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申命記7章 (神は)あなたを選んでご自分の民とされた

2022年03月05日 10時10分53秒 | 申命記
申命記7章 カナン征服、聖戦への召し
既に、イスラエルの民は、十戒を与えられ(5章)、それを守るように教えられました(6章)。神がイスラエルに示された救いとあわれみを覚えるなら、イスラエルの民がこれに従うことは自然なことでした。続いて神は、イスラエルがカナンの人々に対して、また彼らの礼拝場所と祭儀の対象に対して、どのような態度を取るべきかを明らかにします(7章)。
1.異邦の民に対する聖なる民とされた者の態度(1-5節)
ヘテ人、ギルガシ人、エモリ人、カナン人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人、これら七つの民は、かつて約束の民に与えられた土地を不法に占拠して来た者たちです(1節)。しかも彼らはまことの神を認めず、偶像に仕える者たちでした。イスラエルが聖戦を命じられるのも、それなりの根拠に基づくのです。神は、彼らを追い払い、聖絶し、偶像は徹底して打ち壊すように命じられます。こうして彼らの戦争は、侵略戦争ではなく、自分たちの土地を取り戻し、回復させるための戦争となるわけです。ですから、その戦いの特徴は、力ある者が弱い者を蹂躙するものではない、神の力による神の裁きであることがわかるように、まず自分たちよりも「数多くまた強い」民に対するものでした。ですから戦利品も主のもので、主に献げられなくてはなりませんでした。
2.聖なる民にされたことの理由(7:6-11)
他方「あなたは、あなたの神、主の聖なる民だからである。」(6節)と神はイスラエルに向かって語りかけ、これらの異邦の民とは区別された民として、妥協せず、その特権的な立場を放棄してはいけない、と命じます。それは、キリスト者についても言えることです。つまり神が選び、ご自分の御子の犠牲によってご自分の子とし、聖別してくださった者だ、ということです。
ただそこで神が選ばれたという理由に心を留めることが重要です。それは第一に、「あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない」と言います。神がイスラエルを選ばれたのは、イスラエルが他の民族よりも、よかったから、つまり理由のあることではない、というわけです。むしろ、「主があなたがたを愛されたから」(8節)です。愛に理屈はありません。7節、「主があなたがたを慕い」の慕いは、ヘブル語でハーシャク、通常は「人が異性を慕う」意味で用いられることばです。男が女を慕う、女が男を慕う、愛は説明のつかないものです。神の愛も説明のつかないものがあるのです。そして第二に「あなたがたの父祖たちに誓った誓いを守られたから」(8節)とあります。神がアブラハム、イサク、ヤコブに誓った誓いが、それから400年も経てなおも有効なのだ、と言います。神は父祖を愛し、その父祖たちとの親交を忘れず、無骨で忠義な家臣のように、父祖に対する誓いをその子孫にも守ろうとするのです。それは、神がイエスの十字架で交わした契約が、2000年以上経った今もなお有効なのと同じです。
3.聖なる民の祝福(12-16)
となれば、私たちが神の祝福を受けるために、もはや背伸びをする必要はありません。神の愛に理屈はなく、また、それは父祖との約束に基づくものだとすれば、私たちに根拠があることではないからです。キリスト者は、言ってみれば先代の恩恵にあずかっているぼっちゃんのようなものです。順序を間違えてはなりません。神に気に入られる、聖なる歩みをするから、神に愛されているのではありません。神が理屈抜きに愛してくださっていることに気づかされて、それにふさわしい歩みをする気持ちを与えられて、聖なる道に入るのです。神は、私たちのあり様には関わらず物質的な意味で守り(13節)、家族も(14節)、病からも守ってくださると言うのです(15節)。
4.聖なる民への勧め(17-26節)
そこで再び、聖戦への励ましが語られます。イスラエルの民にとって敵は、自分たちよりも「数多くまた強い民」です。神は「彼らを恐れてはならない」と言います。かつてエジプトで神が解放してくださった時のことを思い出せ、と(18-19)。また、神は恐るべき敵、乗り越え難き障壁を取り除いてくださる、と言います(20節)。恐れるべきは神のみです。そして神の愛と誓いを信頼して、人生のあらゆる局面で、神の戦いであるとわかるような戦い方をしていくことなのでしょう。今日も神の業をみさせてください、今日も主の恵みの中に歩ませてくださいと祈りつつ歩むことです。では今日もよき一日となるように祈ります。

<クイズコーナー>
最初に、昨日のクイズです。今日、ユダヤ人が、門柱に取り付ける記章をメズーザーと言いますが、額に取り付けるものは何と言うでしょうか。答えは、テフィリン。祈りを意味するテフィラーに由来することばで「祈りの帯」を意味します。羊皮紙に記した申命記6:4のみことばを収めた革の小箱で、左上腕や額につけて祈りを献げます。では今日のクイズを一つ、エブス人と言えば、どこに住んでいた民族でしょうか?答えはまた明日。では今日もよき一日となるように祈ります。

<天草さんのフォローアップ>
パスターまことの聖書通読一日一章をフォローし、さらに掘り下げにチャレンジしている、天草さんのサイトはこちら⇒「天草幸四郎」http://progress-to.jugem.jp/
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