ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

映画 『博士と彼女のセオリー』

2015-02-26 23:17:02 | エンターテインメント

今年のアカデミー主演男優賞。

大方の予想通り、 『博士と彼女のセオリー』 の ・・・・・


エディー・レッドメインが獲得しました。 おめでとう!

 

アカデミー賞授賞式の日も、スティーヴン・ホーキング博士はいつも通りご出勤され、

レッドメインの受賞を知るとお祝いのメッセージを投稿したそうです。

 

 

実在する高名な人物を演じるって大変だろうなぁ。 でもレッドメインの演技は、ホーキング博士をして

「ときどき、あれは私自身だと思った」 と言わせしめたそうだから、本当に博士を演じ切っていたのでしょう。

(博士と元奥さんのジェーンさんが撮影現場を訪れたときの映像はこちら。)

  

もともと顔の造作が似ているというアドバンテージがあったものの、やはり人工皮膚をつけたりしていたんですね。

  

博士の最初の結婚生活を追う、この映画。 ネットに出回っている映画のシーンの画像を拾ってみました。

《注意: この後いくつかネタバレあり》

  

博士の余命2年という難病宣告を知りながらも、 「一緒に病気と闘いましょう」 と博士を励ますジェーンさん。

  

 しかしながら ・・・ 博士の著書がベストセラーになる前は経済的に苦しく、ヘルパーさんも雇えない状態でした。

続けたかった自らの勉強や研究を後回しにし、三人の子供の育児と家事に加えて全面的介護が必要な夫の世話に明け暮れる毎日。

ジェーンさんにとってはとてつもない負担だったことでしょう。

(しかも義理親は救い難いボンクラだしっ! ← あとで説明あり)

  

1985年、博士が訪問先のスイスで重篤な肺炎にかかり、駆けつけたジェーンさんは医師に安楽死をほのめかされます。

ジェーンさんが救命を主張したため、気管切開によって博士は快方に向かいますが、代わりに声を失います。

(あのホーキング博士が、安楽死を迫られていたとは・・・ 知りませんでした。)

  

ここからは、実際のホーキング博士や家族の画像です。

  

  

  

  

 

ジェーンさんの存在がなくても、博士は研究を続けられていたでしょうか・・・・・?

  

ジェーンさんは、気晴らしのため入った教会のコーラスで、心優しい男性ジョナサンさんと知り合います。

  

ホーキング一家の友人となったジョナサンさんは、ジェーンさんの負担を軽減すべく、家族の生活に手を貸し始めますが・・・

  

やがて二人は惹かれ合うようになり、その一方で博士も看護師のうちの一人に好意を持つようになり、博士とジェーンさんはとうとう離婚します。

  

 

お二人が添い遂げなかったのは残念ですが、幸い現在は良い関係を保っているそうです。

ところで、この映画の基となった元妻のジェーンさんの著書 “Travelling to Infinity” によると、

   

 

博士の母君(ジェーンさんのお姑さん)は、根性悪だったみたいです。

博士とジェーンさんの間に三人目の子供が生まれたとき、映画の中で描かれていたように、お姑さんはジェーンさんに、

「子供の父親は(スティーヴンかジョナサンか)どちらなの?」 とあからさまに訊いてきたそうです。

ジェーンさんが 「スティーヴンでしか有り得ません」 と応えると、お姑さんはこう言ったそうです。

「私たちは初めからあなたのこと好きじゃなかったわ。 あなたは家風に合わないの。」

 

・・・・・  ・・・・・  くっ○バ○ア~~~!!   

 

(下は、左から: ホーキング博士、ジェーンさん、ジョナサンさん、博士の師であり友人のデニスさん、博士の父君、母君、博士の再婚相手の看護師)

 

映画の中で、博士の両親を博士一家が丘の斜面に立つコテージに訪ねたとき、坂道についた階段を、

ジェーンさんが博士の車椅子を押して上ろうと苦労するシーンがあるんですが。

あれも実際にあったことだそうです。

隠居生活を楽しむため博士の両親が選んだ家は、全然博士の状態を考慮に入れていなくて、

ジェーンさんは内心唖然としたそうです。

実のところ、博士とジェーンさんの結婚後は、博士の両親は博士の介護から一切手を引き、

すべてをジェーンさん(の両親は彼女をサポートしてくれました)に委ねたそうです。


ジェーンさんの回想を基にしたこの映画を見て初めて知ったんですが、先に家を出たのは博士だったんですね。

博士とジェーンさんが結婚したのが1965年。 博士が看護師エレイン・メイソンと暮らすため別居に踏み切ったのは1990年。


映画はこのあたりで終わっていますが、実際には博士とジェーンさんは1995年に正式に離婚し、

同じ年に博士はメイソンと再婚しました。 しかも! この記事のためいろいろ読んでいて知ったんですが、

やがて 「博士は虐待されている」 との疑いがもたれるようになります。

博士の別の元看護師によると、メイソンは 「支配的で計算高く横暴」 な性格。

博士の成人した子供たちでさえ、博士の体に説明のつかない痣や傷があるのに気づき、

一体何が起こっているのかと父親を問いただしますが、博士もメイソンも虐待を一切否定。

警察にも届けたものの、博士が断固として協力を拒んだため捜査もできませんでした。

博士とメイソンは、2007年に離婚。


ジェーンさんは、1997年にジョナサンさんと再婚し、現在も幸福な結婚生活を続けているそうです。

 

博士とメイソン。 世界的に有名な、天才的物理学者でさえ虐待されてしまうなんて・・・・・

 

 

博士とジェーンさんの間の子供は、ロバート(1967年生まれ)、ルーシー(1970年生まれ)、ティモシー(1979年生まれ)の三人。

ジャーナリストで作家でもあるルーシーさん(Lucy Hawking)は、父親と共著で子供向けフィクションを出版しています。

  

 

下左: ジェーンさんの現夫ジョナサンさん、博士とジェーンさんの娘のルーシーさん、息子のティモシーさんと。         

              下右: 去年の流行時、アイス・バケツ・チャレンジに挑むルーシーさん・ロバートさん・ティモシーさん。

 

 

世界的に高名な博士だから、 『シンプソンズ』 に出演した事だって一度ならずあるし、何とTVドラマ 『スター・トレック』 では、

過去の天才アインシュタインやニュートンと、ポーカーに興じたそうです。 知らなかった! 

  

女王陛下にだって何度も拝謁しているし、あのマンデラ氏をはじめとする有名な方々にだって!

  

  

 

精力的に活動を続ける博士の姿は、やはり何と言っても同じALSを患う人々に、かけがえのない希望を与えてくれていますよね。

“ 1963年に余命2年と宣告され その後の半世紀で物理学に革命を起こす ”  ・・・ まさにその通り!

 

         


この映画 ・・・ 二人の関係は 『別離』 で終わってしまうにもかかわらず、

とてもポジティブな感銘を残してくれる、不思議に爽快感のある映画です。


日本での公開は3月13日だそうですが、ほっこり温かな余韻を残してくれる映画をお求めの方には、

心からおススメします!! 

 

 

  《 オマケ 》

2007年4月、ケネディー宇宙センターを離陸したボーイング727機内で、初めての無重力状態を体験する当時65歳の博士。

「私は一時的に身体障害から解放され、本当の自由を味わえた。」

ホーキング博士は、リチャード・ブランソンの ヴァージン・ギャラクティック の乗客としてすでに招待されているそうです。

計画が実現して、博士が宇宙に飛び立てる日が来ればいいな・・・ 

(計画の失敗や墜落は困るが

 

 

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