歴史とドラマをめぐる冒険

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「麒麟がくる」に「三条西実澄」が登場することの意味

2020-10-26 | 麒麟がくる
麒麟がくるに登場するお公家さんのうち、重要な役割を果たすのは3名です。近衛前久(さきひさ)、二条晴良(はるよし)、三条西実澄(さねずみ)の3人。三条西実澄はのちに三条西実枝(さねき)と名を変えます。大納言です。

近衛さんと二条さんは「ライバル」です。では三条西さんはというと、「歌の家」の人です。古今伝授という「秘法」を代々受け継ぎます。三条西さんが老齢になっても、息子がまだ若かったため、「中継ぎ」として三条西さんは「細川藤孝」に伝えます。藤孝はそれを三条西さんの子供に伝えます。でもその息子が早死。藤孝さんは三条西さんの「孫」に古今伝授を伝えます。

でも藤孝さんは麒麟がくるの主人公ではありません。おそらく古今伝授で三条西さんが登場する「わけではない」と考えられます。

じゃあ、なんでということになります。

NHKは「学問好きで変わり者の老公卿」と紹介しています。この「変わり者」「老公卿」に私は注目します。おそらくそんなに大きく出るわけではないでしょうが。

ときの天皇は正親町帝です。この人の「おばあちゃん」と「三条西さんのおばあちゃん」は姉妹です。親戚ですね。年齢は6つほど三条西さんが上です。正親町帝にとっては「親戚のお兄ちゃん」なわけです。

結論を急ぎますが、つまりは「朝廷のご意見番」かと思うのです。おそらく正親町帝にも「もの申す」ことがあるでしょう。

正親町帝は天皇ですが、無謬(むびゅう)の存在ではないと思います。美化は当然されるから等身大とはいかないものの、間違えることもある、と描かれるはずです。来週の予告編「朝倉義景を討て」で信長は「勅許をもらった。勅命をもらった」と喜んでいますが、この後、信長は天皇に対してその朝廷ガバナンスの弱さを指摘するようになります。それが「絹衣相論」と言われる出来事です。正親町という「王」が出てきて「麒麟がやってきた」となることはないのです。既に義輝・向井さんが「帝を信用していません。武士がいなけりゃなにもできない」とディスってます。あれは伏線でしょう。

ちなみに宣伝ビデオでは正親町帝は東庵先生と「碁を打って」いました。「信長とはどんな武将か」と問いかけています。(史実としては信長が美濃を制服した段階で、天皇領地の回復を信長に要請してますから、ある程度知っているはずです)

さて、三条西さん。史実として「正親町帝の朝廷運営に色々ともの申した人物」ではないかと考える学者さんがいます。「麒麟がくる」の影の時代考証家とも言える東大の金子拓さんです。歴史秘話ヒストリアが「世にもマジメな覇王、信長」を放映した時、メインで登場したのが金子さんです。この金子さんが「織田信長、天下人の実像」の中で、かなり大きく三条西さんを取り上げ、「蘭奢待問題の時、またその後も正親町帝の朝廷運営を鋭く批判した人」として三条西さんを取り上げています。朝廷の意思決定の方法に問題があり、それを天皇に内奏して批判したのが三条西さんということです。

ちなみに堀新さんは「現代思想」に載った文章で、三条西さんに関して、また別の意見を述べています。別といっても朝廷ガバナンスが弱かったという認識では一致しています。ということで意外とホットな人なんです。

詳しく書く力は私にはないので、あとは上記の本をご覧ください。

追記 「もの申す人物」ではないようです。十兵衛と天皇を取り持っています。すると「蘭奢待」の一件で活躍するのでしょうか。香木、蘭奢待切り取りで、正親町帝は信長に怒ったと言われています。史実としてはそんなに怒ってません。「聖武天皇も怒るぞ」と書いたのはどうやら、この三条西さんのようです。では三条西さんは信長に怒ったのか。ドラマではそうなるかも知れません。
でも実際は正親町帝に怒ったのです。「開封の手順が間違っている」というのです。では三条西さんは「朝廷の手順を重視する気骨ある重鎮」なのでしょうか。これまた奇々怪々で、そうでもないのです。要するに「なぜ自分を通さない」という怒りです。「聞いてないよー」ということらしいのです。そして結果としては三条西さんの息子が東大寺別当になって、その「小童」に開封(蔵を開くこと)の勅命が下っています。「小童」の補佐は三条西さんです。最後は自分の息子のお手盛り人事になっているのです。朝廷とは奇々怪々なところです。このことについては「蘭奢待(らんじゃたい)と信長と三条西実澄・信長と正親町天皇の関係は「対立」なのか「協調」なのか。」を参照ください。

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