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生まれ育った田舎に暮らし、毎日2時間かけて東京の下町へ。
オタク第1世代の会社員 「たぬきねいり」 のささやかな日常。

売れるものづくり

2012年02月08日 | 日々雑感

茂木健一郎氏が先日、twitterにて電機業界の苦境について氏の視点からの意見をしていました。

「ものづくり2.0」という観点から見た日本のものづくりの脆弱性についてのコメントと私は捉えました。


私は電機の業界の人間ではありませんがものづくりに携わる者として何が最近の日本のものづくり
に欠けているか考えてみました。


私はこの苦境は現在の日本人の悪い意味での真面目さ、一生懸命さ、技術への極端な傾倒が
招く危機だと考えています。


ソニーの苦境がいわれていますが昔のソニーの製品は今と較べると酷いものでした。

最初のiPodが耐衝撃性なんて考えていないのと同じように最初のウォークマンも民生品として
いまいちの出来だったことは当時少年だった今のオジサン達はみんな心得ていました。

それでも当時としては高価なソニーの商品をみんなお年玉やらお小遣いを貯めて大枚はたいて
買ったものなのです。


私は少年時代、ソニーのミニコンポを愛用していました。

ミニコンポでオートリバースとイコライザーがついていてスピーカーが分離できる製品は
当時ソニーしかなかったからです。

当時、「ソニータイマー」という悪口がありました。

ソニー製品は保証期限が過ぎたらきっちり壊れる。 まるでタイマーがついているようだ。

といったところからくる皮肉です。

私のミニコンポも保証期限を過ぎてしばらくしてオートリバースの動きが悪くなり、
左右のスピーカーの音量がアンバランスになりました。

でも、みんなそんな悪口を飛ばしながら そんなソニーの製品を愛して止みませんでした。

なぜならソニーの製品は消費者が欲しいツボをつくチャレンジスピリットがあったからです。

きっとその頃のソニーの社員の方達はものづくりをしている人達がちゃんと人間として生活をして
自分の生活の中で必要なもの・欲しいものを自分の生活の中で気づき、受け止めて
それを自分の技術で製品に反映しようとしていたからではないでしょうか。


欲しいものを作っているか、という質問に今の電機業界が答えているか私は甚だ懐疑的です。

電機会社の重役さんがどれだけ3Dテレビを欲していたでしょうか。

今の液晶テレビを大型にするとどれだけ自分の生活が豊かになるかを考えて
あの六畳間には置けそうもない大型液晶テレビを作っているのでしょうか。

あれは欲しい商品を作っているのではなく自社の技術の優位なところを生かした商品を作っている
ような気がするのです。


「あったらいいな、をかたちにする」って企業のキャッチコピーでありました。

でも、「あったらいいな」をちゃんと気付くには人間的な生活をしていなくてはならない、
という前提は存在しているはずです。

私のようなスチャラカサラリーマンに 生活のすべてをなげうって働く機械に徹している
ニッポンのサラリーマンの皆さんについてどうこういう資格がないのは判っています。

でも、生活して、ちゃんと友達と遊んで、地域の人と交流して、家族を慈しんで、ということを
しない人間から消費者が欲しい商品が生まれる訳がない、という確信は私にはあります。


会社、というか組織も日本人サラリーマンの日常生活まで犠牲にして会社に尽くす
行き過ぎた愛社精神に甘えてはいけないと思います。

また、サラリーマンの方も 「会社のために今できることを精一杯やる」 という近視眼的な立場を
一歩超えて ちゃんとした日常生活をしてみることで
「会社のリソースを使って社会のためにこんなことができるかもしれない」 という目を養うことも
必要なのではないのでしょうか。


ところで、今となってはメジャーになった市販の安価なハードディスクレコーダーを後付けできる
テレビなんていうのは誰でも考え付くものなのになかなか世に出てきませんでした。

業界の利益優先で ただやらなかっただけなのは想像に難くありません。

「あったらいいな」を気付いたとき、壁になるのは技術的な問題だけではなく、日本人の技術者が
触れることを嫌がる技術以外のもっとどろっとした業界の権利やしがらみの問題かもしれません。

iPodなんて音楽業界のしがらみの突破が決定的な勝利点でしたからね。

「うちは技術系の会社だから」 などとそういった問題から業界全体が逃げていたことが
iPodやiPhoneにシェアを根こそぎ持っていかれた原因なのだから そういうところから
ものづくりを見直していけばいいと思うのです。


そう考えると電機業界のやらなければいけないことはまだまだあるのです。

『 自分の欲しいものを気付く余裕もないのに「いいもの」が開発できる訳がない。

「いいもの」を作る壁になる技術以外の障害を取り除く努力を他人事にしないで
自分の痛みとして取り組まなくてはならない。 』

という2点が私の言いたかったことです。

柄にもなく上から目線な文章で失礼しました。

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