老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

食べたそばから下痢

2022-02-05 09:21:32 | 老いの光影 第7章 「老人のねがい」
1795 下痢便



まだ65歳の「若さ」なのに
頭から肛門へ命令する信号が弱いのか
それとも肛門の括約筋が緩いのか
便意を感じないのか

ご飯を食べ終えてまもなく
便を漏らしてしまう
便だけでなく尿も漏らしてしまう

自宅のベッドは糞尿の臭いが充満
トイレまでもたない、と彼女は話す
紙パンツのなかにオシッコをする「ずるさ」なのか、「ズボラ」なのか
紙パンツ代も馬鹿にならず月に一万円を越え
その支払いも滞っている。

デイサービスの介護員は
狭いトイレのなかで
彼女の便失禁の「世話」に悪戦苦闘している
介護とはいえ本当に頭が下がる

大下痢をした彼女の顔はスッキリ
お粥などお腹に優しい食べ物を摂れば良いのだが
「食べたくない」、とわがままな言葉を吐く

彼女は「便」がでたからもう食べれる、と思い
ラーメンや揚げ物などを食べてしまう
案の定、翌日は下痢をしたまま、デイサービスの迎えを待っている

どうしたらよいか
65歳の年齢で特別養護老人ホームの入所申請するのもためらう

紙パンツを購入するお金はあるのだが
年金が入ると
怪しい光色の誘惑に負け
2、3日でスロットに「呑まれて」しまい
「年金」はスッカラカンになってしまう

なんとかなる、と呟く彼女
誰かがだしてくれる
明日のことはわからない
いまが楽しければそれでよい

この気持ちはわからないでもない
人生は一度きり
好きなように生きる

ケ・セラ・セラ、といきたいけれど
生きているといろんな柵(しがらみ)があり
縺れた糸を鋏でバサリと切るわけにもいかない