竹島に、韓国領を現す標石設置で、日本の領土と証明している記事があった。
朝鮮日報の記事:竹島悲運の標石、三度目の設置
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2013/10/31/2013103100985.html
独島(日本名:竹島)が韓国領土であることを明示するため1953年に現地に建てられた最初の標石が復元されることになった。一度復元されたものの撤去されるなどしており、今回が3度目の設置となる「悲運の標石」だ。
1953年10月14日、韓国山岳会調査団36人が海軍艦艇に乗って独島に上陸した。その前身である朝鮮山岳会が47年に独島に領土標石を建ててから6年後のことだった。調査団は上陸するとすぐ、日本人が「島根県穏地郡五箇村竹島」と書いて東島(女島)の砂地に建てた木柱を抜いた。
そして、その場に建てられたのは用意してきた高さ45センチ・幅60センチという花こう岩製の標石だった。前面には「ドクト/独島/LIANCOURT」、裏面には「韓国山岳会/鬱陵島・独島学術調査団/KOREA ALPINE ASSOCIATION/15th AUG 1952」と刻まれていた。「リアンクール(Liancourt)」は当時、西欧諸国で知られていた独島の地名だ。「1952年8月15日」は当初標石を建てようとした日だった。しかし、この標石はその後なくなってしまった。「日本人が再び独島に上陸して掘り出した」という説と「59年の台風でなくなった」という説がある。
標石が復元されたのは2005年のことだった。島根県が2月22日を「竹島の日」と定めるなど挑発行為が強まる中、慶尚北道は同年8月15日に標石を復元した。しかし「独島なのになぜ『リアンクール』と刻んだのか」という批判の声が上がり、標石は08年8月に人知れず撤去された。
今回「3度目の標石設置」を行うのは、独島関連の市民団体「発明界独島開発支援運動本部」のハン・ソンボン会長(71)だ。ハン会長は本紙の電話インタビューに「歴史的な意味が込められた標石だが、08年に撤去されて以来、誰も建て直しの動きを見せていないので自分がしようと思った。独島NGO(非政府組織)フォーラムなどとの協議を経て、年内に建設に乗り出す予定」と語った。最初の標石と同じ形に復元するが、前面の「LIANCOURT」を「Dokdo, Korea」に変えるという。今月23日に開かれた文化財委員会の天然記念物分科会議は「自然保護区である独島に標石を建てる」というハン会長の審議申請に対し、可決との決定を出した。
兪碩在(ユ・ソクチェ)記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
相変わらず、その行為が何をしているのか、分かっていない韓国。
ここでも、日本の木製の標石を抜いたと書かれている。
また、リアンクールとも刻んでいたようだ。
一層のこと、竹島とも刻んで欲しい。