まあまあ人生

70年の人生 まあまあですね

集団疎開

2012年08月04日 | Weblog
起床4時45分、大阪城に行く。今日は、土曜日、賄の小母さん達は少なかった。大阪城内に入り修道館の前辺りで、ラジオ(NHK)は「音に会いたい」のコーナー始まった。戦争当時の様子が放送されていた。空襲や食料難が耳に入り、私も、一気に当時のことが彷彿として来た。私が国民学校(小学校)3年(1944年)の10月に福井県に集団疎開をした。それぞれ親元を離れての生活であったが幾分不自由な面があったものの友達が多く辛いとは思わなかった。翌年の2月、大雪の中、姉が迎えに来た。私は、家に帰りたいとは言ってなかった。後で聞いたことであるが、戦雲急になり何時空襲で死ぬかも知れない。母と姉が死んで、疎開をしている私だけが生き残っては不憫で、死ぬなら皆一緒の方が良いとの結論であったようである。

大阪駅に着き、市電で谷町筋を通っていて車外に目をやると一面焼け野原になっていた。幸い自宅は無事であった。しかし、毎日毎晩、空襲警報で怖い日が続いた。或るときは、500メートル離れ所に、1トン爆弾が落ちた時は、地震の様な振動であった。また、2軒隣横の道路に焼夷爆弾(焼夷弾と爆弾を合わせたような)が落ちた時も、地震のような揺れであった。毎晩、空襲警報が発令されると、庭につくってある防空壕に入った。今にして思えば、あんな粗末な防空壕では空襲を受ければ一たまりもなかったと思う。8月15日の玉音放送を聞き、戦争が終わったことを知り、子ども心にもこれで安心して眠れると思った。戦争はどんなことがあってもしてはいけないと思った。終戦後の食糧難にも大変苦しんだ。今の、豊かな平和な時代が来るとは想像できなかった。

今日は、大阪城で合唱、体操の後、帰宅する。朝食後、会堂掃除に家内と行く。M姉は、何時もの様に、下駄箱の掃除とスリッパの清掃に来られた。本当に頭が下がる。

会堂掃除を済ませて昼食の後、午後2時からのOCCカレッジに出席する。今日は、日本イエスキリスト教団柏原教会のN師が組織神学 キリスト論 を講義された。大変解り易くよい学びが出来た。午後4時に終わったが、4時30分からの[泉 堅コンサート]に出席する。生憎泉堅氏が風邪を引かれ歌うことが出来ないとのこと、幸い話すことが出来るのと、森 祐理さんが、コンサートを聞くことになっておられた。急遽ピンチヒッーで森さんが歌うことになった。プロは違うなと感心した。泉堅さんと森祐理さんのコラブレーションも良かった。主は試練と同時に逃れる道を備えて下さっている。



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