ハナママゴンの雑記帳

ひとり上手で面倒臭がりで出不精だけれど旅行は好きな兼業主婦が、書きたいことを気ままに書かせていただいております。

“腸チフスのメアリー”

2020-07-02 21:36:04 | 健康・医療

今年3月の、新型コロナ禍が深刻化してきた頃。

オットーが「ブログのネタにしたら?」と教えてくれた興味深い話があるので、今日はそれについて書きます。

Typhoid Mary = タイフォイド・メアリー = 腸チフスのメアリー

オットーによると、“腸チフスのメアリー” という表現は、日常会話で使われるそうです。

自分は発病しないため保菌者であることに気づかないまま感染源となる人、という意味で。

そこから少し意味が拡大されて、いずれトラブルメーカーになりそうな人、みたいな意味で使われることもあるそうです。

オットーはわりと物知りですが、その由来は知らずにいました。

が、コロナのためラジオで取り上げられていて、はじめて知ったそうです。

 

“腸チフスのメアリー” の本名は、メアリー・マローン(1869-1938)。

彼女についてはこの日本語版ウィキをお読みいただければだいたいのことはわかるので、ここではあとは、

ネットで拾ったより詳しい(そして願わくば正しい)情報を付け足すことにします。

メアリーさん、アイルランドに生まれ、わずか14歳(英語版ウィキでは15歳)のときに単身アメリカに渡ったって!勇気あるなぁ~!

(1869年生まれということは、あのローラ・インガルス・ワイルダーより2歳下なだけの同年代ですね。)

アメリカに渡った彼女、当初は伯父伯母のもとに身を寄せましたが、二人は相次いで亡くなってしまいました。

使用人として働いていた彼女は次第に料理のスキルを身につけ、1900年から使用人よりも高給を得られる料理人として雇われるようになりました。

 

 

1900年。メアリーはニューヨーク市ママロネックで料理人として働き出しましたが、彼女が雇われてから2週間以内に家人が腸チフスを発症しました。

1901年、マンハッタンに移って働き始めたところ、雇用主の家族の複数名が発熱と下痢の症状を起こし、洗濯係の女性が死亡。

その後メアリーは法律家の家で働きましたが、家人8名のうち7名が病にかかり、そこを辞めました。

1904年6月、彼女は富裕な法律家ヘンリー・ギルゼーに雇われました。一週間以内に洗濯係の女性が腸チフスに感染し、さらには

7名の使用人のうち4人も病にかかりました。別宅に住んでいたギルゼー家の人間は感染しませんでした。

腸チフスが発生するとメアリーはギルゼー宅を離れ、ジョージ・ケスラーに雇われてタキシード・パークに移りました。

2週間後、ケスラー家の洗濯係の女性が腸チフスに感染し、病院に搬送されました。

1906年8月、メアリーは富裕なニューヨークの銀行家チャールズ・ヘンリー・ウォレンに雇われて、ロング・アイランドのオイスター・ベイにいました。

ウォレン一家がオイスター・ベイで夏を過ごすため借りた家で、メアリーは料理人として腕をふるいます。が、8月27日から9月3日の間に、

家人11名のうち6名が腸チフスを発症。当時オイスター・ベイにいた3人の医者によると、腸チフスは当時のその辺りでは“めったに発生しない”

病気でした。ウォレン一家が借りていた家の家主ジョージ・トンプソンは、腸チフスが出たとあっては自分と自分の賃貸住宅の評判を落とすことになると

危惧し、感染源を突き止めてもらうため複数のエキスパートを雇い入れました。エキスパートたちは地域の海産物を検査し、パイプ、蛇口、トイレ、

汚水槽からも水や汚水のサンプルを採取しましたが、腸チフス菌は発見されませんでした。

 

オイスター・ベイのジョージ・トンプソン邸 - ウォレン一家が借りていた邸宅

 

1906年の終わり近くに、メアリーはパーク・アベニューに住むウォルター・ボウエンに雇われました。1907年1月23日、ボウエン邸のメイドが病にかかり、

さらにはチャールズ・ウォレンのひとり娘が、とうとう腸チフスで死亡しました。ジョージ・ソーパー博士(George Soper)はオイスター・ベイで腸チフスが

発生したときにトンプソンに調査を依頼されたエキスパートでした。彼は、通常はスラムのように貧しくて不衛生な環境下で発生する腸チフスが、なぜ

裕福で清潔でもあるはずの家庭でたて続けに発生しているのかに頭を悩ませました。消去法で感染源を除去していった彼はついに、同一人物らしい

アイルランド系の女性料理人が、腸チフスが発生したどの家でも働いていたことを突き止めます。でもメアリーの現在の居所をつかむのは容易では

ありませんでした。彼女は腸チフスが発生するとそこを辞め、連絡先を残すことなく次の勤め先に移ってしまっていたからです。そこに、パーク・アベニューの

ペントハウスで腸チフスが発生したとのニュースが入りました。メアリーはそこの料理女でした。雇われ人のうち二人が入院し、その家の娘は死亡しました。

ソーパーはボウエン家のキッチンで、初めてメアリーに対面しました。彼から自分が『腸チフスを感染させていると思われる』と指摘されると、

メアリーは激怒。尿と便のサンプルを彼に与えることを拒否し、肉切り用のフォークで彼を脅して追い出しました。メアリーの職歴を調べ上げたソーパーは、

彼女が料理人として勤めた8家族のうち7家族が腸チフスを発症したことを発見。メアリーの恋人の住所を突き止めたソーパーは、レイモンド・

フーブラー博士にも同行してもらって、メアリーの恋人宅で尿と便のサンプルを提出するよう再度メアリーを説き伏せようとしました。しかしメアリーは、

またも拒否。腸チフス菌はどこにでもあり、汚染された食物や水から発生したのだと信じて疑いませんでした。当時は『自分は発病しない健康保菌者』という

概念は、まだ広く知られていなかったのです。

 

ソーパーはニューヨーク市保健局にも、自分の発見を報告していました。保健局もメアリーが腸チフス保菌者であると考え、メアリーは

『大衆の健康への脅威』であるとして逮捕されました。救急車に連行される際のメアリーが激しく抵抗したため、5人の警官が彼女を抑制しましたが、

救急車内でもジョゼフィン・ベーカー医師が、彼女の上に座らなければなりませんでした。病院に搬送されたメアリーは強制的にサンプルを

採取され、4日間は起き上がることも、一人でトイレを使うことも許されませんでした。彼女の便のサンプルからは膨大な量の腸チフス菌が検出され、

そのことから、菌の巣窟は胆嚢であると考えられました。メアリーは、過去にほとんど手を洗ったことがなかったことを認めました。それは、肉眼では

見えない微生物が病原体となって病気を発症させるという考えがまだ行き渡っていなかった当時としては、珍しいことではありませんでした。

 

1907年3月19日

メアリーはニューヨーク市イースト・リバーに浮かぶノース・ブラザー島にあるリバーサイド病院に隔離収容されることが決まりました。

隔離中は週に3回、彼女の尿と便のサンプルが採取されました。メアリーが隔離を免除されるよう、当局はメアリーに胆嚢の切除手術を提案しました。

が、メアリーは拒否。自分が腸チフスの保菌者であるとは信じていなかったし、当時は胆嚢切除は死の可能性を伴う危険な手術だったからです。

メアリーは料理人として働くことをあきらめることにも乗り気ではありませんでした。持ち家がなく常に貧しかった彼女は、料理人として働くことで

他のどんな仕事よりも高い報酬を得られたからです。彼女は自分は腸チフスをばら撒いてなどいなかったし、隔離は貧しいアイルランド移民への

偏見による不当な措置だと信じて疑いませんでした。In Her Own Words - メアリーが書いた手紙へのリンク)

ソーパーがメアリーに関する自分の発見を1907年6月15日付の『米国医療連盟ジャーナル』誌で発表すると、メアリーはメディアの関心を集め、

“腸チフスのメアリー”というあだ名を与えられました。ソーパーはメアリーを隔離先に訪ね、自分が本を書いたらその収益の一部を

彼女に渡すつもりであることを告げました。しかしメアリーは怒ってこれを拒否し、彼が帰って行くまでトイレに立てこもって出てきませんでした。

 

1909年6月20日付の “The New York American” 紙に登場したメアリーのイラスト

(メアリーがフライパン内に割り入れようとしているのは、卵ではなく・・・ドクロ!

 

医療関係のエキスパート全員が、メアリーの隔離に賛成したわけではありませんでした。隔離は厳しすぎる処置であり、メアリーは『他人に腸チフスを

感染させないよう気をつけることを教えられれば普通に生活できる』と考えるエキスパートも中にはいました。逮捕され隔離されたメアリーは、

ノイローゼにかかりました。目に異常があった(両目がけいれんし、やがて左目が麻痺して動かなくなった)ときも、眼科医は週に3、4回島を訪れて

いたにもかかわらず、彼女が診察してもらえることはありませんでした。(幸い目は、その後自然に回復。)彼女はメディアのインタビューに応じて

得た報酬で法律家を雇い、1909年に、自分を不当に隔離しているかどでニューヨーク市保健局を訴えましたが、敗訴しました。

自分が健康保菌者だなどとは未だに信じていなかった彼女は、友人の助けを借りて複数のサンプルをニューヨークにある独立した研究所に送りました。

結果はネガティブで、菌は発見されませんでした。ノース・ブラザー島で1907年3月から1909年6月の2年余りの間にメアリーから採取されたサンプルも、

そのうち1/4はネガティブでした。メアリーが隔離されてから2年11ヶ月後、ニューヨーク州保健局は、彼女が

①料理人としては働かないこと、また

②他人に腸チフスを感染させないよう理にかなった方策を取ること

を条件に、彼女を釈放することを決定。

1910年2月19日、メアリーは出された条件をのんで、本土に戻ることを許されました。

 

釈放時、メアリーは洗濯係の仕事を世話されました。が、その仕事は料理人としてなら月50ドル稼げるのに比べ、月20ドルにしかなりませんでした。

あるとき彼女は腕を怪我し、傷が感染症を起こしたため、丸6ヶ月間働くことができませんでした。数年にわたる苦労のあと、彼女はメアリー・ブラウン

という偽名を使ってふたたび料理人として働き始めました。しかしながら富裕な家庭には雇ってもらえなかったため、レストラン、ホテル、

スパ・センターなどのキッチンで働きました。彼女が働いたところではほとんど全部で、腸チフスが発生しました。でも彼女が勤め先を頻繁に

変えたため、ソーパーは彼女を見つけられませんでした。

メアリーが1915年にニューヨーク市のスローン婦人病院で働き始めると、25人が腸チフスを発症し、2人が死亡しました。

産科医師長のエドワード・クレーギン博士はソーパーを呼び、調査への協力を依頼。病院のスタッフの描写やメアリーが残した手書き文字から、

ソーパーはメアリーがそこにいたことを確信しました。メアリーはすでに逃げ出したあとでしたが、ロング・アイランドの友人を訪れたところを

逮捕され、1915年3月27日にノース・ブラザー島に戻されました。(別の情報源では、彼女が逮捕されたのは、ロング・アイランドの邸宅で

料理人として働いていたとき。)

 

二度目に隔離されたあとのメアリーについては詳しく知られていません。彼女は当局から平屋のコテージを与えられ、その後の23年余りを島で

暮らしました。1918年からは本土を日帰りで訪れることが許可されました。1925年に島に来たアレクサンドラ・プラヴスカ医師は、チャペルの3階に

実験室を設け、メアリーにテクニシャンの仕事をオファー。メアリーは瓶を洗ったり、録音をしたり、病理医たちのためグラスを準備したりしました。

 

ノース・ブラザー島でのメアリー(撮影年月日不詳)

 

メアリーは1932年に脳溢血にかかり、半身が不自由になりました。1938年11月11日、69歳だった彼女は肺炎で死去。

遺体は火葬され、遺灰はブロンクスにある聖レイモンド墓地に埋葬されました。葬儀に参列したのは、わずか9人でした。

 

            

 

このサイトによると、腸チフスの主な症状は、高熱、筋肉の痛み、腹痛、倦怠感、便秘あるいは下痢。治療されなければ5人に1人が死に至り、

1900年にはアメリカで3万5千人の死者が出たそうです。当時は抗生物質もなく、ワクチンもまだ開発されていませんでした。

 

メアリー・マローンによって腸チフスを感染させられた患者数も、感染による死亡者数も、正確にはわかっていません。

確認されている死亡者数は5名のみですが、50名に上るとの推測もあります。

 

一説によると、

メアリーはおそらく幼少時に重症でない腸チフスを患い、その結果健康保菌者になった。

治療されなかった腸チフスはせん妄、幻覚、被害妄想など精神上の問題を長期にわたって引き起こす場合があるため、彼女がかたくなに

自分が健康保菌者だとは信じず、世界が自分を陥れようとしており、自分は不当な迫害の被害者だと信じたのはそのせいかもしれない。

とのことです。

 

日常会話に使われるほど定着した “腸チフスのメアリー” のフレーズ。その背景にはこのような不幸な話があったんですね。

ソーパー博士が彼女について書いた本は、今も入手可能だし、彼女についてのお芝居なんかも公演されているようです。

 

            

 

腸チフスは:

主に経口感染で、無症状病原体保有者や腸チフス発症者の大便や尿に汚染された食物、水などを通して感染する。(ウィキ: 腸チフス

便に混じって排出されつづけたチフス菌は、目に見えないもののメアリーの手指などに付着しており、本人に自覚がなかったために手洗いを

油断した際に食事に混じり、周囲の人間に感染したのだと考えられている。 (ウィキ: メアリー・マローン

 

私にはメアリーさんがトイレに行ったあと手をしっかり洗わなかったのが身もだえするほどキモチワルイです。

腸チフスが発生したということは、料理をする彼女の手にはまだ、たとえわずかではあっても尿や便が付いていたということですから・・・!

 

合計で26年間も隔離されてしまったメアリーさん。お気の毒としか言いようがありません。

が、当時は腸チフスの有効な治療法はなかったし、本人が料理人であることをやめなかったのだから、仕方がなかったと思います。

運命のいたずらで不運な人生を強いられた彼女と、彼女の犠牲になった人々のご冥福を、お祈りします。

 

*       *       *

 

ひとつ、面白い指摘がありました。

メアリーさんが得意としたデザートは、ピーチ・アイスクリームだったそうです。

腸チフス菌は冷たい食べものの中では生き延びられますが、加熱されれば死ぬため、

メアリーさんのお得意がアップルパイだったら、犠牲者はもっと少なかったのでは?というもの。

ほんと、おそろしい食中毒を予防するため十分加熱して菌を殺すことは大事ですよね。今の季節はとくに。

皆さん、くれぐれも忘れないようにしましょうね!

 

コメント (6)    この記事についてブログを書く
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6 コメント

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Unknown (ちい)
2020-07-10 19:13:29
私もトイレの後手を洗わない人がよりにもよって料理人って言うのがゾッとします!!汚いー。

でも、メアリーさん美人ですよね。
良いお家に生まれてたら、美人令嬢って言われそう。
返信する
同感です。 (ハナママゴン)
2020-07-12 04:13:07
現代の感覚からいくと、トイレのあと手を洗わずに料理するなんて信じられないですが、当時はそれでオッケーだったようで・・・
そんな時代に生まれなくて良かったです。

メアリーさん、ほんとおキレイですよね!
なのに不運な後半生を送ることになってしまい、お気の毒としか言いようがありません・・・。
返信する
Unknown (チビまま)
2020-07-13 22:36:34
このコロナウィルスの時期にぴったりな話題ですよね。
それにしても本人の自覚がなくて感染させるというのが一番たちが悪いですよね。
悪気はないからこそ感染者がどんどん広がって犠牲者が増える。。。
今回のことにそっくりです。(規模は違いますが)
でも本人も長年の隔離で寂しい人生でしたね。。。

それにしてもこのコロナはいつになったら終息するのでしょうか。
イギリスは特に酷いですよね。。。
9月から通常に戻れるとは到底思えません。
返信する
初めまして♪ (マンマ♪)
2020-07-14 08:32:06
マンマ♪と申します。ファローさせていただきました。よろしくお願いいたします。

メアリーさんの記事は、この自粛の時に新聞で読みました。今回のコロナウイルスと同じように知らない間に感染してしまうというのはウイルスの特徴ですね。
怖いです。
東京は感染者がまた増えてきました。イギリスはいかがですか?
お互い気をつけましょう。
返信する
チビままさんへ (ハナママゴン)
2020-07-18 07:48:13
ほんと、メアリーさん、寂しい人生でしたよね。
最後の最後まで自分が健康保菌者であるとは信じなかったそうです。
幼い頃に罹った腸チフスのため性格が変わり、猜疑心がひどくなってしまったせいでしょうか。

イギリスはコロナにひどくやられましたよね。
もう呆れて笑うしかないというか。
ほんと、いつになったら通常の生活に戻れるものやら・・・(タメイキ)
返信する
マンマ♪さんへ (ハナママゴン)
2020-07-18 07:54:58
イギリスはようやく落ち着いてきましたが、ロックダウンのリラックスによってまた感染者・死者が増え出すかもしれないので、警戒を怠れません。
ほんと、お互い自衛策を駆使して気をつけましょう。

フォローありがとうございます。
遅筆ですが、よろしかったらたまに覗きに来てくださいね!
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