歴史とドラマをめぐる冒険

大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。
ただの歴史ファンです。

麒麟がくる・第二十七回・「宗久の約束」・感想・大河はフィクション

2020-10-17 | 麒麟がくる
やっと明智光秀の「史実時代」に入ったと思ったのに、まああんまり史実には縛られていないようです。信長は実際はもちろん武装解除して入京なんてしていません。まだ三好三人衆の掃討は終わっていないわけで、武装解除するわけがない。ただし厳しい軍律があった為、織田軍が乱暴狼藉なく入京したのことは確かなようです。武器を持たないから平和なのではなく、軍律が厳しいから平和なのです。女性をからかった織田兵の首を信長自身が一瞬ではねたというエピソードが載っている史料もあります。フロイス日本史です。日本語訳をそのまま写すと。

(義昭御所の)建築を見物しようと望む者は、男も女もすべて草履を脱ぐこともなく、彼(信長)の前を通る自由を与えられた。ところが建築作業を行っていた間に、一兵士が戯れに一貴婦人の顔を見ようとして、そのかぶり物を少し上げたことがあった時、信長はたまたまそれを目撃し、ただちに一同の面前で、手ずからそこで彼の首を刎ねた。

となります。「木曽義仲軍の乱暴」などは信長も知っていたでしょう。乱暴と略奪には気をつかったと思います。全くなかったとは思いませんが。何にでも想定外はある。

まあ「武装解除」ではなく「ただ兜と鎧はつかなかっただけ」なら「可能性として絶対ない」わけではありません。個人的には「絶対ない」と思いますが、、、。

さて義昭は剣も嫌いなようです。足利義昭が剣が嫌いか好きかは分かりませんが、信長公記によれば入京の後、信長は「義昭から剣」を「拝領」しています。義昭というのは武断的な面があり、中立を守らず、それが調停役としての将軍像とあまりに違い、それで失敗した人です。義輝はなんとか中立的でいようとした人ですが、義昭にはそういうバランス感覚はなかったようです。

堺の今井宗久との関係もあんなものではなく、信長は堺に「2万貫の矢銭と服属を要求」し、堺を武力で屈服させています。多くの会合衆が信長と対立する中で、パイプ役を買ってでたのが今井宗久であり、また津田宗及です。「京を焼かないなら信長に味方する」とか、そんな甘い関係ではありません。

でも、それはいいのです。大河はフィクションなので嘘はいいのです。昭和史の嘘は困りますが、戦国時代の話です。考えるべきは「どうしてそんな嘘をついた」のか。

①足利義昭と光秀ラインを「平和と民のための政治」を願う側にし、信長を「武断政治」の側にするのか。図式的に言えば「天下静謐ごっこ」と武断主義の対立。でもそうすると、あとあと困ったことになる。光秀は義昭をあーしてこーするわけなので。
②今井宗久=商人の力を大きくみせる。というより単に今井宗久を大きくみせたい、のかも知れません。Twitterなどでは、お茶の所作が美しいという感想が多いかな。もしかすると人物のイメージより、そういう一つ一つの「画面の美しさ」を優先させているのかもしれません。
③庶民目線で戦国を描くというが、駒とか伊呂波太夫とか今井宗久は庶民なのか?大物の知り合いがたくさんいる「特別な人間」のような気がするが。

まあ、突き詰めて考えるほどのことではありませんが。

今井宗久はいわば「信長にのめり込んだ」人で、秀吉時代になるとあまりぱっとしません。この今井宗久は、今井宗久というより、むしろ「最後のほうのルソン助左衛門」です。この作品、折々に大河「黄金の日々」の影がちらつきます。松永久秀のツボの話などもそうです。(と、こう書いた後に「黄金の日々」を少し見返しました。今井宗久はほとんど主役で丹波哲郎さんです。この今井宗久の部分は筆が滑りました。間違いです。)

でもまあ、やっと光秀もぱっとしてきた感じです。40歳です。信長は35手前です。「麒麟がくる」はドラマだからフィクションで、どうせ史実などに縛られていないのだから、もっと早くから光秀を大活躍させてもいいものを。もったいなかったなと思います。

あとは雑感です。今までも雑感ですけど。

上洛の折の六角攻め。「信長KING OF ZIPANGU」では30分くらい使って丁寧に描かれましたが、今回はやっぱりスルーです。未だに六角さんが登場するのは「信長KING OF ZIPANGU」と「黄金の日々」だけだと思います。

帰蝶はどこに行ったのか。川口春奈さんは「極主夫道」というドラマで主演級みたいです。そっちに行っているのでしょう。ただ別に「亡くなった」という史料もないので、どこかで復活するのだと思います。

それに加えて菊丸はどこにいったのか。家康自身は参加していないが、徳川兵も織田軍に参加しているから、菊丸が登場してもいいわけだが。

秀吉は「三か月で一夜城を作った」ことになっていた。「敵の大将に会いに行った」とあるが、西美濃三人衆なのか竹中半兵衛なのか。

駒は今井宗久とも親密である。なぜ信長とだけは会わないのか。それにしても駒は光秀や秀吉とコンビだと、輝いてみえるな。

麒麟がくる・京伏魔殿編PR動画(2分)の感想・傲慢不遜編

2020-10-17 | 麒麟がくる

文章を書くことは私にとって「趣味」で、文体も変えています。これは「傲岸不遜編」(ごうがんふそん)です。「偉そうに上から」書くバージョンです。わざとやっているので、お許しくださいませませ。

なるほどそうくるか、という感じがしました。幕府と、将軍である義昭を「区別」するのです。幕府とは「腐った官僚や利権に群がる人間たちの総体、京都伏魔殿」、しかし将軍義昭は違う。と現時点ではするようです。むろん細川や三淵は改革派になるのでしょう。三淵はどうかな?義昭が変化するのか否かも見どころになります。

そうした「腐った幕府」を代表する人物が幕府の政所執事摂である摂津晴門・片岡鶴太郎さんです。これを「旧勢力」と呼ぶようです。旧勢力とは摂津と彼をとりまく腐った官僚、比叡山延暦寺天台座主の覚恕法親王・春風亭小朝さん、さらにそれに協力するユースケ朝倉義景らのようです。浅井長政はどう描かれるのだろう。伏魔殿の一員なのか?

信長包囲網を敷くのは、義昭ではなく、この旧勢力の妖怪どものようです。「妖怪ども」は私個人の意見ではなく、設定です。伏魔殿には妖怪たちがいるのです。本願寺はスルーかも知れません。今までならこの「妖怪ども」の頂点に旧勢力の象徴として義昭が君臨するのです。でも今のところ義昭は妖怪の存在にすら気が付かないほどピュアです。さてどう変わるのか、このままなのか。

さて、政所執事、鶴ちゃんが気に食わないなら更迭(くびに)すればいいのですが、それはそれ。ドラマです。更迭したところで「伊勢氏」が復活するだけで、「もっと悪い状況になる」とか十兵衛が判断するのでしょう。史実としてはいずれは更迭されるようです。

光秀と信長は「幕府を建て直そうとする」が、それを旧勢力=魑魅魍魎(ちみもうりょう)が邪魔をする。比叡山の覚恕座主などは相当「あざとい」ことをするのでしょう。そして「あざとくて何が悪いの、われは天皇の弟ぞ」とほくそ笑むのでしょう。小朝さん、カタキ役です。

そこでついに「光秀と信長の反撃が始まる」ようです。弱者を一方的に焼き討ちしたのではなく、いじめられて、耐えて、そして耐えて、ついに怒りを爆発させるという形の「延暦寺焼き討ち」となるようです。(最後に補足があります)

実は特に新しくはありません。「初期において信長が幕府を建て直そうとした」ことは今までも描かれてきましたし(信長KING OF ZIPANGU)、焼き討ちの段階において、信長が朝倉と浅井(その協力者である比叡山)に追い詰められていくさまも描かれてきました。今までもそう描かれてきたのです。つまり20世紀段階の大河の通りということです。ただし覚恕天台座主がいわば「悪役」として登場したことはありません。そもそも登場してないかも知れません。

そして「耐えて耐えての倍返し」とエンタメ性抜群に描かれたこともありません。いつも光秀が焼き討ちに反対して信長に足蹴にされる。でも今度は違うようです。最近では光秀が「積極的に参加した」ことになっています。そういう手紙もあります。あまり考えたことが実はないのですが「積極的」と言ってもいいのかな?なんにでも「噛みついて」申し訳ない。だって上司の命令です。軍令です。逆らえないでしょ。光秀は40になって信長に仕えたので譜代でなく新参者。積極的なふりをしないといけない立場です。(今度調べてみます)

それはともかく「ここまで覚恕親王の横暴に耐えてきた。しかし世の平和を乱す叡山にはもう国家鎮護の府としての誇りはない。我慢の限界だ。やられたらやり返す。比叡山に倍返しだ!」と十兵衛には叫んでもらいたいものです。(たぶん人はあまり殺さない設定だろうし)

それはそうと昨日読んだ渡邊大門さんの「戦国の貧乏天皇」によれば「信長は朝倉浅井より、この段階でも有利」だそうです。それはまた宿題としてあとで検討してみます。

とにかく「これは新しいな」と思うのは、「既得権益の総体である幕府」と「将軍の義昭」を「分離する」という点です。そういえば義輝も幕府と「分離」していました。「信長は幕府そのもの、また義昭を倒そうとはしなかったが、腐った幕府システム、既得権益は、破壊または改革しようとした」とするとしたら(PR2分では断定できませんが)、それは新しい描き方です。

永禄12年の正月(上洛から間もなく)に、信長は「室町幕府殿中御掟」で、「義昭を縛る、またシバく」わけですが、新説派つまり信長義昭相互補完派の方々は、これは義昭を縛ろうとしたものではなく「単にそれまでの幕府のルールを整理したもの」とします。ウィキの「織田信長」にも「対立が決定的になったわけでなく」と「黒太字」で書いてあります(笑)。一体だれが「黒太字強調」なんかにしたのでしょう。必死過ぎます。ともかく義昭を縛ろうとしたものではなく、信長義昭が自らを縛った、または「幕府の役人にルールを示したもの」と「新説」は捉えるわけです。しかもそう読めないこともないのです。義昭向けというより「役人向けの条文」がはるかに多いのです。

「役人を縛ろうとした」という考えは「義昭と幕府に分離、または一定の距離がある」という前提があって成り立ちます。小和田さんは新説派ではないですが、懐の大きな方みたいなので、この考えを受け入れたのでしょう。池端さんのお考えは分かりません。でもたぶん義昭と十兵衛(信長)が「腐った役人を正す」ため、協力して作ったことになると思います(ドラマの話です、なお今までの信長ものでは、押し付けられた義昭が、信長めー、あの下克上が、と激怒します。)

なお別に「説」で脚本家が動いているとも私は思っていません。池端さんは一流の脚本家だから「説」さえも「物語創造」に利用している、私にはそう見えますし、たぶんそれは当然のことなんでしょう。芸術家は歴史研究家ではないのです。

さて天下という言葉を絶対使わなかった「麒麟がくる」ですが、PR冒頭で光秀が叫びます「天下静謐という大任を果たすため、織田信長は死んではならんのです」。天下は「てんか」ではなく「てんが」です。

うん、やっぱり「天下静謐」(てんかせいひつ、てんがせいひつ)でしょうね。まあ色々大人の事情もあるので今は「天下布武」も「天下一統」(天下統一)も使えません。今後しばらくは「天下静謐」が織田信長の目標となるのでしょう。10年ぐらいは。ただこの天下静謐ブームもいつまで続くのか。出版業界は「絶えず新説を要求」してきます。新説が本を売る一番手っ取り早いやり方だからです。だから天下静謐論もいずれは旧説として打破の対象となります。天下静謐論は「高ころびに、あおのけに転ばれ候ずると見え申候。」と予言しておきます。一定の正確さはあるので根絶はされないでしょう。でも少なくとも修正は行われるはずだし、すでにその萌芽も見えています。

天下静謐論の根源は「天下とは畿内だ」という考えです。そうすると天下布武は「あくまで畿内の平和」を目指した言葉、信長はもともと天下統一など考えていなかった、と「読み替える」ことができるのです。この「天下布武」こそが天下静謐論にとっては「当面の最大の敵」で、それをつぶすことから初めて、信長の義昭への「要求状」を次々に「解釈変更」していくのです。(あと、信長の権力の土台が他の大名と変わらず、荘園制や座を容認したというのも新説が強調する部分です。容認は間違っていませんが、容認しないこともある、とだけ言っておきます。別に新説批判がこの文章の目的ではありません。しかも新説は学者さんの世界では新説でも一時のブームでもなく、1960年代末から言われてきた考え方なのです。今は多数派です。ただし反対する少数派の学者さんも多少います。)

さて「天下の用法」。信長の朱印状とか黒印状、判物を奥野高廣「織田信長文書の研究」(信長文章集で買うと6万ぐらいします。私は図書館で借りています)で見てみると、「天下の使い方」は随分いい(良い)加減で、その時その時に応じて意味を信長が使い分けているように、私には見えます。年によっても違います。変化します。一部の学者さんの言う通り、「実に流動的に」、天下という言葉を使っています。畿内とも見えるけど、畿内じゃないと解釈できる部分もあります。言葉だから解釈次第なんです。禅宗は基本経典を持ちませんが、その理由がこの「言葉は解釈次第だ」という点です。

義昭の書状なんぞも上記の本に載っています。永禄12年の「義昭の」謙信宛書状をみると、謙信と信玄が仲良くして、謙信が上洛することが天下静謐の馳走になるとか言っています。これなんぞは微妙です。上洛が天下静謐なら天下は畿内かも知れません。しかし「仲良くすること自体」が「天下静謐」と読むこともできます。甲斐と越後の静謐が天下静謐の一部。すると天下の範囲は義昭の中では、この永禄12年段階で越後甲斐まで広がります。つまりは「解釈次第」というわけです。「言葉なんだから多層な意味と多層な解釈が生じるのは当然」です。多層的なものを単層的な意味に限定しようとすると、どうしてもそこに無理が生じます。

さて、このように(どのようにだ?)、麒麟がくるは、新説派にも配慮し、従来の安定した説にも配慮した作品です。秀吉はちゃんと一夜城を「三か月で」作ったようです。こういう具合に安定説にも十分配慮しているわけです。一夜城は数日で作ったとするなら99%虚構ですが、「ない」を証明することは困難です。だから1%の可能性があれば小和田さんは許すでしょう。小和田さんはキャリアが長いのでわかっています。史実を描け、史実を描けではフィクションとしての大河は死んでしまうと。しかも新説が定説化しているかどうか判断するのはまだ早いと。

ともかく信長は幕府(腐った方の幕府)を倒さなくてはならない、しかし同時に幕府(義昭)を倒す気がないことにしないとならない。その唯一の解決策が「幕府と義昭を分離する」という設定です。

しかしいずれは義昭も追放しないといけない。これは史実がそうで動かし難いからです。これを信長側の変化の結果にするのか、義昭側の変化の結果にするのか?そこは分かりません。私は「このままいい人のままで追放となっても」、面白いと思います。義昭を変化させずに、今のままの義昭を追放するとしたら「どういう理由をつけるのか」、そこが見どころになります。

補足、比叡山焼き討ちで信長が「我慢した」ことは、彼の古い側面、史実の信長が神仏を大事にしたことの証明とされる場合があります。そうはならないと思いますが、あまりに長くなるので、そうはないないと思うとだけ述べておきます。といって無神論者だなんてくだらないことを言うつもりもありません。私は当時の一般的な信仰の「実態」、それから信長の師匠である沢彦の禅宗(あまりあの世の話はしない宗派)を考えるべきだと思っています。

素人が、いろいろ傲岸不遜に書きましたが、最後に。

社会の変化があって、それにつれて信長像は変化します。今までもそうでしたが、最近は特にその変化の幅が大きい。「私の信長」を、これを書いている「私」も含めてみんなが持っている。しかもそれを誰もがネットで表明できる。実際私なぞその「意見表明」をこの文章でしているわけです。そういう難しい状況下にあって、万人をそれなりに納得させる信長像を提示するのは、大変な作業だろうなと思います。「麒麟がくる」は大変面白い作品です。