JRの線路横を自転車で走っていると、おしろい花が目についた。以前はよく目についたが、最近はあまり目にしないように思う。そう言えば、黄色一色で広い範囲でこの世の春ならぬ秋を謳歌していた、背高泡立ち草も今は見る影もない程、少なくなって来た。植物の世界も栄枯盛衰があるのだろう。環境の変化で爆発的に発生しても、時間の経過とともに自然に淘汰されてバランスが保たれる。
昨晩、テレビ「その時歴史が動いた」を見る。豊臣秀吉の弟、秀長にスポットが当てられていた。私は、子どもの頃から豊臣秀吉のファンであった。水のみ百姓の子どもから太閤に出世したことも大きな要因であったが、その性格にひかれるものがあった。
その秀吉を影で盛り立てたのが、弟、秀長である。秀長が郷里で百性をして、両親と生活していたのを、秀吉の出世を妬む同僚のため、孤立していたのを、その打開策として、無理やり自分の部下として取りたてる。秀長は秀吉と性格が違い、温厚、実直で情に厚く、種々の困難な局面も打開したことがあり、不利となっても忍耐して待つことによって勝機を掴むこともしばしば、惜しむらくは、51才で亡くなる。もし、もう少し長生きしていれば歴史は大分変わっていたと思われた。
昨晩、テレビ「その時歴史が動いた」を見る。豊臣秀吉の弟、秀長にスポットが当てられていた。私は、子どもの頃から豊臣秀吉のファンであった。水のみ百姓の子どもから太閤に出世したことも大きな要因であったが、その性格にひかれるものがあった。
その秀吉を影で盛り立てたのが、弟、秀長である。秀長が郷里で百性をして、両親と生活していたのを、秀吉の出世を妬む同僚のため、孤立していたのを、その打開策として、無理やり自分の部下として取りたてる。秀長は秀吉と性格が違い、温厚、実直で情に厚く、種々の困難な局面も打開したことがあり、不利となっても忍耐して待つことによって勝機を掴むこともしばしば、惜しむらくは、51才で亡くなる。もし、もう少し長生きしていれば歴史は大分変わっていたと思われた。