源氏物語と共に

源氏物語関連

冬の暖房

2008-02-25 11:51:53 | その他

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冬の月を愛でる光源氏は何故か雪の日に琴を弾く(拙文<冬の月>参照)


女楽の後、紫の上の発病で延期していた朱雀院の五十の賀の試楽が
12月十余日に決行される。やはり、雪がちらついている時であった。


今日はかかるこころみの日なれど、御方々もの見たまはむに
見所なくはあらせじとて、かの御賀の日は赤き白橡(しろつるばみ)に、
葡萄染の下がさねを着るべし、
今日は、青色に蘇芳かさね、楽人三十人、今日は白がさね着たる、
辰巳のかたの釣殿に続きたる廊を楽所(がくそ)にて、
山の南のそばより御前に出づるほど、仙遊霞(せんゆうか)といふもの遊びて、
雪のただいささか散るに、春のとなり近く、梅のけしき見るかひありて
ほほゑみたり。                  (若菜下)


試楽とはいえ、寒い冬の京都での合奏。
女三宮は懐妊中でかなりお腹も大きいだろうから、体を冷やすのはどうかと思う。


吹き抜けで風が通りやすい平安時代の邸宅での音楽会であるが、
現代のようにストーブもカイロもない時代、暖房はどうなっているのか。


枕草子では有名な「冬はつとめて」
この段に出てくる炭の様子から、火鉢のようなものが使われていたように推測はできる。


こんな局所的な暖房だけで、楽人をはじめ、大勢の貴族・女房達の暖はどうしたのだろうか?


「源氏物語図典」では火桶・炭櫃(すびつ)の説明があった。
「火桶」は木をくりぬいて金属制の「おとし」を入れ、その中に灰を入れて
炭火で暖をとる、円筒形の暖房器具。主に桐の木で作られ、側面には絵などの装飾。
方形のものを火櫃と区別したが早くから混同。
「炭櫃」は方形で脚のある暖房器具。金属制のおとしを入れ、灰を入れ炭を燃やす。
火炉は中に灰を入れ、炭を燃やしたり香をたいたり、調理をしたりする器具。
火桶や炭櫃なども含む。
直径30センチ、深さ9センチほどの円形のものが普通。銅や鉄の金属製も他、
木製もあったとの事。


服装については、十二単だから着物を重ねる事はできる。
しかも、結構袴の下に色々重ねてはいていたようだ。
<井筒雅風『日本女性服飾史』光琳社>によると、
指のない靴下の長いようなものもあったそうで、服装は意外にも暖かいようだ。
脱ぐのは大変そうだ。


しかし、お金のない末摘花の女房達は着物も重ねられず、寒そうだった事を思い出す。
黒の皮衣の話もあった。


冬に琴を弾くという事は、
暖房があるお金持ちじゃないと出来ないという事かもしれない?


コメント
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