まあまあ人生

70年の人生 まあまあですね

店は客のためにある

2007年06月30日 | Weblog
今朝は5時25分に起床、昨日に引き続き大阪城に行く。今朝も曇天であった。現場に到着すると、既に歌声が始まっていた。恐らく毎日行われているのだろう。終わり近く、今朝も男性が進み出て、「今日も元気で過ごしましょう、エイエイ・オー」と発声するや一堂唱和する。最期の歌は、これまた懐かしい「これが銀座のカンカン娘」であった。
ラジオ体操も整然と行われた。ラジオ体操終了後、立ち去りがたい面々もおられ、別口の我流の体操が行われた。終了後場内の石塀や、堀の石垣を眺めると、豊臣秀吉の権力の大きさ、それに携わった人の知恵には驚かされる。桜門を入ると面前に立ちはだかるのは蛸石で場内で一番大きなもので、大きさはたたみ38畳、重さ26トン、現代でもあのような大きなものを移動するのは大変で、科学の発達していない昔にと思うと頭がさがる。
今朝の朝日新聞のbe版にコメリの会長の捧賢一氏が紹介されていた。新潟県三条市の農家だった父親が戦後、米穀商を営み、屋号を「利右衛門」に「米」をかぶせて「米利商店」とした。燃料店を経てホームセンター業界に参入した後も、名を引き継がれた。捧氏は一時期苦しい時期、雑誌「商業界」に出会い、巻頭言の「愛と真心を持って世の中の人々に奉仕する」という主幹・倉本長治氏の感化をうけ20才後半、曲折を経て商売開眼する。
「世の中の人々の幸せのために/ここに集う人々の幸せのために/この企業に縁ある人々のために/この仕事がありますように」が社訓にあたる「コメリのねがい」だそうである。金儲けが嫌いだつた若い頃、「店は客のためにある」という考えにふれ一生の仕事に選んで以来、今どき珍しいほど真っ向から「商人道」を説くと書かれていた。倉本イズムが脈々と受け継げられている。私も若かりし頃、倉本長治氏に傾倒したことを思い出す。

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