歴史とドラマをめぐる冒険

大河ドラマ・歴史小説・歴史の本などを中心に、色々書きます。
ただの歴史ファンです。

ノストラダムスと「と学会」と「麒麟がくる」

2020-10-21 | 麒麟がくる
思い出話から初めて、最後少しだけ真面目なことを書くつもりです。

「と学会」というは、世の中の「とんでもない本」を楽しみながら、いかに「トンデモ」かを分析していく方々の集団です。前はよく本を読みましたが、今はあまり出版されていないようです。

小学生の頃は、「超常現象」が好きでした。怪談とか超能力とか。大人になってから、そういう「思い出」を思い出すのに「と学会」の本は最適でした。
日本で唯一の「TV番組の予言が本当に当たった」とされるのが、ジェラルド・クロワゼットの予言です。1976年みたいです。予言通り、少女の遺体が湖から見つかりました。しかし警察はもう湖のその場所以外のすべてを捜索しており、遺体があるとしたらその場所であり、すぐにでも捜査をする予定でした。TV局のフタッフなら当然知っている情報です。まあ「そんな裏話」が「と学会」の本を読むと、色々明らかになるわけです。

ノストラダムス、16世紀のフランスの預言者です。世界で一番有名?なのかな。神秘主義に傾倒したナチスなどもその予言を自らを有利にするために利用しました。「日本に輸入」されたのは1973年みたいです。「冷戦と核戦争の恐怖」の時代です。五島勉さんというライターが書いた「小説みたいなもん」なんですが、リアルに受け止められ、大ブームとなりました。その後五島さんは今年2020年になくなるまで、結構な数の「ノストラダムス本」を書いています。1999年の7月に世界が破滅するという予言で有名です。

1999年の7の月
空から恐怖の大王が降ってくる
アンゴルモアの大王を復活させるために
マルスはその前後、幸福に支配する

「暗記で書いている」ので、まあこんな感じです。私が読んだのは発行から数年後です。まだ小学生でした。5年ぐらい。兄が古本で持っていたのです。なかなかにリアリティーのある叙述で、何より16世紀フランスが舞台ですから「小説的な面白さ」がありました。それに世界は今と同じか、今以上に物騒でした。いつ滅んでもおかしくない気がしていた時代です。小学生の頃は半分ぐらい信じていたと思います。

もっとも「信じても」、私の生活は何も変わりません。小学生ですから忙しいのです。それに遠く遠くの出来事でした。まだ20年ぐらいあったのです。

その後もノストラダムスは「おもしろおかしく」取り上げられることが多かったのですが、私は高校生ぐらいになっていて、もうあまり神秘主義に興味はありませんでした。「まだやってるよ、五島勉」ぐらいに思っていました。それでも超能力ものの映画とか好きでしたが、あくまでフィクションとして楽しんでいただけです。

事態が変わったのは1994年からのオウム真理教事件です。麻原は「ノストラダムスの予言」を「勧誘」に利用しました。フランス人に「自分のことが予言されていないか」を聞き、そっけなく追い返されたりもしています。こうしたことからノストラダムスを「面白おかしく取り上げる」ことをマスコミはほぼやめました。

だから30歳以下の人の中には「名前も知らない」人もいるかも知れません。

神秘主義というものは、楽しんだり、それで癒やされてたりしているうちは、個人的な行為としては全く無害だと思います。信仰も神秘主義の一つだとすれば、それ自体を否定することはできません。ただしそれが宗教の勧誘に「脅しという形」で利用されたり、霊感商法に使われると話が違ってきます。また社会全体が一種の神話、神秘主義に支配されることはより危険な事態をもたらすでしょう。

「子供のうちに慣れていたほうがいい」と私は自分の経験から思っています。インチキおやじに騙されればいいのです。そうすると高校ぐらいになって、もう神秘主義に「支配されたり」することはなくなります。自ら信仰を選ぶことは問題ないし、それもできるのかも知れませんが、私は信仰がないので分かりません。とにかく「インチキおやじ」が小学生を騙さない無菌社会は、あまり良くない(笑)

オウムを見たとき、若くて勉強がよくできる「子」たちが、どうしてころっと悪い方の神秘主義にハマったのかと思いました。「子供の頃、さんざん騙されなかったのかな」と。耐性というものがないのです。

で、あれっと思ったのです。

「王が仁ある政治を行うときに必ず現れるという聖獣、麒麟」

これも一種の神秘主義です。私が小学生なら、けっこうハマるかも知れません。で、ハマってどうなるかというと、まあ別に害はないかなとも思います。救世主めいた為政者が出てきて、彼、彼女が「王」となり、全体主義的な社会になってしまう。あまり想像はできません。それでも「大河はフィクションであり、フィクションとして楽しむもの」ということは教えておいた方がいいのか。

矛盾しています。「子供は騙されたほうがいい」と書きました。「麒麟や聖獣がいる」と感じ、やがて「騙された」と思った方がいいのかも知れません。以上です。