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ノモンハン戦争──モンゴルと満洲国

2020-11-03 16:20:49 | 日記

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2011年10月 9日 (日)

田中克彦『ノモンハン戦争──モンゴルと満洲国』、楊海英『続 墓標なき草原──内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』

 

 世界地図上で国境線として引かれた枠組みと、実際の民族分布とは必ずしも一致するわけではない。

モンゴル人の国家としてはモンゴル国(かつてのモンゴル人民共和国)が目に入るが、モンゴル人の居住地域は中華人民共和国の内蒙古自治区やロシア連邦のブリヤート共和国にもまたがっている。

現行の世界地図を見慣れた目には自明なものと映ってしまう。

しかし、このようにモンゴル人が分断されている背景には、自前の一つの国家を持ちたいという悲願を抱きつつも大国の思惑に翻弄されてきた現代史の哀しい経緯があり、そこにはかつての「満洲国」を通して日本もまた関わりを持っていた。

1939年、「満洲国」とモンゴル人民共和国との国境線をめぐって日本軍とソ連軍が直接戦火を交えた。田中克彦『ノモンハン戦争──モンゴルと満洲国』(岩波新書、2009年)はこのいわゆるノモンハン戦争(事件)をモンゴル人側の観点から描き直している。

 

モンゴル学の泰斗による本書は、ノモンハン戦争をとっかかりとしつつも単なる戦史検証というレベルを超えて、その前後の脈絡を一貫して叙述したモンゴル現代史として興味深い。

 

遊牧民たるモンゴル人にとって、牧地を農耕地へと変えていく漢人の侵蝕は脅威であった。

そこで独立にあたって北のロシア人を頼ることになったが、1924年に成立したモンゴル人民共和国はソ連の事実上の衛星国とされてしまい、社会主義政権によるソヴィエト化は遊牧民の生活には馴染まなかった。

 

やがて隣に日本の傀儡政権として「満洲国」が成立した。

かかげていた「五族協和」のスローガンは建前に過ぎないとはいえ、「蒙古特殊行政地域」を指定したその民族政策には遊牧民保護の視点が含まれており、これにはオーエン・ラティモアも期待を寄せていたという。

当然ながら他地域のモンゴル人たちも関心を示し、そこから触発された希望はさらに国境線によって隔てられていたモンゴル人たちが手を組んで自前の国家を作り上げようという理想へとつながっていった。

このような傾向に対してソ連は警戒して国境線を厳しく閉ざそうとしたし、また「満洲国」側でも通敵の疑いをかけられた興安北省省長・凌陞らが処刑されるという事件が起こった(当時、関東軍憲兵隊司令官だった東条英機の指示によるらしい)。

こうした経緯を踏まえて本書では「ノモンハン戦争に発展する一連の国境衝突は、満洲国とモンゴル人民共和国との間に分断されたモンゴル諸族が、統一を回復するための接触の試みから発展したものであろうと推定している」(112ページ)という視点が打ち出されている。

日本の敗戦により「満洲国」は崩壊した。

日本軍の占領下にあった内モンゴルのモンゴル人たちはこれを契機にモンゴル人民共和国と一緒になって一つの国家を作ろうという運動を始めたが、ヤルタ協定によってそうした想いはつぶされてしまった。

やむを得ず、事前の策として中国共産党と接触、中華人民共和国内部における民族自決を目指す。

ところが、こうした動向もやがて共産党によるたくみなモンゴル人分断工作によって乗っ取られてしまった。

草原の開墾、定住化、さらには民族同化といった大漢族主義的政策によってモンゴル人の生活基盤は失われ、文化的アイデンティティーも危機にさらされた。

また、モンゴル統一運動を志したモンゴル人知識層・指導層には「満洲国」で日本人から近代的教育を受けた人材が多く、彼らには民族分裂主義者とレッテルが貼られて弾圧されていく。

こうしたモンゴル人に対する弾圧は、文化大革命期に至って階級闘争のロジックにすり替えられた漢人によるモンゴル人に対する殺戮としてより苛烈さを増した。

このときに殺害された人数はいまだに把握されていないという。

楊海英『墓標なき草原──内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録』(上下、岩波書店、2009年→こちらで取り上げた)及びその続編『続 墓標なき草原』(岩波書店、2011年)は、当時を生き残った人々からの聞き書きを基にモンゴル人がたどらざるを得なかった苦難の歴史を再構成しようとしている。

なお、著者は「文明は太陽の国(ナラン・ウルス)=日本から、殺戮は漢人の国=中国から」という近現代史観に基づいていると記しており(続、287ページ)、中国に対しては極めて厳しい態度を取る一方、日本が人材育成面でモンゴル近代化に果たした役割に対して好意的である。

オーラルヒストリーという研究手法の性格上、インフォーマントの肉声をできる限りそのまま伝えようとしているため、当事者の感情的な高ぶりは生々しい。

とりわけ漢人に対する激しい憎悪を吐露するあたりには驚きも感じてしまう。

それをどのように受け止めるかは読者それぞれの判断に委ねるしかないだろう。

日本の読者がこれを安易に一般化して中国バッシングに結びつけるのは慎まねばならない。

しかし、彼らが痛切な訴えかけをせねばならないことにはそれだけの理由がある。

感情的に高ぶった彼らの発言から何を汲み取るべきなのか。

「民族の記憶」が抹消されてしまうことへの抗い。政治的弱者の蒙った苦痛が、政治的強者に都合よく歪められた歴史によって無視されてしまう悔しさ。

著者が「第二のジェノサイド」と呼ぶこうした問題はしっかりと受け止めなければならない。


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