《 宵雛生まれ/末っ子 》
「2歳」東京で戦災に
2009年 雛飾り
一文無し・・・終戦で東京・神楽坂の家を焼け出され一文無し 両親は13歳の長男を頭に姉・妹4人を連れ山口県防府市へ疎開した 防府市には父の長兄がいます 市会議員の選挙中の手伝いを父子でしましたが落選、短期間のお世話になった 鳥取は祖母(母方)の実家があり、鳥取への食料買いは中学1年生の兄の仕事に
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Haru/生い立ち 1
父の長兄を頼り/山口へ・・・1年後山口をあとに岐阜に向かう 父の実家の跡取り、次兄にバラックを建ててもらう 岐阜に落ち着き15年の歳月が流れます 池袋の銀行に就職が決まり私18歳で東京へ上京 6年後父母も東京へ戻りました 父の次兄「伯父」は晩年「根尾」」の村長をしていました
東京受験/兄「29歳」が準備・・・三菱信託銀行・明治屋・三井物産・受験予定 岐阜でも協和銀行を受験の予定でした 結果、三菱信託銀行が一番に決まり上京した 18歳で岐阜の父母の元を離れ、新婚の兄夫婦の新居に5年間居候した
長男・長女
ず~と家族を支え続けた
吊るし雛
父は結核/転地療養
単身熊本で療養・・・東京から単身熊本での療養生活 偉い人の執事を任され長男小学校入学時は九州にいた 東京の留守宅は母と祖母が和服の仕立てをし祖母・母・兄「幼児」の生活を支えた 家族は6人に増え終戦
大柄の父・・・身長180cm夏はタライで行水・冬は銭湯へ それを手伝う母は身長150cm弱の小柄で可愛い人 掃除機も洗濯機もない時代、一日中手仕事が続く 夏は布団直し、着物の洗い張り等母は休む閑無く働いた
2008年 雛飾り
「父」は存在感と威厳
釣で釣った鮒は・・・炭火で焼いて煮付けるまで母に任せず自分で仕上げた お酒の好きな父は、麹を蒸かし茣蓙の上で濁酒作りを愉しんだ
父の晩年・・・藜(アカザ)の節を利用して赴きある杖をたくさん作った 父亡き後ご縁ある方に差し上げた 俳句は晩年まで楽しむ 句帳数冊に戦後の“生活苦”が記された 戦後の闇市での親子6人の生活は命がけの様子が俳句から読み取れる お洒落で佇まいが美しい父だった 何をしていても絵になった父、大好きだった 今でも男の人や青年が好き
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↓父70歳 ↓(左)母82歳
右/仲良しお花の先生↑
2人は昇天
写真から2年後/没
お祝い遅れてしまってゴメンなさい>。<
もう嬉しくもない誕生日を迎えることになってしまったね!
沢山のつるし雛を飾られた光景は、何時までも女の子物語っているようで、また想いが伝わってきます!
ご両親の思い出話、心に沁みます!
色々の事思い出す歳になったね。
何時までも健康でありますように祈っています!
2009-03-07 10:06:40
60歳が折り返し点、54歳になりました
宵雛が誕生日で良かった 桃の花・雛飾り
お寿司・桜餅を食べると、いっぺんに春が
巡ります 遠い昔が懐かしく蘇ります
父母の生活に追われる日常を、しっかり
目に焼き付けていた幼い自分・・・
一生懸命生きる姿は、子供心にインプット
されたんですね
我慢していた事を取り戻すかのように
自己実現しました
60歳の折り返し点を過ぎ、幼い日々を
懐かしく思い返す年齢に辿り着きました
とても感慨深いです