源氏物語と共に

源氏物語関連

深夜枠ギリギリ?アニメGenji

2009-03-06 09:33:26 | 日記
某SNSで深夜枠ギリギリ?とGenjiアニメついてこんなニュースが流れていました。


毎回、裸のラブシーンに、これが売りなんだろうと思いながら、
内容にもつっこみつつ、まあアニメですからと楽しく見ています♪


源氏物語は結構大人の表現が多いです。
丸谷才一氏などもよく指摘されています。


それを直線的に言わないのが前半の源氏物語。
後半はいわゆる心の内(内話)などもあり、意外に詳細な表現もあります。


前半なら、ひとこと「おおとのこもる」で
終わるのにね~と講座の皆さんもいわれていました。


「紫式部集」にも、源氏物語を前にして、道長が


「すきものと名にしたてば見る人の を折らで過ぐるはあらじとぞ思ふ」といい、
式部が「人にまだをられぬものを誰かこの すきものぞとは口ならしけむ」(紫式部集)
と、反論するやりとりは、その当時がしのばれてなかなか面白いです。


それにしても、紫式部は女性の心情の描き方が上手だと思っていましたが、
これはやはり女性としての経験からなのでしょうか。


また一夫多妻制の時代、
短い結婚生活の間には、夫の夜離れを嘆く歌があるというので驚きました。


「おほかたの秋のあはれは思ひやれ 月に心はあくがれぬとも」(紫式部集)


また夫が亡くなった後に、言い寄った人への歌もあり、
このあたりが六条御息女や空蝉の心を上手に描いたあたりかもしれません。


そして源氏物語には、女三宮が降嫁してもなお
紫の上は「昨日よりも今日よりもなお美しく」という内容の文があるのですが、


「折りて見ば、近まさりせよ桃の花 思ひぐまなき桜おしまじ」(紫式部集)
と、桃を自分、桜を相手の女性とした歌なども、
かなり強気で、似たように思ったりもします。


そう思うと源氏物語は男性が描いたものという説は
ちょっと違うと思いますが、どうなんでしょう。


身分の低い人達への視点があるのも特徴的ですね。


紫式部日記にもあるように、帝が誕生した息子を見に道長邸に御幸する際、


「寄するを見れば、御輿丁(かよちょう)のさる身のほどながら、
階(はし)にのぼりて、いと苦しげにうつぶしふせる何のことごとなる、
高きまじらひも、身のほどかぎりあるにいとやすげなしかしと見る」と、


華やかな天皇御幸の中で、
ふと身分の低い輿かきの様子を見る所などは面白いと思います。


貴族社会の中にいながら、同じ人間としてみる視点が源氏物語にも時々出てくる所なども
一緒ではないかと思います。


これは越前武生での生活から感じた視点なのかもしれません。


頭脳明晰ながら、紫式部の女性としての心情に、大変興味を持ちました。