難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

人工内耳は、補聴器への不満、不信感?

2007年08月01日 06時51分29秒 | 人工内耳
070728_2232~001.jpg070730_1208~001.jpg聞こえた世界を体験していない難聴者が人工内耳に何故関心を強めたか。

年々低下していた聴力は60歳に近くなって急に減退してきた。
40年間使ってきたアナログ補聴器からデジタル補聴器に切り替えてから3年近い。
デジタルに切り替えた時はその聞えに感動したものだが、それでも聞こえは限界がある。
フィッティングに熱心になれないのは、時間の制約もあるが日常生活のシーンでそれほど効果に期待は感じなかった。
指向性マイクや磁気ループは30年前から、それなりに使いこなしてきたが、それも5、6年前から余り効果を感じなくなっていた。
集中して聞くのに疲れてしまうのだ。

特に職場の配置転換になった3年前からは、20人くらいの会議から数人のミーティングまで大小の会議でいろいろ方法を試したが、雑音に阻まれたり会議室の場所や人の話し方などで限界がある。機器の接続など取り回しも面倒だ。

聞こえないために、勘違いや返事も出来ないことが度重なり、昨年、再度の配置転換で職場の会議に会社の負担で要約筆記の派遣を依頼した。
要約筆記でかなり会議に参加する負担が軽くなったとは言え、し日常の業務に支障を来すことは多い。少人数の打ち合わせでも聞えなくなっていた。
先週もセミナーに参加したが、目の前でマイクを持った人の話がテキストも資料も見ながらなのに言葉の意味が分からないのはかなりョックだった。

定年間近になり、今後やらなければならないこと、したいことを考えるといま人工内耳の検討をした方がよいと考えるようになったことも大きな一因だ。

補聴器の聞こえにプラスアルファを求めるのに人工内耳を選択を検討しているということだ。
失われた音を取り戻すという感覚ではない。


ラビット 記

写真は、前に使っていた緑色のラメのマニキュアを塗った最初のデジタル補聴器。
もう一枚の写真は初めて見た自分の蝸牛。写真の真ん中にかたつむり状の白い像が写っている。



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