『月と雷』角田光代 中央公論新社
智は女にもてるが「ふつうのことがふつうにできない」ことで関係が長続きしない。それは、幼い頃から母といろんな家を転々とし、菓子パンの食事や学校に行けとか風呂に入れとか言われない生活をしてきたせいなのか。智は、幼い頃に一緒に住んでいた泰子ちゃんに会いにいき、再会をきっかけに二人の人生は思わぬ方向へ転がっていく。
智の送ってきた生活にビックリして、一気に読む。おもしろいが、感動はそれほどない。幸せになればいいのに、自分を罰するように不幸な選択をするのが悲しい。でも、泰子ちゃんの強さがいい。
それより、別のことを考えた。自分の家で当たり前だったことが、他の家庭では当たり前ではなかったことを。
小学生の時、友人に「なんで、○○ちゃんの服はいつもしわだらけなん?お母さんは、アイロンかけへんの?」と言われて驚いたことがあった。しわのついた服を着ることは恥ずかしいことなのだと知った。
自分の家は、お客が来る時だけ片付けて、いつもは散らかっていた。友達の家に遊びに行くといつもきちんとしているのが不思議だった。
冬、夕方になっても、洗濯物をベランダに干しっぱなしにしていて、友人に「早くとりこまないと、洗濯物が冷たくなるよ」と言われてビックリした。夕方には、洗濯物はいちいち取り込むものなのだ、干しっぱなしにして必要なものを取って使うものはないんだと知った。
母の名誉のために言っておくと、母は食事はこまめに手作りした。ただ、仕事が忙しくて片づけをする時間が少なく、片づけが苦手であった。娘である私は、家事は母がするものだと思って、手伝おうとは思わなかった。手伝っても母のやり方を見ていなかったので、自己流だった。
そのため、長じてから、他人の生活から学ぶことが多々あった。義母が洗濯物を干す前に洗濯物をたたんでしわを伸ばすこと、寝る前には片付けて部屋をきれいな状態にしておくこと、調味料入れの底を台布巾で拭いてしまうこと。
しかし、小さい頃からの生活の癖はなかなか直らず、いまだに だらしない生活をしようとする自分と悪戦苦闘している。生活は大切だな、やっぱり。
智は女にもてるが「ふつうのことがふつうにできない」ことで関係が長続きしない。それは、幼い頃から母といろんな家を転々とし、菓子パンの食事や学校に行けとか風呂に入れとか言われない生活をしてきたせいなのか。智は、幼い頃に一緒に住んでいた泰子ちゃんに会いにいき、再会をきっかけに二人の人生は思わぬ方向へ転がっていく。
智の送ってきた生活にビックリして、一気に読む。おもしろいが、感動はそれほどない。幸せになればいいのに、自分を罰するように不幸な選択をするのが悲しい。でも、泰子ちゃんの強さがいい。
それより、別のことを考えた。自分の家で当たり前だったことが、他の家庭では当たり前ではなかったことを。
小学生の時、友人に「なんで、○○ちゃんの服はいつもしわだらけなん?お母さんは、アイロンかけへんの?」と言われて驚いたことがあった。しわのついた服を着ることは恥ずかしいことなのだと知った。
自分の家は、お客が来る時だけ片付けて、いつもは散らかっていた。友達の家に遊びに行くといつもきちんとしているのが不思議だった。
冬、夕方になっても、洗濯物をベランダに干しっぱなしにしていて、友人に「早くとりこまないと、洗濯物が冷たくなるよ」と言われてビックリした。夕方には、洗濯物はいちいち取り込むものなのだ、干しっぱなしにして必要なものを取って使うものはないんだと知った。
母の名誉のために言っておくと、母は食事はこまめに手作りした。ただ、仕事が忙しくて片づけをする時間が少なく、片づけが苦手であった。娘である私は、家事は母がするものだと思って、手伝おうとは思わなかった。手伝っても母のやり方を見ていなかったので、自己流だった。
そのため、長じてから、他人の生活から学ぶことが多々あった。義母が洗濯物を干す前に洗濯物をたたんでしわを伸ばすこと、寝る前には片付けて部屋をきれいな状態にしておくこと、調味料入れの底を台布巾で拭いてしまうこと。
しかし、小さい頃からの生活の癖はなかなか直らず、いまだに だらしない生活をしようとする自分と悪戦苦闘している。生活は大切だな、やっぱり。
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