マユミ・藤袴
紫苑(シオン)
紫苑(シオン)
ススキ(薄) (匂宮)「穂に出でぬもの思ふらししのすすき 招くたもとの露しげくして 」 ( 宿木) イネ科。オバナ・カヤとも。秋の7草のひとつ。 花穂を強調して「花薄(はなすすき)」、 茎が細くしなって「篠薄(しのすすき)」とも呼ばれる。 平安和歌では花薄の形が多くなり、 万葉集と違って、風になびく様が人が手まねで他者を呼び寄せる動作にたとえ 「まねく」と表現される。 また花薄そのものを人を招く「袖」に見立てたりする泳法が出現する。 邸宅に植えられた事から 亡き人ゆかりの場所でその人をしのぶよすがとして歌われた例も多い。 (知っ得古典文学植物誌より)城南宮源氏物語の庭
菊 キク科キク属の一年草、または多年草。 中国では唐代に交配によって生み出されたものと考えられ、 日本へは奈良時代に渡来した。 奈良時代の漢詩集「懐風藻」に「浮菊酒」と登場するも、 同時代に成立した万葉集に菊の歌は1首も詠まれない。 菊の歌の初見は平安遷都後の桓武天皇の御歌 「この頃の時雨の雨に菊の花散りぞしぬべクあたらその香を」(日本後紀・類聚国史) しかし、この歌のように菊の芳香を詠んだ歌は少ない。 菊を賞玩するという場は、9月9日の重陽の宴という中国から伝わった宮中行事による。 重陽の宴の起源は天武天皇685年からといわれるが定かでなく、 嵯峨天皇の814年に宴が復活してから和歌にも菊が数多く詠まれるようになった。 重陽の明け方に平安女性たちは前夜から菊花に綿をかぶせて 夜露を含ませたその綿(着せ綿)で顔の皺を拭って老いを払おうとした。 菊合わせという和歌あわせも行われた。 また菊は晩秋から初冬に霜や時雨によって染めあげられ、 白色が紫色に変化する「うつろひたる菊」がもてはやされた。 うつろひたる菊が男女関係における変心や異心などをも意味している。 (知っ得古典文学植物誌より) 写真は着せ綿
ヤドリギ (薫)「やどりきと思ひいでずは木のもとの 旅寝もいかにさびしからまし」 (弁尼)「荒れ果つる朽木のもとをやどりきと 思ひおきたるほどの悲しき 」(宿木) (弁尼) 「やどり木は色かわりぬる秋なれど 昔おぼえてすめる月かな」 (東屋) 巻名にもなったヤドリギは榎・ケヤキに寄生、まれにサクラ・ブナ類にも寄生する。 一名をホヤ、トビツル(飛び蔦)とも。 常緑小潅木で茎は木質緑色、葉は長楕円形。 花は単性、雌雄異株、果実はクリスマスの頃に結実し、黄色から白色になる。 宇治十帖の舞台になった小椋神社の境内には今も見事な宿り木の森である。 欧米ではクリスマス・イブに限り、この宿り木の下では 誰とでもキスしてもよいという習慣がある。(城南宮 源氏物語の庭) 左画像は売っていたヤドリギを知人より1枝もらったもの。 右画像は源氏物語の庭より