難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

難聴者の話しの聞こえ方について。

2015年01月11日 23時11分26秒 | 健康と食事
今頭に浮かんでいることを書いておきます。
人と話をする、言葉のキャッチボールをするということはいつの頃から出来なくなったか記憶がない。もしかしたらしていなかったかも知れない。
つまり、乳幼児からの難聴で、補聴器を付けたのが14歳。それまで学校の図書館のめぼしい本を読破するという本から言葉の蓄積が多かった。補聴器を付けていなかった時代も補聴器時代も言葉をピンポンのように交わしたり、自分の言いたいことを口で話すということがほぼなかった。なぜなら、相手のいうことが聞こえなかったから。

人工内耳を両耳装用した2年前2013年からが本当の言葉が聞こえ始めた時と言えるかも。実に61歳になってからです。それまでの60年間はテレビやラジオを聞いていたとしても十分に聞こえていなかっただろうし、テレビは聞くだけで会話でない。自分の考えたこと、頭に浮かんだことを口で話すということが出来ていない。
立場上、講演することは多かったがあたまに原稿が浮かんでそれを読むような形でしゃべっていることが多かったと思う。既に書記言語化されているので、要約筆記者が高岡さんの話しは要約しにくいと言っているのが今は理解出来る。
人と話をする時、環境によっては聞こえていないことも多く、十分理解しないまま返事したりして、後でそうだったのかと言うことは人工内耳の両耳装用した今もあります。

人工内耳のリハビリの初期は、本の音読を繰り返して、言葉の一つ一つの聞こえを脳に叩き込むことが大切ですが、言葉のキャッチボールというのは別の訓練が必要ではないか。特に乳幼児からの難聴者にとっては。乳幼児から現在に至るまで、兄弟、クラスメート、家族、同僚、活動なかまなど、多くのソーシャルネットワークがあったが、会話はしていただろうか、少なくとも会話の密度は高くなかった。手話で会話出来る家族がいて、日常的に音声と手話で会話出来る難聴者は、話しは問題ないのだろうか。

今でも、人と言葉のやりとり、話をするのは苦手です。

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