ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

『ヒトラー・チルドレン』

2015-08-22 21:11:29 | ひと

仕事がオフだった一昨日、録画保存してあったドキュメンタリーを久しぶりにまた見ました。

ルドルフ・ヘスの娘』 ブリギッテに言及されていた、彼女の甥でヘスの孫のライナー・ヘスが出演していたのを思い出したので。

2012年5月23日に BBC2 で放映された、“Hitler's Children” 。

(日本では 『ヒトラー・チルドレン』 としてBSで放映されたようですが、みなさんご覧になりましたか?)

 

 

ヒトラーに実子は(幸い)いませんでしたから、これは “彼の腹心の部下の子供たち” を指しています。

歴史に永遠に悪名を刻んだナチスの大物たち。

その子孫が、家族の歴史とどう折り合いをつけ、どのような心境で生きてきたかを率直に語ります。

 

 

 

 親衛隊とゲシュタポのボスで、ダッハウに最初の強制収容所を設置したハインリヒ・ヒムラーの弟の孫娘、カトリン・ヒムラー

彼女は2007年に “Die Brüder Himmler (The Himmler Brothers)” を発表した。

    

「ヒムラーの名で、何かポジティブなことをしたかったの。」

“過去を追及しない” という家族の伝統を破り調査を続けるうち、自分自身の祖父も

あるユダヤ人の絶滅収容所送りに関与していたことを発見した。

イスラエル人の夫との間にいる息子が一族の過去をしっかりと理解できるよう、

『ヒムラー兄弟』 を著したという。

 


 

ナチスが占領したポーランドの総督に任ぜられ、クラクフ・ゲットーの解体を指揮し、多くのユダヤ人を虐殺したハンス・フランク

クラクフのヴァヴェル城に総督本部をおいて滞在し、ダ・ヴィンチ作 『白テンを抱く貴婦人』 を一時横取りしていたこともある。

彼の息子の二クラス・フランクは5人兄弟の末っ子で、父親が絞首刑に処せられたとき8歳だった。

  

  

両親は子供たちに対して冷淡で、子供時代の彼は両親の愛情を渇望していたという。

姉のジークリッドは、父親が刑死した年齢と同じ46歳のときに、殺鼠剤で自殺した。

1987年に長年の調査の結集である “Der Vater (The Father)” を発表。

聴衆の人数に関わらず、要請があれば自らの父親を厳しく糾弾する同著の朗読に出掛ける。

 

 

 

 映画 『シンドラーのリスト』 でレイフ・ファインズが演じた、残忍きわまるプワシュフ強制収容所所長アーモン・ゲート

モニカ・ヘルトヴィヒは、父親が絞首刑に処されたときわずか1歳だった。

母親でゲートの愛人だったルート・カルダーは、1983年に自殺している。

 

 

 

ライナー・ヘスは、アウシュヴィッツ司令官ルドルフ・ヘスの孫にあたる。 ヘスの三男ハンス・ルドルフの息子である。

このドキュメンタリーのため初めてアウシュヴィッツを訪れ、ショックを受ける。

ナチスのイデオロギーを受け継いだ父親は暴君で、親らしい愛情をみせてくれたことはなかった。

 

 

 

 ベティーナ・ゲーリングヘルマン・ゲーリングの兄の孫娘である。

“最後のゲーリング” となれるよう、兄と同様に不妊手術を受けた。

ドイツを遠く離れ、米ニューメキシコ州サンタフェの過疎地に住む。

「遠く離れていた方が、一族の過去に向き合い易いのです。」

母国を離れて、もう35年になる。

 

 

 このドキュメンタリーのクライマックスは何といっても、訪れたアウシュヴィッツでライナー・ヘスが、

イスラエルから来ていた学生たちと対面するところでしょう。

学生たちから率直な質問をぶつけられ、精一杯答えるライナー。

やがて後方から、ホロコーストの生残者だという老人が、「貴方と握手したい」 と進み出てきてこう言います。


「私はドイツの若者たちに、もう何年も話をしてきました。 彼らにはこう言うんです。

“君たちはそこにいなかった。 君たちがやったんじゃない。” とね。」

  

感極まって、感情を抑えきれないライナー。

 

感動的な場面で、とても良くできたドキュメンタリーだと思ったんです。

ところが! あれこれ読むうちに、芳しくないウラ話を最近発見してしまい・・・

それについては後日記事のコチラでどうぞ。

 

そうそう、この 『ヒトラー・チルドレン』、現在こちらで視聴可能(日本語で)なようですよ。

 

もうひとつだけ。 私が録画した BBC2 版と上記の動画サイト版は、終わりに近い数分間が少し違っていました。

上記動画サイト版ではベティーナ・ゲーリングさんがドイツをテーマにしたパーティーを開いていたのですが、

BBC2 版では代わりに二クラス・フランクさんが、三人の孫と遊び一人っ子である娘さんと語り合っていました。

 

「父さんがハンス・フランクと闘い彼を負かしてくれたから、私は闘う必要はなかった。 父さんは私の砦よ。」 と、娘さん。

両親の愛情を知らずに成長したにもかかわらず、二クラスさん自身はとても良い父親になれたんですね。

心がほっこりしました。


私はパーティーのシーンよりも、二クラスさん父娘のやりとりの方がずっとポジティブで好きです。

編集で残すなら、絶対こっちにすべきだと思いました。

 

 

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