《 山浦家先祖 》
信州「立科町」
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山浦家のご先祖
菩提寺は《曹洞宗》
実家は7000人の信州「立科町」・・・ご住職は《永平寺の副住職》の要職にあります Haru30歳/義母の葬儀に出席し驚ろきました 衣装は《朱地の緞子地に金銀刺繍入り》 円錐形の被り物も刺繍入り ご住職の衣装は始めて見る立派なものです 東京では一度も見ません 親子の朗々たる読経の掛け合いが古い家に響き渡りました 格調高い葬儀風景 読経する住職と息子のお姿に見とれました
山浦/本家葬儀
2014年12月・・・本家主人の葬儀に参列した 義母の葬儀から40年経て時代は変わりました 葬儀は町のJA会場 住職親子は先代から代替わりしました 衣装は《白地の緞子地》に金銀刺繍入り袈裟 円錐形の被り物は刺繍入り、とても立派です 息子は40代でしょうか 良寛さんに似た息子の衣装は濃い紫色縮緬に背中一面に日本刺繍が美しい 息子の被り物も紫地縮緬に細かい刺繍入り ご住職親子の読経の掛け合いは40年前の葬儀風景と同じでした 私は親族の最後部に座り、葬儀の一部始終に釘づけされ見とれました
実家の格調高い葬儀を体験
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山浦 家系図
人口7000人の立科町
菩提寺は「曹洞宗」
実家の格調ある葬儀は
意味がある?と疑問を持つ
先祖のルーツを知りたい
「家系図」を作ろう!
戸籍がとれる範囲で詳しく
と依頼した
山浦姓のルーツ
村上義清氏・・・戦国時代村上義清氏は北信濃、埴科群、小県郡、ほかを支配する戦国大名でした 『竹田信玄』に追われ越後の『上杉謙信』を頼った のちに嫡男/『村上国清』が山浦上杉家の養子となる 『謙信』の妹の子『景勝』に仕え『山浦影国』となる
一族の一人が小諸の近く千曲川沿いの『山浦郷』に土着します 越後の武将『上杉謙信』/第一の武将 『村上国清氏』・・・が山浦家のご先祖と判明した
◆跡継ぎのいない越後の『上杉謙信』は功労のあった 『村上氏』を『上杉家』の養子にし、『名字帯刀』を許し小諸周辺の『山浦』の地を与えた
◆古い戸籍は、保存期間が短縮され破棄される時代です 山浦も江戸時代の頃の戸籍は破棄されていました 母方の戸籍は江戸の頃まで解りました
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「山浦の地」
信州小諸
山浦の地から/浅間山を望む
「小諸」は実家の隣町
介護の折寄り道
名主 望月家/北側から(写)
「行政書士&司法書士」の看板
東側/望月家
家名入り鬼瓦が立派
東側/望月家全景
望月家/右手母屋 庭先に蔵が2つ
「山浦 簡易郵便局」
以前は地元の名主が郵便局長
現在、サラリーマン郵便局員が常駐
「山浦 簡易郵便局」
隣家の門構え 立派な門構え
表札は外されている
浅間山
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信州介護/寄り道
2016.2024(水)
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