源氏物語と共に

源氏物語関連

夢浮橋

2008-12-13 08:49:07 | 登場人物

法(のり)の師とたづねる道をしるべにて
        おもはぬ山に踏みまどふかな  (夢浮橋)





高校生の頃から好きだった源氏物語。
やっと源氏物語講座が終了しました(^o^)/


思えば高校の授業で冒頭文を学び、
その後も夏の補習で桐壺全文を先生に教えてもらったのが
源氏物語を好きになるきっかけだったと思います。


そして与謝野晶子訳を読み、
ますます源氏物語が好きになりました。


残念ながら、原文は今も昔も理解が難しいけれど、
それなりに味わい、紫式部の伏線の多さを発見する事が
とても楽しく感じるようになりました。


念願かなって人数の少ない講座に学べたことはとても幸せです。


源氏物語は年齢を重ねた方が理解できるとどこかで聞きましたが、
まさしくそうではないかと思いました。


年代によっても感じ方が違う源氏物語の魅力と奥深さ。


また原文と口語訳の違いも今回知りました。


たしかに、宇治十帖は口語訳と違ってちょっと内容が下世話な感じがしました。


これはいわゆる心の中の言葉(内話)が細かく描かれているせいでしょう。
若菜以降そんな叙述が多く見られます。
あの光源氏さえ柏木に対する時や、薫を抱く時にその心中を語り、
世の常の普通の人になってしまったようです。


冒頭の夢浮橋の薫の歌は
まさしく出生の影を背負って出家しようとしたはずの薫が
宇治で大君に恋をした事で出家ならぬ思ってもみない山に
踏み惑っている様が描かれています。


まさしくそれは現代でもいえる事ではないでしょうか。


光源氏も、今まで出会った女性は仏のおきたまふ方便と、
仏の道にすすむために仏様が置かれたのだと言いました。


薫も同じように仏のおきたまふ方便といいましたが、
やはり最後に浮舟が他の男がいるのだろうと考えるあたりが
まだ悟っていないように思います。
ある意味、世の常で惑う人間の姿ともいえます。


源氏物語は、光源氏も藤壺との恋に惑い、
結局「ははきぎ」のように、遠くにあって近づけば消えてしまう関係でした。


薫も手習で、
ありとみても手にとれず、蜻蛉のように消えてしまった
と、歌を詠みました。


世は、はかなく、無常。つかまえたと思ってもはかなく消えてしまいます。


手習・夢浮橋には夕顔の巻や空蝉の巻を思い出される登場人物の名前が出てきます。
侍従・右近・紀伊守、また小君に似た浮舟の弟。
そういう所に空蝉の巻を響かせているそうです。


浮舟は最後にきっと空蝉のように薫を拒否するでしょう。


そして最後は、横川の僧都が言う「陵園妾」という墓守になって
今までの登場人物すべてを祈る存在になるのではないかと教えてもらいました。


先生のお話では、
宇治十帖でも最後に夕顔・空蝉の巻をひびかせて終わるという内容だったと思います。


「とぞ本にはべる」で終わった夢浮橋。


この文については後からつけ加えられたという説もあるようですが、
とにかくこの文でこの長い物語は終わりました。


氷室冴子さんのように作者の死で終わったと考えるのも楽しいかとも思いますが、
1000年も長き間に伝わった源氏物語の素晴らしさには、
ただただ感嘆あるのみです。


紫式部には是非ノーベル賞をあげたいですね。


今後も私なりに源氏物語を楽しみたいと思います♪