難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

聞こえなかった「先生」の声 小・中学校時代 

2008年02月17日 04時50分42秒 | エンパワメント
080215_1910~001.jpg昨日、朝10時5分からのNHKで「ネット54『ふるさと発たまごが教えてくれたこと~兵庫県狭間小学校・3年1組の子どもたち』」(*)を見て、いろいろ考えた。

子供たちが、先生の指導のもとで紙粘土で作った「たまご」を自分と思って育てることを通じて、自分を育ててくれた親たちのことと考えさせる授業の記録だった。


映像は今の小学校の姿をリアルに映し、子供たちの表情にも一人ひとりの個性が表れていた。教師歴26年(23年?)の福井先生(#)がこどもたちをさんづけで呼んでいたのも新鮮だったし、子供たちとの言葉のやりとりをしながら、考えさせていく授業を受けられる子供たちがうらやましかった。
(#)http://honeyfm.no-blog.jp/cafe/2008/02/post_bd02.html

小学校に入学する前に難聴が発見されたが、小学校の授業はほとんど分からないままだったようだ。先生の言葉の記憶が全くないからだ。テレビの言葉は、難聴者の大人の自分はテレビの字幕を通じて分かったが、子供の時は分からない。

先生に導かれて、生き方、自分の心の持ちよう、夢を持つこと、自分と社会との関わりなどを学ぶことなく、小学校時代が過ぎてしまった。これは「小学校時代を過ごした」ではない。
仲間と遊ぶのもカンだったようだ。クラスメートの顔や名前がほとんど浮かんでこない。Nというワル、回転塔の女王、Bさんといういつもいじめられていた女子がいたことは思い出したが、担任の先生の顔が浮かんでこない。それより言葉が浮かんでこないのがさびしい。


子供たちは、自分と対等の視線で投げかけられた言葉に反応する。自我、協調、連帯、人間愛ということを学ぶ。言葉が届かなかった子供は孤独だ。一人で成長しなければならない。先生や他の子供たちの動きを見て何かを察する。遠足の日にランドセルを背負って行ったり、弁当を忘れたりするのは再三だった。情報や知識を補うた
めに図書館に通い詰めていた。図書カードは裏表とも1ヶ月足らずで埋まった。


難聴児の授業に言葉を届けるのは、教師の責任だ。
教師が発した言葉をパソコンボラティアがPSPで字幕表示が出来ても、どのように伝えるかはボランティアではなく、教師が考える必要がある。耳で聞く言葉を目で見るのは違う。脳生理学や言語学者、要約筆記筆記者など専門家の探求が望まれる。
子供の文字を読む力は初めはおぼつかないがすぐに向上する。そのうち自在に字幕を見ながら授業の理解が進むだろう。


この番組を見た後で、電車の中で左耳に補聴器をした就職活動中らしい女子学生を見た。何故か目がうるうるしてしまった。心でガンバレヨー、ガンバレヨーとテレパシーを送ってしまった。


ラビット 記
(*)http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2008-02-16&ch=21&eid=33405





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