《 小惑星探査機 》
《はやぶさ》/7年後帰還
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《はやぶさ・帰還》
イトカワから帰還・・・2010・6・13・地球を出発した「はやぶさ」は地球から約3億Km離れたイトカワからの旅を終え、7年後、満身創痍で地球に帰還した(帰還は3年後の予定でした) 2010・6放送されたニュースは耳に新しい
30年前・長女は中学2年生・・・自由研究のテーマが「太陽電池」でした 当時未来のエネルギーとして企業が開発途中でした あれから30年、宇宙ステーションで宇宙基地作りに太陽電池パネルが活躍、「はやぶさ」は惑星探査へ向かう時代に 30年後・・・《太陽電池》パネルは《きぼう》で使用され実用化した 2011・3・11・・東日本大震災を経験
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期待の太陽電池開発
地球ではエコ・エネルギーとして期待高まる
企業は《太陽光発電》の実用化に知恵を絞って
「未来のエネルギー開発」を急いで!
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「太陽電池・パネル」・・両脇の蒼い板
《はやぶさ》・・「黄色いアルミ箔」で高温から守る
はやぶさ
小惑星/《イトカワ》に向かう
《イトカワ》とは・・・日本ロケット開発の父、故・糸川英夫博士の名前を冠して「ITOKAWA・イトカワ」と名づけられた/惑星 《はやぶさ》・・・展示はお台場「日本科学未来館」で展示中 展示は8月26(木)~8月30日(月)まで
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課題/ヒートシールドとは
灼熱の大気圏突入
カプセルを守る/耐熱素材・・・大気圏突入の高温から「はやぶさ」を守る 炭素繊維の上に合成樹脂を貼り付けたカーボンフェノール 開発者メンバーは5人・・・「ヒートシールドの設計」は元日産自動車社員 設計・開発の責任者である森田真弥さんをトップに、5人のメンバーでした ヒートシールド開発最中の99年秋、社内に衝撃が走った
リストラの発表・・・日産社長がゴーんさんになり、自動車事業への集約が決まり、「日産リバイバルプラン」が打ち出された 宇宙開発事業部は・・・IHIに売却が決定した・・・ (IHIとは・・・旧石川島播磨重工業)
日産/リストラ組が開発
小惑星探査機・・・《はやぶさ》のカプセルを開発したのは、衝撃的なリストラに直面した、5人の技術者達 太陽系の謎を解き明かすかもしれない、日本中の期待を背負っていた 責任者は森田真弥さん・・・5人の技術者の内3人は2年ほど前に入れ替わった 他の部署へ異動した人・転職した人、最年長者の50代技術者は《はやぶさの帰還》見ずして他界
小学6年《森田少年の夢》・・・テレビで見たアポロ11号月面着陸に興奮した 「ああいうところに行く乗り物を作りたい」・・12歳でした 東京農工大・大学院で宇宙力学を専攻し、日産に入社した 新天地・IHIで《はやぶさ開発》を 「大胆かつ迅速な決定を」と言い続け開発に臨んでいった森田真弥さん
最後に残ったのは森田部長一人でした
森田真弥部長/53歳
《はやぶさ》・・カプセル」回収
オーストラリアの砂漠に落下
森田さん/99年のリストラから困難続き
《はやぶさ》の帰還/夢が実現した瞬間
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町工場も技術貢献・・・カプセルの開発の中心になったのはIHI・エアロスペースのほか、住友重機械工業・NEC・藤倉航装の3社 パーツには愛媛県西条市の町工場の技術も貢献しているという (写真・文・アエラ’10・8・16号より) 「ローバ」とは・・・地表を移動し探査するロボット 「ミネルバ」は・・・超小形小惑星探査機・ロボット実験機・を英語表記したものの頭文字からつづられている
小惑星探査機
「ローバ」&「ミネルバ」
カプセルは無事帰還・・・オーストラリアの砂漠で回収した時は、現場の緊張感から解かれた瞬間 着替えもせずホテルのベットにひっくり返って寝た・・・森田真弥部長談
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はやぶさ/惑星探査機は
往復旅行可能な探査機となる
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