。
膨大に増え続けている国の介護予算は、これから高齢者の懐(年金受給額)のなかから
介護にかかる費用の負担を増やしていきます。

所得制限に関係なく子育て家族に現金給付をする。
本当にその現金給付を必要としている枯渇状態にある国民年金受給額で暮らす老老介護者に
せめて毎月10,000円でもいいから現金給付をして欲しいものです。
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老化(劣化)すると水漏れする

2023-07-07 08:52:06 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち

                田舎の散歩路 赤い屋根の村営住宅

1980 「ショック」洗浄機

食器洗浄機が故障した
福島県に移住したとき建てた小さな家は14年余月
クリナップに電話入れたら14年も経過しているので、部品はありません。
まだ14年ですよ。

説明書を読んだら「水漏れにより」、食器洗浄機が作動しなくなった。
クリナップに電話をいれたら
水漏れなのに、見に行っても出張費がかさむだけで
食器洗浄機を交換することになります。

ショック洗浄機です。
20万円近くかかるのかな・・・・
痛い出費です

食器洗浄機がなくても食器は手で洗えば済むのだが
にんげん一度楽をするとだめですね。
自分ひとり暮らしならば我慢できるのだが
wifeのために食器洗浄機交換です。

食器洗浄機だけでなく
老いを重ね膀胱括約筋が弱くなると水(尿)漏れする

にんげんはハルンケアで対応できるけれど
食器洗浄機はむずかしいんだって・・・・
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自然な死

2023-07-05 11:56:13 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち

蝉のいのちは短く儚い、そう思うのはにんげんだけで、蝉はミン ミ~ と精一杯鳴き短いいのちを生きている。

1979 「老衰でした」

昨日18時02分 文乃さんが老衰により永眠された。
17時18分 長男嫁から電話が入った。「状態がおかしいので来て欲しい」
自分とwifeはすぐ駆け付け8分後、到着。
呼吸は止まり、家族に尋ねると2分前に「息を引き取った」。

すぐ訪問看護ステーションへ電話
訪問看護ステーションから訪問診療医師に連絡がつながった。
18時前に訪問診療医がお見えになり、診察の結果「18時2分 死亡が確認されました。
死亡の原因は食べれなくなったこともあり老衰になるのかなと思います」。

言葉をかけるといまにでも眼をあけ起きそうな感じで、おだやかな表情にあった。
医師は「多くの患者は床ずれができていなくきれいな躰で、本人は強く自宅に帰りたがっておられ、最後まで家族に看取られ本当に幸せだった思います」

今回は家族もヘルパーも疲労困憊ながらも、本人の希望に添えたことが何よりだった。
駆けつけたとき長男は、屋外の資材置き場の倉庫前で目を赤くしておられた。

エンゼルケアのとき、本来は家族は入室できないのだが、三女の子ども(長女、次女 小学生)が文乃さんの傍により「寝顔を見ていた」。
いまの子どもたちは、「死者に対面できる機会」はほとんどなく、こうしておばちゃんの死に対面できたことは、本当にいいことだな、と感じた。
にんげんは老い、そして病み、自然のまま眠るように死んでいく。
それは逃れることのできない、にんげんの運命であり、自分も十数年後には枯木のように老衰していく。
文乃さんのように自然な死で、自分も逝ければ、と思う。

話は飛ぶが、いま余りにもにんげんの命が粗末に扱われ、若者たちが簡単に、ナイフで「人の命を奪ってしまう」ことは本当に悲しいことです。
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耐えれないほど痛い

2023-07-04 09:26:56 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち

beagle元気は、いつも同じ散歩路を嫌い、坂路がきついコースの方を希望します。
そのコースに幾年月に渡る風雨にさらされた地蔵様があります。
地蔵様の目、鼻などは欠け丸みを帯びわからなくなっています。
通学路にありいつも子どもたちの安全を見守っています。
地域のおばさんたちが赤い帽子とエプロンをかけてくれています。みんなの健康をお祈りし合掌。

1978 床ずれ

床ずれ(褥瘡 じょくそう)になったことがない自分には、床ずれの痛みがわからない。
wifeは30代始めの頃、踵(かかと)や大転子部などに床ずれができた経験があり、話してくれた。
「皮膚が剥がされ、そこに塩を塗り付けられた感じで、その痛みは言葉では表せない」。
だから、「死ぬ間際に床ずれができ、激痛を抱えながら逝くのは可哀想」です。
痛みは本人しかわからない(心の傷みも同じ)
他人の痛み(傷み)はわかりにくいものです。

老衰が始まり、食事を口にすることもできなくなると栄養状態が悪くなり、
また同じ姿勢でいると、そこが圧迫され皮膚が赤くなり(発赤)、床ずれ始まりのサインが出る。
そのときに適切な処置(エアマット、防水フイルム、体位交換、清潔にする)を行うと、床ずれ防止ができる。


防水フイルム(赤くなったところや床ずれができやすいところに貼る)

ワセリン(陰部洗浄、陰部清拭のあとにワセリンを塗布すると尿や汗を防水する)

家族の介護だけで床ずれ防止をするのは厳しいです。
そのときは上手で丁寧なヘルパーを見つける、と言ってもそこはケアマネジャーにお願いするしかない。
あとはいろんなヘルパーが訪れますので、気がきくヘルパーを見極める。
介護保険は、「だめな」訪問介護事業所、「だめな」ヘルパーであれば他の事業者や他のヘルパーに替えることができる。
(「だめな」という言葉は不適切ですが、わかりやすい言葉と思い、使いました。お詫びします)

訪問看護師は健康状態や死が近いことの見立ては適格ですが
オムツ交換や清拭はヘルパーの方が上手です。
1時間あたりの訪問看護の料金は、訪問介護の2倍になります。
健康状態や酸素療法、ウロガードの交換、褥瘡の処置は30分で終わります(それでも訪問介護60分の料金と同じ)。
時間のかかるオムツ交換や清拭、シーツ交換はヘルパーにお願いする。
そのようにケアマネジャーにケアプランの作成をお願いすると自己負担料も上手に使うことができる。
(いらぬお節介かもしれませんが、ご検討のほどよろしくお願いします)。

文乃さんは、だんだんレベル低下してきています。昨日3度目の訪問診療(訪問診療のときは、なにもできなくても自分も同席します)。
医師から「躰はきれいですね。筋力が落ち骨と皮だけになると床ずれができやすくなります。床ずれができていないのでびっくりです」。


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しなかやに生きる

2023-07-02 05:03:36 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1977 しぶとく生きる



「しぶとく生きる」
97歳の文乃さん
長男夫婦の疲労困憊MAX状態にある

昨日の朝 「へるぷ」を終えたwifeから
長男夫婦は「疲れ切っている」、と話す。

長男夫婦に「たおられて」は
97歳の老母を看取ることができなくなる、と思い
チオビタドリンクを差し入れ・・・・。

「家に帰りたい」、と叫び退院して3週間になる。
退院せずそのまま病室にいたら、7日間ももたずにご臨終となったであろう。
それは家に帰れず生きる気力を失せていく。

長男は日に五度、老母の唇や口のなかを水で潤す。
舌、唇は白い「苔」にならず、ピンク色の舌を維持している。

「へるぷまん」の奮闘で床ずれは「ゼロ」

そのことで文乃さんは生きる気力を維持している
「もう危ない」、という囁きは何度も聞かれたが
SPO2は「98」の数値にある
血圧も100台をキープ
肩呼吸の症状にあるも「しなやかに生きている」


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「床ずれ」なしの看取り

2023-06-27 07:15:49 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1972 自分は、なかなか死ねない


               訪問診療医師とヘルパーの共同ケア

文乃さん(97歳)は
約一月前から寝たきりになる前
「自分は、なかなか死ねない」、と話していた言葉を思い出した。

先週の月曜日 初めての訪問診療のとき
医師は「あと2,3日かな」と・・・・
訪問看護師、ヘルパー、ケアマネも長男夫婦もそう思っていた。

2週目の訪問診療に医師が訪れた。
背中は猫背になり両足は「く」の字に屈曲しているため
先週は医師が一人で、腹部にプラスチック製の針が思うように刺すことができず難儀されていた(輸液500ml/日)。
看護師がいないため、手助けをしてくれる人がいない。

傍で見ていた自分も手助けはしたが、次回からはヘルパーが必要と思い
「身体介護」を入れた。

腹部に針を刺すとき文乃さんの躰を支えたり、ずれたおむつを直したりしたので、
医師としてはとても助かった、と感謝されていた。

長男がいないと、文乃さんは呼鈴を何度も叩く。
それでも来ないと大きな声で「お~ お~」と叫ぶ。

尿量は100㎖と減ってきた・・・・
食事は2週間余り口にしていない
水を含んだ脱脂綿で唇や口腔を湿らす

長男のこまめな体位交換とヘルパーの陰部、臀部、腹部をきれいにしているおかげで
(7:00,13:00,19:00の3回身体介護、週1回の訪問看護)
褥瘡(床ずれ)はできていない。

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発砲スチロールの「皿」に変えた

2023-06-24 08:55:24 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち

blogでは紫陽花を鑑賞させていただいている。今年初めて「生」の紫陽花を観た。
生ビールと同じく紫陽花も「生」がいい。

1969 嫁に皿を投げる婆さん

寝たきりになっても 
どういうわけか 
爺に比べ婆のほうが元気である

大正14年生まれ91歳になる大熊ステは 
正岡子規と同じく
24時間臥床の生活にあっても
気に入ったおかずは食べるが 
気にいらないおかずは握りつぶす
ときには皿を投げてしまったりするので

長男嫁は 
発砲スチロールの「皿」に変えてみた
瀬戸物の皿に比べ まっすぐに飛んでこない
当たっても痛くない

長男嫁の「勝ち」。

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夢? 希望? 妄想?

2023-06-08 09:30:09 | 老いの光影 第10章 老いの旅人たち
1952 夢? 希望? 妄想?


私は植物に関しても全くの無知で、「美しい紫色の花に見惚れていました。あなたの名前を知らず大変申し訳ございません」。


にんげん、寝ているときは至福の時間(とき)。
いい夢見は余計に眠ったまま夢の世界に留まりたい。

老人の寿命も延び、おくやみ欄をみると90代の人が増えてきた。
今日の福島民報のおくやみ欄では106歳のお婆ちゃんもおられ大往生の人生。
最後まで元気だったのか、それとも介護を受けていたのか、おくやみ欄からではうかがい知れない。

自分はいつまで生きられるか、わからない。
長生きはしたいけれど、残された時間、何をしていくのか・・・・。

短編夢世界では、これからのデイサービスの在り方を数人の人と熱く語りあっていた。
これから老人は「冬の季節」を迎え、子どものように厚い政策は期待できない。
「介護は金がかかる」、と悪者のように扱われ、要介護老人もその家族も介護従事者も光が閉ざされたまま。

国民年金だけで暮らしている高齢者は、介護に使うお金があまりなく、どう支援したらよいかいい知恵が浮かんでこない。

夢のなかでは、介護に金がかかりすぎる、という前に、地域社会のなかにある資源を活用していく方法はあるのではないか。
少子化で、小学校、中学校は「使わない教室(空き教室)」がある。
また、年に総会の他数回しか使わない公民館やコミュニテイーセンター(集落会館)が地域ごとに数多くある。

小学校や中学校、コミュニテイーセンターなどを小規模デイサービスや介護予防教室に活用するなら
集落単位(小学校単位)ならば、高齢者はお互いに顔馴染み、会話も盛り上がる。
仕事を終えた元気な老人(高齢者)は、介護の初任者研修(昔のヘルパー2級)を取得する。
その費用は無料、市町村社協(社会福祉協議会)や介護事業所などが研修を担当。

元気な高齢者が小規模デイサービスやヘルパーに参加していく。
コミュニテイーセンターや公民館は調理室(ガスレンジ、キッチンなど)があり、
軽い認知症や要支援の人ならば元気な老人と一緒に調理をすることもできる。

夢のなかでの戯言で、それは理想だよ、と言われてしまいそうだが、夢を追い続けてみたくなった。

自分は70歳、何ができるのか、と逃げ腰になってしまう。

できるところから。
過去を振り返るより、前を振り向き、
まず地域の高齢者は何を欲し、何を求めているのか

「これがあったらいいな~」という気持ち、言葉を落穂拾いの行為を見倣い
そして誰かの手をお願いし、訪問介護でできなかったサービスの掘り起こしを
最後の仕事して「やってみよう」、と夢のなかで被害妄想のように大きくなっていた。

老人パワーをどう介護の世界に巻き込むか
自分も老人。
腕力や脚力、体力は子ども以下だけれど、智慧はまだ衰えない。

自分一人ではできない
どうにかして若い人を見つけ
同志を見つけるところから始まる。
いま、物忘れがある頭のなかで、被害妄想の夢を膨らましていくいる自分。

大風呂敷を広げてしまった

まだ十年の時間がある、まず、「やってみよう」


 
 「mother」の一場面
コメント
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