難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

半径1kmのダイハード

2005年08月10日 09時20分29秒 | ニューヨークで

050801_0626~001.jpgホテルは国連ビルまで歩いて10分のイーストゲートタワーホテル。
毎日、カンファレンスルーム4に詰めて傍聴するか近くの部屋でサイドイベントや会合に出て、終ればホテルに戻って、日本と連絡を取る毎日だった。

文字通訳speech-to-text interpreterが難聴者に必要なことをアピールするのが大きな目的だったので、要約筆記者と行動をともにする私たちがひとつのモデルなっていた。
アクセシビリティの条文の関係者と聞けば、誰かれとなく、私たちの要望を書いた紙を渡して、難聴者には要約筆記が必要と説いて回った。

国連のアクセシビリティ条文の担当はセルビアとモンテネグロの代表だった。分割したユーゴラスビアのひとつの国だ。

会議場には、同時通訳の設備も条文を大きく表示するスクリーンはあるが字幕を表示するスクリーンはない。しかし、文字通訳はいないわけではなかった。カナダの政府代表は全ろうの方で議長席の下の方で文字通訳の打つ字幕を一人、モニターで見ていた。
次回は、あの会議場のスクリーンに文字通訳者の打つ字幕を出したい。

ラビット 記




KOREKARA


最新の画像もっと見る

コメントを投稿