【終戦記念日 シベリア帰りのおじいちゃん】
僕の祖父は、昭和16年、薬剤師を目指し、愛媛県の大洲から、東京の明治薬科大学に進学しました。
ところが、2回生の時、赤紙が届き、学徒出陣することになりました。
祖父は「人の命を助けるために、薬学部に進んだのに、なんで人の命を奪う戦争に行かなくてはならないのか。納得できない」と、
ずっと思っていたそうです。
そして、その戦地で、地獄を見たそうです。
昭和20年 8月15日、戦争が終わりました。
祖父は「これでやっと日本に帰れる。
大学で好きなだけ勉強が出来る」と思っていました。
ところが、その日、ソ連軍が南下してきて、祖父は、捕虜になり、そのまま、シベリアへ抑留されてしまいました。
冬場マイナス30℃を下回る、極寒のシベリアで、毎日、毎日、強制労働をさせられました。
そして、沢山の戦友が、飢えや寒さで倒れ、シベリアの地で亡くなっていきました。
祖父は、奇跡的に生き延びることができ、引き上げ船に乗って、ハバロフスクから、舞鶴に帰って来ました。
そして、大学に復学し、薬剤師になることができました。
生前、祖父は「どんなことがあっても、こんな悲惨な戦争は二度としてはいけない」と言っていました。
我々の世代(昭和50年生まれ)は、戦争を体験した人から、直接話を聞いた最後の世代だと思います。
今度は、我々の世代が、後世に語り継いでいかなくてはなりません。
太平洋戦争が終わって、79年経ちます。
しかし、世界では紛争や戦争が続いております。
戦争のない、平和な世の中になることを、心よりお祈り致しております。
この写真は、祖父が出征の時に撮ったもの
です。
#終戦記念日
僕の祖父は、昭和16年、薬剤師を目指し、愛媛県の大洲から、東京の明治薬科大学に進学しました。
ところが、2回生の時、赤紙が届き、学徒出陣することになりました。
祖父は「人の命を助けるために、薬学部に進んだのに、なんで人の命を奪う戦争に行かなくてはならないのか。納得できない」と、
ずっと思っていたそうです。
そして、その戦地で、地獄を見たそうです。
昭和20年 8月15日、戦争が終わりました。
祖父は「これでやっと日本に帰れる。
大学で好きなだけ勉強が出来る」と思っていました。
ところが、その日、ソ連軍が南下してきて、祖父は、捕虜になり、そのまま、シベリアへ抑留されてしまいました。
冬場マイナス30℃を下回る、極寒のシベリアで、毎日、毎日、強制労働をさせられました。
そして、沢山の戦友が、飢えや寒さで倒れ、シベリアの地で亡くなっていきました。
祖父は、奇跡的に生き延びることができ、引き上げ船に乗って、ハバロフスクから、舞鶴に帰って来ました。
そして、大学に復学し、薬剤師になることができました。
生前、祖父は「どんなことがあっても、こんな悲惨な戦争は二度としてはいけない」と言っていました。
我々の世代(昭和50年生まれ)は、戦争を体験した人から、直接話を聞いた最後の世代だと思います。
今度は、我々の世代が、後世に語り継いでいかなくてはなりません。
太平洋戦争が終わって、79年経ちます。
しかし、世界では紛争や戦争が続いております。
戦争のない、平和な世の中になることを、心よりお祈り致しております。
この写真は、祖父が出征の時に撮ったもの
です。
#終戦記念日