林家染太の重いでーのアルバム!

落語家・林家染太が日々の徒然を語ります!

噺家稼業19年目!

2018年04月01日 | 日記
    【😄噺家稼業19年目😄】

 4月1日で噺家19年目になりました。😄
本当に色んな方々に助けられて、今まで来ることができました。本当にありがとうございました。心からお礼申し上げます。m(_ _)m

僕は、噺家になる時に父親に烈火の如く反対されました。
父親は国立愛媛大学の名誉教授をしており、物凄く固く、物凄く厳しかったのです。
しかし、僕も譲れない夢があったので、親の意に背いてこの世界を志しました。

師匠に弟子入りした場所は、今は無きワッハ上方。
この楽屋の扉を叩いたら、もう後には戻れない。そして全てが始まる。
よく、【緊張のあまり口から心臓が飛び出しそうになる】と言いますが、リアルに飛び出しそうになりました。
楽屋への入室を許可されて、うちの師匠染丸に、僕の想いをめちゃめちゃ緊張しながら一生懸命話しました。
師匠が「気持ちは分かった。明日、もう一回おいで」
約束された場所は、難波の高島屋本館入口に午後3時。
これは、入門のテストだと勝手に思い込み、午後12時から3時間ずっと直立不動で待ってました。😄
それから、高島屋別館の喫茶店に連れて行って頂き、噺家の大変さや、修行の厳しさ、色んなことを教えて頂きました。

僕「どんなに大変でも結構です。師匠の弟子にして下さい。御願いします。」

師匠「わかりました。明日、うちの家に履歴書を持ってきなさい」

噺家の入門に履歴書!?
大変ビックリしたんですが、文房具屋で1番高い履歴書を買って、一字一字、丁寧に丁寧に書きました。
翌日、師匠のご自宅に行き、履歴書をお見せしたら「ふえー!!」と師匠が叫ばれました。
 何故かというと、僕の下の名前が
【志行(しこう)】というのですが、師匠の名前はなんと【行志(こうし)】やったんです。
コレってすごくないですか!😄

師匠「誰が名前を付けてくれたん?」

僕「はい、うちの父親です」

師匠「そっかあ。ほな、お父ちゃんに感謝しなさい。弟子にしてあげます」

僕は、入門のする時に物凄く反対していた父親のお陰で、噺家になれたんです。

人生って不思議ですね。

これからも一歩一歩、一生懸命、真摯に芸道に精進して参りますので、応援宜しく御願いします。
        m(_ _)m
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする